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第4話 婚約破棄の手続き


 さて、プルーム男爵を調べる前に、片付けなければならないことがありますね。


 その日、私は寮ではなく王都にあるメリディアナ侯爵家の別邸に帰りました。迎えの馬車に揺られて邸宅へと向かいます。

 婚約破棄の件を話し合うためです。寮を離れるのは久しぶりですね。


 食堂での騒動はあっという間に広がり、それぞれの生徒の実家へと伝わったようでした。

 貴族は噂話が好きな人ばかりです。尾ひれもついてどんどん広がります。


 公爵家という立場を考えるよう進言されても聞く耳持たず、私を放り出して他の女性へ走った。

 その女性のことを省みず、ベタベタと付きまとう。

 私の容姿を蔑み、自分の背丈が低いことを逆恨みした。


 様々なストーリーが出来上がっています。


 ハックナイト家が火消しに奔走したようですが、もう手遅れだったそうです。


 我が家の応接室に役者は揃いました。白い壁には花を模したランプが飾られ、暖炉の上には領地にある本邸が描かれた大きな絵が掲げられています。


 その前に置かれたテーブル席に、私たちは座っていました。

 ハックナイト公爵家からは公爵ご本人とアスター様。

 メリディアナ侯爵家からはお父様とお兄様、そして私。どうしてお兄様までいるのでしょう。


「では、ハックナイト卿。これにサインを」


 お父様が一枚の紙を机の上に差し出しました。厚みがあり、縁を金で箔押しされた立派な用紙です。

 婚約破棄の内容が書かれた書類になります。お父様と私はサイン済みです。これに公爵とアスター様が署名されれば、婚約破棄は成立します。


「待ってくれ! 考え直してくれないか。マリーローズ嬢以外に、公爵夫人に相応しい女性はいない」


 ハックナイト公爵が前のめりになって嘆願します。アスター様はそれを疎ましそうに見ていました。


 貴族の間で広まっている噂の内容を知らないのでしょうね。


「考え直す余地はありませんな。立場ある人間として慎みを説いてきたことだけでなく、容姿すら貶されては親として看過できません」


 お父様は低い声でハックナイト公爵の嘆願を切り捨てます。項垂れるハックナイト公爵の金髪が顔の横にサラリと垂れ下がりました。

 そんな父親をよそに、アスター様は書類にサラサラとサインをしました。


「お前、何をしているのかわかっているのか!?」


 ハックナイト公爵は思わず声を荒げました。

 息子の失態を何とか取り繕うとしているのに、本人がそれを無下にしているのです。怒るのは当然のことです。


「父上、早くサインをしてください。こんな女は公爵家に相応しくない」


 ハックナイト公爵は唖然としてアスター様を見つめました。息子が何を言っているのか理解できない。そんな顔です。

 学園でのアスター様を知らないハックナイト公爵がそう反応するのは無理もありません。


 今までのアスター様からは考えられない発言ですもの。


 ダンッとテーブルが乱暴に叩かれました。お兄様の拳です。


「お前……マリーが幼い頃から公爵夫人になるためにどれだけ努力をしてきたのかわからないのか!?」

「お兄様」


 私はそっとお兄様の拳に手を添えました。その拳は怒りに震えています。

 いつも冷静沈着なお兄様がここまで感情を露わにすることは滅多にありません。精悍な顔立ちが怒りに満ちています。


「そんなもの俺が望んだことじゃない!」


 アスター様も声を荒げました。忌々しく緑の瞳でこちらを睨みつけます。


 私たちの婚約は生まれた瞬間から決まっていたことでした。

 自分たちが望んでいないのに、婚約者だと紹介され、婚約者だからと交流を重ねてきました。


 それなりに仲良くしていると思っていたのは、私だけだったのかもしれません。小さなため息がこぼれました。


 社交界で噂が飛び交い、ここまで拗れた関係を修復するのは、もはや容易ではないでしょう。

 そもそもアスター様にその気がありません。もちろん、私の心の中にも未練のかけらはありません。


 ハックナイト公爵は黙って、書類にサインをしました。


 ふわりと書類が浮き上がり、淡い光を放ちながら二つに分かれました。お父様とハックナイト公爵の前にひらりと書類が舞い降ります。


 これでこの婚約破棄は成立致しました。


 アスター様は満足げに頷き、椅子から立ち上がります。


「清々した。これでルピナスに求婚しても文句は言われまい」


 ルピナスさんに求婚ですって? 何を考えていらっしゃるの?


