第9話 王太子妃とティータイム
カトレア様は三人の侍女をお連れになっていました。
赤みを帯びた金髪は綺麗に後ろでまとめ上げられ、空色の瞳は優しい光を湛えています。
今日は公務がないのか、腰にリボンがついた黄色のシンプルなドレスをお召しになられていました。
「カトレア様、ご無沙汰しております」
私はスカートの裾を軽く持ち上げてお辞儀をします。メリアも頭を下げている気配がしました。
カトレア様の生家は、四つある侯爵家の内の一つ。ストラリス侯爵家です。
私も幼い頃はお姉様と呼ばせていただいていた時期がありました。年齢も十歳近く違うので、幼い私をよく可愛がってくださいました。
王太子アルドラ殿下との婚約が決まってからは、妃教育などで忙しく、顔を合わせる機会が少なくなっていました。
カトレア様はクスッと小さく笑います。
「そんなに畏まらないで。お城に来るなんて珍しいわね。どうしたの?」
「お兄様が珍しく忘れ物をしましたので、お届けに参りました」
私はそう言って、お兄様の万年筆を見せました。カトレア様の目が丸くなりました。
「あら、雪でも降るのかしら」
カトレア様もお兄様の性格をよくご存知です。忘れ物なんて滅多にしません。
すると、カトレア様はポンと手を叩きました。
「でもそれだけの用事なら、時間はあるわよね? 一緒にティータイムなんてどうかしら?」
カトレア様は楽しそうに提案なさります。
そ、そう言われましても。
「いえ、でも、こんな格好ですし……!」
「私も似たようなものよ。堅苦しいお茶会じゃないんだから。ね?」
王太子妃様にそこまで言われてしまうと断れません。
カトレア様と久しぶりにお話したい気持ちもありますし、少しくらい、いいわよね。
私が微笑んで頷くと、カトレア様の顔もニッコリ笑顔になります。
それから後ろに控えている侍女に声をかけました。
「アリーシャ、用事が済んだらいつもの部屋にお連れして」
「かしこまりました」
アリーシャと呼ばれた薄い水色の髪をした侍女は丁寧に頭を下げます。
カトレア様が去って行くと同時に、アリーシャさんは「こちらです」と案内してくださいました。
どうやら、私が道に迷っていたことを見抜かれていたようです。お恥ずかしい。
アリーシャさんに案内された部屋をノックしてそっと顔を覗かせます。
「失礼致します」
部屋の両壁にはびっしりと本棚が並び、書類がぎゅうぎゅうに詰め込まれていました。それだけで圧迫感のある空間になっています。
手前には六つの机がくっついて島になっており、その奥に大きな机が一つあります。
どの机も資料らしき紙が積み重なって山脈が出来ていました。
土木関係って大変なのですね。
「マリー!? どうしたんだ?」
一番手前の席にいたお兄様が私に気付きました。他の方も私の登場に少し驚いているようです。
席を立って近づいてきたお兄様に万年筆を差し出します。
「お忘れになったでしょう? お仕事に支障が出てはいけませんから」
「ああ、すまない。昼休みに取りに帰ろうかと思っていたんだ」
お兄様はホッとした様子で万年筆を受け取りました。やはり、いつものペンでなくて気になっていたのですね。
すると、お兄様の隣の席に座っていた男性の方が左腕をさすりながら笑いました。
「助かりましたよ、マリーローズ様。左側が寒くて仕方なかった」
お兄様は気まずそうに顔をしかめます。周りの方々は軽い笑い声を上げました。
「そんなに出していなかったでしょう?」
「お前の魔力は俺ら下級貴族より強いんだ。自覚してくれ」
抵抗を試みるお兄様でしたが、正論にスパッと切られてしまいました。たぶん、私も同じことを言うと思います。
確かにお兄様の魔力量は多いほうです。その魔力を無意識に垂れ流しするのは、本当に質が悪いと身内ながら思います。
「皆様、お兄様をどうぞよろしくお願い致します」
私はスッとお辞儀をしました。
「ご足労ありがとうございました」
一番奥の机から声がかかりました。顔を上げると、白髪交じりの緑色の髪をした男性が優しそうに笑っています。
私は笑みを返して部屋を出ました。長居をしたらそれこそお仕事の邪魔になってしまいますからね。
部屋を出た私はアリーシャさんの案内でカトレア様の元へ向かいます。
通された部屋はティータイム用なのか、お城の他の部屋と比べると広くありませんでした。
丸いテーブルと椅子と小さなタンス。そこに飾られたお花。花瓶は、高価なもののようです。
