第11話 ルピナスの限界
夏休みが明けても、アスター様たちの行動は変わりありません。
朝は寮の門前まで迎えに来て登校、お昼休みには教室まで来て食堂へ連れて行き、放課後にはテラス席へ連れて行ってお茶をする。
日に日にルピナスさんがやつれていくのがわかります。
前期は気を張っていたようですが、夏休みの連れまわしがかなり効いたのかもしれません。
何か手を打たねば。
そう思っても、良い案が浮かびません。
胸元の星のペンダントが微かに揺れました。
侯爵令嬢など名ばかり。なんて情けない。
ため息を飲み込んで寮の階段を下りていくと、何やら玄関辺りが騒がしくなりました。
何事でしょう?
「しっかり! もう少しよ!」
ダリアさんの緊迫した声が談話室に響きます。肩を抱えているのはルピナスさんです。ルピナスさんは苦しそうに胸の辺りをぎゅっと握りしめていました。
二人の後ろから鞄を三つ抱えたカルミアさんがついてきています。
ダリアさんはルピナスさんをソファに座らせ、背中をさすり始めました。
「大丈夫ですか!?」
私は慌てて駆け寄りました。
ルピナスさんの身に何があったのかしら。こんなに苦しそうに呼吸をするなんて。
息を吸うたびにヒューヒューと喉が鳴っています。顔面は蒼白。肩で大きく息をしています。
こんな症状は初めて見ました。どうすれば……。
「私、アルラ先生を呼んできます!」
ダリアさんがルピナスさんの身体を背もたれに預けて立ち上がりました。
学園には常駐してくれている校医の先生がいます。ルピナスさんを校舎まで運ぶのが難しい以上、先生を呼ぶしかありません。
私は背を向けようとした彼女に声をかけます。
「職員室の先生にも報告をお願いします!」
「はい!」
ダリアさんは頷いて、走り出しました。
カルミアさんが鞄をテーブルに置いて、ルピナスさんの隣に座ります。震える手で彼女の手を握りました。
「ルピナスさん、しっかり……!」
カルミアさんが声をかけると、ルピナスさんは苦しそうな呼吸をしながらも頷きます。
私もルピナスさんの隣に座って身体を支えました。
「どうしました!?」
階段を駆け下りてきたのはフリージア様でした。ルピナスさんの様子を見て、蒼い目を丸くします。
フリージア様はルピナスさんの前で膝をつき、片手を握りました。
ルピナスさんの手は人差し指から小指が揃ってピンと伸び、親指だけが内側へ曲がっています。
「ルピナスさん、指を広げられる?」
フリージア様が尋ねると、ルピナスさんは手に目線を落としました。しかし、指は広がりません。プルプルとわずかに震えるだけです。
それを見たフリージア様は頷いてルピナスさんを横にするよう、私たちに促しました。
指示を受けた私とカルミアさんは立ち上がり、ルピナスさんをソファの上で仰向けに寝かせます。
その間も、ルピナスさんの呼吸は荒く、風が吹き抜けるような音が響きました。
「落ち着いて。今は息が吐けていない状態なの。吸うことより、吐くことを意識して」
フリージア様はゆっくりとルピナスさんに伝えました。ルピナスさんは怪訝そうな顔をしましたが、頷いて目を閉じました。
ハッ、ヒューとなかなか息を吐けない状態が続きます。彼女の身に起きていることがフリージア様にはわかっているようです。
「安心して、必ず落ち着くから。フー、フー」
フリージア様はご自分でも息を吐いて、ゆっくり呼吸をするよう誘導していきます。
私とカルミアさんはただ祈ることしかできません。
すると、ルピナスさんの呼吸が少しずつゆっくりになってきました。喉が引きつるような音も徐々に落ち着いていきます。
ハアハアとまだ苦しそうですが、先程よりずっと楽になったようです。
ルピナスさんはゆっくりと起き上がりました。膝をついているフリージア様を見つめて、小さく会釈をします。
「ありがとう、ございます……」
「落ち着いて来たわね。良かった」
フリージア様は優しくニコッと微笑みました。
「あの、今のはいったい何だったのですか?」
カルミアさんがフリージア様に尋ねます。私もあんな呼吸は見たことがありません。
「過呼吸よ。私も稽古で心身が限界に来るとなったりするから、対処はもう慣れたものだわ」
フリージア様はあっさりとした様子で答えました。
あ、あんな事、慣れるものなのですか? とても苦しそうに見えましたが……。
フリージア様は騎士のご家庭ですから、女性と言えど厳しい剣の稽古をされているのですね。
でも、どうしてルピナスさんがそんな状態に?