 聞いたことのない名前に、ハックナイト公爵は首を傾げました。


「誰だ、それは?」

「マリーよりもずっと公爵夫人に相応しい可憐で賢い女性です」


 アスター様はまるで女神を崇拝するような恍惚とした表情を浮かべました。

 ルピナスさんをどこまで美化しているのかしら。可愛らしい容姿には同意しますが、本人も学業はちょっと不安と仰っていましたよ。


 やはりおかしい。人を見る目がないという次元を超えています。


 いえ、それよりもアスター様の求婚をルピナスさんが拒否できるわけがありません。プルーム男爵は喜んでお受けして、ルピナスさんを差し出すでしょう。

 思っていたよりもルピナスさんの立場が危ういです。早急に対処せねばなりませんね。


 ハックナイト公爵とアスター様が帰った後も、お兄様は怒りが収まらない様子です。こげ茶色の髪を乱暴にかき乱しています。


「アスターのやつ、何様のつもりだ!」

「公爵家も、地に落ちたものだな」


 お父様もため息交じりです。お兄様と同じこげ茶色の髪を撫でつけました。


「お話は終わりましたの?」


 応接室にお母様が入ってきました。プラチナブロンドの髪を後ろでまとめ上げ、シンプルな水色のドレスを纏っています。

 ちなみに私の白い髪は父方のおばあ様譲りだそうです。生まれた時は「あら、おばあ様そっくり」となったと笑い話で聞きました。


 お母様もいらっしゃったなら都合がいいわ。早急な対応のためにも、家族の力を借りなければなりません。


「お父様、お母様、お兄様。お話とお願いがございます」


 私は学園でのアスター様、ラタム様、ニゲラ様の様子をお伝えしました。

 ルピナスさんが困っていること、私たちの言葉には耳も貸さないこと、そして、プルーム男爵の動きが奇妙だということ。


 聡明な私の家族は私が疑問に思っていることもすぐに理解してくださいました。


 お父様はゆっくりと頷きました。


「確かに妙だな。今日のアスターの態度も頷ける」

「それよりもプルーム男爵ですわ。妻を石女《うまずめ》だなんて!」


 お母様はプルーム男爵の夫人への仕打ちにご立腹のようです。私もそう思います。

 お兄様もプルーム男爵の様子が気になるようです。


「高い身分の者と交流を持てというのはわからなくもないが、どこから見初められるような自信がくるんだ?」


 怪訝な顔でお兄様が考え込みます。容姿だけで釣られるような高位の貴族はそうおりません。


 ただ、実際にアスター様が求婚するとまで言っているのです。プルーム男爵の思惑通りに事が進んでいます。

 それでルピナスさんが幸せになるなら私も黙っています。しかし、そうなる未来が想像できません。


「わかった。プルーム男爵について探りを入れてみよう」

「お願い致します」


 お父様の了承を得て、内心ほっとしました。


「私のほうもつついてみるわ。奥方が気の毒すぎるもの」


 お母様の奥様情報網が発動するのですね。

 プルーム男爵はどうなることやら。まあ、ルビナスさんやお義母様に害がなければそれでいいですわ。


 話がまとまりかけたところで、部屋のドアがノックされました。


 お父様が返事をすると、お父様の執事のオーキッドがドアを開けました。

 白髪交じりの紫の髪をオールバックにまとめ、黒縁眼鏡をかけた我が家のベテラン執事です。


「セレスタ家のローダン様がお見えになっております」


 私たちは思わず顔を見合わせました。


 え? こんな時間に、どうしてローダン様が?


お読みいただきありがとうございます。

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