カトレア様は椅子に腰掛けてお待ちになっていました。
「遅くなりました」
「そんなことないわ。さ、座って」
私が挨拶をすると、カトレア様は正面に置かれた椅子へと促しました。私は促されるまま椅子に腰掛けます。
アリーシャさんとメリアは入り口のところに背筋を正して待機しました。
他のメイドさんたちは私が座ったと同時に、ティーカップとクッキーが乗ったお皿を持ってきてくれました。
準備は万端だったようです。
お二人とも、近くで見るとアリーシャさんと顔立ちが似ているように思います。姉妹なのでしょうか。
湯気の立つ紅茶がティーカップに注がれました。
外は暑かったですが、この部屋は空調を効かせているのか快適な温度です。温かい紅茶も美味しく飲めます。
「学園、ちょっと大変みたいね」
そう言うカトレア様は眉を寄せています。
王太子妃様までお話が聞こえていたようです。あれだけ騒げば学園の外にも話は漏れますよね。
まして、公爵子息と侯爵令嬢の婚約破棄の騒動。
巷でも話題になっていることでしょう。
私は俯いて紅茶の水面を見つめました。
侯爵家の身分を持ちながら、学園という小さな箱庭の平穏を保つことすらできないとは、力不足を痛感します。
「はい。お恥ずかしい限りです」
「あなたのせいだなんて思っている人はいないわ。自分を責めないで」
カトレア様の柔らかな声が耳に優しい。本当に、幼い頃に戻ったかのようです。この方はいつでも私に優しかった。
特に私たちの世代の侯爵家の女性は私とカトレア様だけ。自然と親近感が湧いていました。
そのせいか、カトレア様は本当のお姉様のように私を気にかけてくださいます。
「でもね、私はこれで良かったと思っているの。アスター様は幼い頃からマリーローズの言うことにさっぱり耳を貸さないんだもの」
カトレア様は呆れたため息をつきます。
私がやんちゃな幼いアスター様を諌めたことは一度や二度ではありません。側近の方たちの言うことも無視していました。
成長すれば公爵家の役割や立場を理解してくださると思っていました。
「ハックナイト公爵も、弟のアレス様に家督を継がせようかと考え始めているらしいわ」
「そのほうがよろしいかと」
私は反射的に頷いていました。
カトレア様はゆっくりティーカップを口元に運びます。私も倣って紅茶を一口飲みました。紅茶の香りが鼻に抜けます。
アスター様には五つ離れた弟のアレス様がいらっしゃいます。
まだ十三歳ですが、あの兄の背中を見て育ったせいか、明るさの中に聡明さも持ち合わせております。
公爵家の影響力を理解しているのは、どちらかと言えばアレス様でしょうね。
カトレア様はニコッと笑いました。
「それと、ローダンとのことも聞いているわ」
「っ!?」
私の肩がピクリと小さく跳ねます。同時に顔に熱が集中するのを感じました。
ど、どうしてそんなことまで?
返事まではまだ猶予はありますが、家同士のパワーバランスを考えるとどうしたものか。
もちろん、ローダン様をお慕いする気持ちは今もあります。でも……。
「落ち着いて」
私の焦りを感じたのか、カトレア様はゆっくりと私を制します。
「家のことなんて考えなくていいのよ。あなたのことだから、あれこれ余計なことも含めて考えていたんでしょう?」
カトレア様は私の考えることなどお見通しだったようです。
優しい微笑みが向けられました。
「あなたが考えるべきはローダンのことが好きか、嫌いか。この二つだけ」
カトレア様はたった二択を提示されました。
好きか、嫌いか。
私は本当に、ローダン様のことが好きなのでしょうか。
自分の心に問いかけます。
――マリーローズは頑張り屋だね。無理しちゃダメだよ。
侯爵家の娘として、将来の公爵夫人として、努力していた私を見ていてくださったのはアスター様ではなく、ローダン様でした。
心の奥のずっと奥。自分でもほとんど意識しないくらいの底で鍵をかけていた箱が開いたようでした。
穏やかで温かなものが心の中に広がります。
ああ、そうか。私はやっぱり、今もローダン様のことが好きなのですね。
「私は、ローダン様のことが好きです」
どんな笑顔で、私は答えられたでしょうか。
お読みいただきありがとうございます。
幼い頃に鍵をかけた気持ちがじんわりと広がるマリーローズでした。
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