第17話 正式な婚約を
「君の想いを踏みにじっているのは、君自身だよ」
聞き覚えのあるこの声は、ローダン様のものです。ですが、穏やかさは影を潜め、相手を非難する響きがありました。
私は抱えられているのか、背中にぬくもりを感じます。
スラウ様の視線が私よりも少し上に向けられていました。憎悪を湛えた厳しい視線です。
「邪魔をするな」
「断られたのに、相手が嫌がるほど詰め寄っているのは見過ごせなくてね」
低い声を出すスラウ様に、ローダン様は怯むことなく返します。
「足元を見てごらん。もう君が贈れる花はないよ」
ローダン様の言う通り、スラウ様は自分が持ってきた花束を、自分の足で踏みつぶしていました。
バラの花びらで赤い絨毯が出来上がっています。
それを見たスラウ様はギリッと歯を食いしばり、何も言わずに走り去っていきました。
サフィニア様とイベリス様のホッとした息遣いが聞こえてきます。周囲からも安堵の吐息が漏れていました。
私も深く息をついて心を落ち着かせます。斜め後ろを見上げると、見覚えのある金髪が見えました。
「ありがとうございました」
言葉は出せましたが、声は真っ直ぐ出せませんでした。不自然に揺れてしまいます。
「遅くなってごめん。まさかあんなことまでするなんて思わなくて」
見下ろすローダン様はすまなさそうに眉を寄せていました。
来てくださっただけで十分です。私はゆっくりと首を横に振りました。
ローダン様は私から一歩離れ、手にしていた花束を差し出しました。
小さな白い花が可愛らしい花束です。大きさもスラウ様が持ってきたような、持ち運びに困るサイズではありません。
「改めて、受け取ってもらえるかな?」
「はい、もちろんです」
私の答えは、もう決まっていました。受け取る以外の選択肢はありません。
パラパラと、周囲から拍手が起こりました。
まさかこんな祝福を受けるとは思わず、慌てて周囲に頭を下げました。ローダン様も照れくさそうに笑って会釈をします。
それからローダン様も交えて、四人で露店を見て回りました。
アクセサリーを扱うお店が多く、サフィニア様はつい目移りしてしまっているようです。
イベリス様も可愛らしい蝶のデザインの髪留めがお気に召したようです。薄紫の髪にはきっと似合う髪留めです。
私はローダン様から頂いた星のペンダントがありますし、特に何か欲しいとは思いませんでした。
眺めているのは楽しいですけどね。
「何か気に入ったものはあったかい?」
ローダン様から声をかけられました。私は見上げて首を横に振ります。
「先日頂いたこれがあれば、何もいりませんわ」
胸元につけている星のペンダントに触れて答えると、ローダン様は柔らかな笑みを浮かべました。
髪飾りやアクセサリーもお兄様やキュラスお義姉様から誕生日に頂いただいているので、たくさんあります。
しかもすべて、私の好みのデザインです。文句なんてありません。
物欲がないと言われることもありますが、わざわざ買い足す必要がないのです。
「ローダン様。正式な婚約は早いほうがいいですわ。見知らぬ令息まで何人も花束を渡そうとしていたんですから」
サフィニア様はローダン様が来るまでの間のことを話しました。
それを聞いていたローダン様の表情が曇ります。
「ちょっとこのまま、メリディアナ家に行こうか」
にっこり笑うその笑顔に、頷くしかありませんでした。でも、私もそのほうが身のためだと思います。
サフィニア様とイベリス様と別れ、私たちはメリディアナ侯爵家へと向かいました。
玄関には大きな花束が飾られています。きっとお父様がお母様にお渡ししたものね。
出迎えてくれたメイドたちは花束を持った私と、隣にいるローダン様の姿を見て色めき立ちました。
急いでお父様とお母様を呼びに行きます。
慌てて出てきたお母様は私が持ち白い花束を見て「まあまあ」と大喜びです。
「お嬢様。お花をお預かりします」
メリアがサッと近づいてローダン様から受け取った花束を預かってくれました。
「可愛く生けてあげてください」
「かしこまりました。そちらは?」
メリアは渡さなかった小さな花束に目を落とします。
「こちらはお兄様から頂いたものです。寮の部屋に飾ろうかと」
「左様ですか」
メリアは微笑んで一礼して、去って行きました。
お父様とお母様が足早に近づいてきました。
お母様は薄っすらと目に涙を浮かべています。
「マリー、決心してくれたのね」
「はい」
「それなら、私たちも歓迎しよう」
