第2話 勢いに任せた婚約破棄宣言
お茶会から二日後の昼休み。私はいつも通り一人で食事をしていました。
大抵は婚約者と一緒に昼食を取るものですが、私の婚約者様は他の方に夢中です。
サフィニア様とイベリス様とは学年が違うので待ち合わせも一苦労になります。
私の真っ白な長い髪は目立つほうなのですが、如何せん食堂は混み合います。
お見かけしたら一緒に食べる程度です。
侯爵令嬢の私の近くに座る勇気のある殿方など滅多におりません。
故に、私の周りの席は常に空席です。
時折、顔見知りの方が来てくださります。
「マリーローズ様、失礼します」
そう言って、私の正面の席に座ったのはスラウ・サーペンティン様でした。
騎士団副団長のご子息で、藍色の髪を短く整えた爽やかさのある方です。年齢は私より二つ上。アスター様と同じ最高学年の三年生です。
「スラウ様、ごきげんよう」
私は食事の手を止めて微笑みました。スラウ様も笑顔を返してくださいます。
幼い頃から顔を合わせてはいますが、特に話題もなく食事の手を進めました。きっと一人で食べている私へのスラウ様なりの配慮でしょう。
今日のランチは鶏肉のソテー。ナイフはスッと入り、柔らかく焼かれたお肉が口の中で解けます。
食堂のシェフの技術が光りますね。今日も美味しゅうございます。
お兄様が仰っていた通り、食堂の料理は町の高級店にも劣りません。
そんなお料理を毎日いただけるのですから、ありがたい限りです。
なんてことを言っていると、我が家のシェフにヤキモチを妬かれてしまいますね。
食事を終えて、一息ついた頃でした。
「おい! マリー!」
不機嫌な声で呼ばれました。声の主は振り返るまでもなくアスター様でしょう。
私は椅子から立ち上がり振り返ります。
声と同様に不機嫌な緑色の眼差しがこちらを睨んでいました。腕を組んで何か言いたそうです。
「どうかしましたか?」
私は背筋を伸ばして首を傾げました。
アスター様の眉間のしわが深くなります。なにがそんなに気に食わないのでしょう。
「お前、なんでお茶会にルピナスを呼ばなかった?」
憮然とした声がアスター様の口から出てきました。
お茶会? 先日、サフィニア様たちと行ったことでしょうか?
「なんでと申されましても。先日は親しい人と数人で喫茶店へ行っただけです。他のご令嬢方にも声をかけていませんよ」
お茶会と呼べるような会ではありません。ただ親しい友人と出かけただけですもの。
それでも、その答えはアスター様の納得いくものではないようです。苛立つ視線は変わりません。
「そもそも、私はルピナスさんと一度も言葉を交わしたことがありません。仮にお呼びしたとしても、ただ委縮させてしまうだけですわ」
あなた方のおかげで、私はルピナスさんと挨拶を交わすことすら出来ていません。
いきなりお茶会に招待したとしても、知らない人ばかりで身分の低いルピナスさんが委縮してしまうのは目に見えています。
遠目で見ていても、彼女がアスター様たちにちやほやされて浮かれるような人ではないことはわかります。
「そこを何とかするのがお前の役目だろう!」
刺々しい言葉が飛んできました。
確かに高位の貴族として、貴族同士の間を取り持つことは時には必要です。しかし、相応の順序というものがあります。
いつの間にかラタム様とニゲラ様もアスター様の後ろにいらしていました。
この際ですから、はっきり言いましょう。
「ならばまず、ルピナスさんが同じクラスのお友達が出来るよう配慮してくださいませ。あなた方がお昼休みも放課後もルピナスさんの隣にいては、他の学生が彼女と会話ができません」
「なっ!? 俺たちが邪魔だというのか!?」
アスター様が目を見開いて声を荒げます。
そんなに驚くほど、ご自覚がなかったのですね。
ご自分がどれだけ影響力を持つ立場なのか自覚するよう長年お伝えしてきたはずなのに、私の言葉は届いていなかったようです。
私はいったい、この十六年間、誰とお話をしていたのでしょうか。
心の中の何かがポロポロと崩れ始めました。
自然と口からため息がもれます。
「ご自覚がないのですね」
この時の私は、どんな顔をしていたのでしょう。
呆れていたのでしょうか。
憐れんでいたのでしょうか。
アスター様の顔がどんどん赤くなっていきます。ああ、これは爆発しますね。
「お前はいつもそうだ! 俺のすることに口うるさく、立場を考えろだの、周囲を見ろだの!」
彼の大声で周囲が静かになりました。何事かとこちらに向けられる視線を感じます。
離れている場所はまだこちらに気付かず、会話が続いているようです。
「だいたい、幽霊みたいな白い髪も! 見下ろしてくる濁った青い目も嫌いなんだ!」
アスター様は肩で息をしながら鋭い視線を向けてきます。
濁ったとは失礼ですね。なにより、私のほうが少しだけ背は高いのです。
見下ろすことは物理的に必然といいますか。ただ、言うほど差はないので見下ろしていない気がするのですけれど。
「もういい! お前との婚約は破棄だ!!」
アスター様は一層大きな声で叫びました。
その声に、ついに食堂が静まり返ります。厨房から皿を洗う音だけが流れていました。
このような人が集まる公の場で出た言葉は、二度と口に戻ることはありません。
人の口に戸は立てられぬと申します。すぐに学園中に広まるでしょう。
どうやら私に、この方をお支えすることはできなかったようです。
後ろのお二方は流石にまずいのでは、と顔を引きつらせています。しかし、止める素振りはありません。
ここで口論しても、もう無意味でしょう。
「かしこまりました。そのように」
私は一礼して食器を下げようと後ろを向きます。
スラウ様のオレンジ色の瞳が、ほくそ笑んでいました。いったい何を考えているのか。感じ取ることができません。
「人の痴態を見て微笑むのは、趣味が悪うございますよ」
「申し訳ありません。彼は変わらないなーと」
スラウ様は小さなため息をつきました。
「私はこれで。やることがありますので」
スラウ様に会釈をして、トレイを手に取りました。足早に食器の返却口へ向かいます。私の動きを皆が見ていました。
けれど、気にしてなどいられません。やることが色々あります。
アスター様はまだ言い足りないのか何やら喚いていますが、もう相手にする必要はございません。
私は教室へ行くと、緊急連絡用に持っていた魔法の便箋を机に取り出しました。
魔法を込めて作られた特別な便箋です。これはシンプルなもので、少し灰色がかった色をしたものです。
お父様宛に、今までのアスター様たちの様子、今日のやり取りを記します。
書き終えると、パッと光を放ち小鳥の姿へと変化しました。
小鳥は窓ガラスをすり抜けて飛んでいきます。羽ばたきはあっという間に見えなくなりました。
すぐにお父様へ届くはずです。
お読みいただきありがとうございます。
便利グッズ『魔法の便箋』届けたい人にすぐ飛んで行ってくれます。
水に濡れても平気です。