今は登校時間です。身体に負担がかかるようなことはしないはずです。
「大丈夫!?」
そこへ駆け足でやって来たのは校医のアルラ先生とダリアさんでした。
アルラ先生はルピナスさんを見てホッとした顔をしました。聞いた情報よりも落ち着いた状態だったからでしょう。
アルラ先生もダリアさんも全速力で走ってきてくださったようです。
先生の後ろで一本に結われた薄緑の髪が少し乱れ、白衣も肩から落ちそうになっています。
ダリアさんは赤い髪が乱れ、膝に手をついて息を整えていました。
「先生、大丈夫です。過呼吸でした」
フリージア様が立ち上がってルピナスさんの容態を説明しました。アルラ先生の顔がしかめられます。
「ルピナスさん、どういう状況でなったの?」
アルラ先生に尋ねられ、ルピナスさんの表情が急に暗くなりました。カルミアさんが隣に座り、そっと肩に手を添えます。
ルピナスさんの唇が震えています。
「も、門の前に、いた、あ、アスター様たちを、見たら、急に、苦しくなって……」
あの三バカどもですか!
ルピナスさんの身体が小刻みに震えています。カルミアさんはギュッと彼女を抱きしめました。
アルラ先生はため息をつき、額に手を当てます。フリージア様も目つきが厳しくなりました。
「ルピナスさん、お部屋に行って休みましょう。話はゆっくり聞くわ」
アルラ先生はルピナスさんを促しました。カルミアさんはルピナスさんから離れ、一緒に立ち上がります。
先生とルピナスさんは階段を上って彼女の部屋へ向かいました。
「ほんっとうにいい加減にしてほしいわ! 寮の前まで来るなんてしつこいにもほどがあるわよ!」
ダリアさんは怒りを爆発させました。
毎朝、寮の門の前まで来る彼らは日常の光景になっていましたが、冷静に考えるとやはり異常です。
「私、悔しいです。友達がこんなに苦しんでいるのに、何もできないなんて……」
カルミアさんは両手で溢れ出る涙を押さえます。
一緒に寮を出ても、門を出ればアスター様たちにルピナスさんを奪われてしまう。それが毎日です。
疲弊していく友人をただ見ているだけ。悔しいはずです。
彼らを御する手段が私にないばかりに、こんなことになるなんて。
「マリーローズ様、そんなに思い詰めないでください」
落ち着いた声でフリージア様が声をかけてくださいました。
「侯爵家だからと皆の手本となろうとする姿勢は本当に素晴らしいです。でも、一人で出来ないことはたくさんあります。私たちを頼ってください。一人で出来ないことは、みんなでやればいいんです」
「みんなで、ですか?」
ですが、大事に巻き込むわけには……。
「そんな顔しないでください」
どうやら顔に出ていたようです。フリージア様はクスッと笑います。
「実はB組やC組のみんなとも、話していたんです。作戦会議は、今日の放課後ですよ」
フリージア様はダリアさんとカルミアさんを振り向きました。
「二人ももちろん参加よ。女子の団結力、見せてあげましょう」
ニヤリと不敵に笑うフリージア様は、一個隊を預かる騎士のようでした。
お読みいただきありがとうございます。
ここから女子が反撃します。淑女はただ慎ましやかにしているだけではありません。