私の答えに満足したのか、お父様も穏やかに頷きました。それからローダン様に目を向けます。
「知っての通り、頑固で融通の利かない娘だが、よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ローダン様もお父様に深く頭を下げました。
失礼ですね。誰が頑固ですか。お兄様よりは融通が利きます。
お父様が少し心配そうに口を開きました。
「これからセレスタ家へ行くのは、大丈夫か?」
「はい。両親にはメリディアナ侯爵ご夫妻が大丈夫なら、マリーと一緒に来るようにと言われています」
ローダン様が頷きました。
トントン拍子に婚約話が進んでいきます。
さすがに徒歩ではいけませんので、急遽馬車を用意してもらいます。
お屋敷中のみんなが浮足立っていました。
皆さん、落ち着いて。いつも通りのお仕事ができなくなりますよ。
馬車は順調に準備され、四人でセレスタ侯爵家へ向かいます。
幼い頃は何度か行っていましたが、最近はずっと足が遠のいておりました。
セレスタ侯爵夫妻にお会いするのも久しぶりです。
大きな黒い門を抜け、セレスタ侯爵家へ入ります。相変わらずお庭は華やかな花に彩られ、全ての木が同じ形に整えられていました。
馬車を下りると、何人もの使用人たちに出迎えられました。
同じ侯爵家なのに、我が家とは違ってどこか緊張感があります。
お屋敷の見上げるような扉が開かれると、セレスタ侯爵夫妻がお待ちでした。
「メリディアナ侯爵、そしてマリーローズ。この度は息子の無理を聞いてくださり、ありがとうございます」
セレスタ侯爵が深々と頭を下げます。その所作はローダン様と同じでした。
お父様も慌てて頭を下げます。
「こちらこそ、ありがたいお話を頂き感謝いたします」
セレスタ侯爵夫人もスッとお辞儀をしました。
「お久しぶりです、メリディアナ侯爵夫人。マリーローズも美しく成長しましたね」
セレスタ侯爵夫人はニッコリと穏やかな笑顔を浮かべました。
私もお母様と同じタイミングでお辞儀をします。
「ご機嫌麗しゅうございます。この度は願ってもいない申し出をありがとう存じます」
お母様も笑顔で答えました。
両夫妻は顔を見合わせ、フッと吹き出しました。
「堅苦しい挨拶はこのくらいにしよう。くすぐったい」
セレスタ侯爵は軽快に笑いました。これこそが私の知っているおじさまの笑顔ですわ。
お父様とセレスタ侯爵も幼馴染の間柄。こんな堅苦しいやり取りはこそばゆいのでしょう。
応接室へ通された私たちは、早速婚約の契約を交わしました。特に揉めることもなく、順調に進みます。
手続きが終わったところでローダン様が切り出しました。
「実は、ちょっと今日、気になったことがありまして」
その言葉に、お父様たちは不思議そうな顔をします。
私はローダン様に促され、今日、学園を出てからローダン様に会うまでのことをお話しました。
「実は――」
私の説明にお父様の顔が、雨が降る直前のような曇天くらいに曇りました。お母様も眉間に深いしわを寄せています。
セレスタ侯爵夫妻も苦い顔をしていました。
お父様は苦々しく尋ねてきます。
「サーペンティン家のスラウだと? 懇意にしているのか?」
「いえ、私にそのつもりはありません。校内でも食堂でたまに会う程度です」
私は首を横に振りました。
スラウ様は三年生。合同の授業なんてありませんから、普通に生活していたら会うことはありません。
「なるべく早くこの婚約は発表しましょう。これが牽制になるかは、わかりませんが」
セレスタ侯爵夫人が提案してくださいました。
正式には諸々の手続きがまだ必要なので、今は内定の段階です。これが効けばいいのですが……。
☆
何故だ。どうしてだ。
どうしてマリーローズは僕を見ない。
どうしてマリーローズは僕に微笑まない。
邪魔なアスターは排除した。
なのにどうしてまた邪魔が入る。
どうすればいい。
考えろ。考えるんだ。
……そうか。二人きりになればいい。
そうすれば、マリーローズの目には僕しか映らない。
そうすれば、マリーローズの耳には僕の声しか届かない。
そうすれば、マリーローズは僕のことしか考えない。
そうすれば、マリーローズは僕だけに微笑んでくれる。
お読みいただきありがとうございます。
婚約の手続きは無事に終わりました。しかし、不穏な空気が漂い始めてしまいました。
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