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城壁横の古龍さんは住民票がありません  作者: 乾燥しいたけ
第一章 赤い布の内側で

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第5話 ドラゴン、パン屋に匂いで負ける



ドラゴン生活二日目・夕方前。


俺、竜咲空。


現状、巨大ドラゴン。


正式住民ではなく、西門外の草地で仮滞在中。


朝には、寝返り申請が必要になった。


昼には、起き上がる手順が作られた。


そして今。


俺は、人生で初めてパンを食べるための安全手順を待っている。


いや、人生で初めてではない。


人間だった頃は、普通にパンを食べていた。


コンビニのカレーパンも食べたし、朝にトーストをかじったこともある。


でも、巨大ドラゴンとしてパンを食べるのは初めてだ。


しかも、街の安全に関わる。


パンを食べるだけで。


「ソラ殿」


赤い布の外側で、リシェルさんが書類板を構えていた。


「はい」


「食事手順を読み上げます」


「お願いします」


「第一。食事中、首を街側へ向けないこと」


「はい」


「第二。咀嚼時の破片飛散に注意すること」


「パンの破片って、そんなに飛びます?」


「あなたの顎の力が不明です」


「はい」


「第三。嚥下時にむせた場合、鼻息および咳を上方向へ逃がすこと」


「むせたら大惨事ですね」


「大惨事にしないための手順です」


「はい」


「第四。食物が想定より小さい場合、舌で巻き込まず、前歯で慎重に受け取ること」


「俺、パンを舌で巻き込むタイプの怪物だと思われてる?」


「可能性を排除できません」


「排除してほしかった」


「第五。おいしいと感じても大声を出さないこと」


俺は黙った。


それは、かなり難しいかもしれない。


人間の頃から、熱々の唐揚げとかうまいラーメンを食べた時、つい声が出るタイプだった。


今それをやると、城壁の旗が揺れる。


下手をすれば、パン屋の屋根も揺れる。


「……善処します」


「善処ではなく、遵守してください」


「はい」


リシェルさんの声が少し疲れている。


昨日からずっと俺の対応をしているのだ。


巨大ドラゴンの警鐘対応。


仮滞在条件。


寝返り申請。


起床手順。


食事手順。


俺が存在するだけで、彼女の仕事が増える。


しかも、たぶん前例がない。


竜用の行政マニュアルなんて、普通は存在しないだろう。


「リシェルさん」


「はい」


「すみません。俺のせいで仕事増えてますよね」


リシェルさんは筆を止めた。


ほんの少しだけ。


「増えています」


正直。


「ですよね」


「ですが、記録と手順がなければ、あなたも街も危険です」


「はい」


「ですので、必要です」


また、必要。


けれど今の必要は、少しだけ優しく聞こえた。


俺を責めるための必要じゃない。


街を守るため。


俺を不用意に討伐対象へ戻さないため。


たぶん、その両方だ。


「ありがとうございます」


「受け取っておきます」


リシェルさんはそれだけ言って、書類に目を戻した。


俺は、そっと息を吐いた。


上へ。


細く。


もう少し、うまくやれるようになりたい。


せめてパンを食べるくらい、誰も困らせずに。


しばらくすると、西門の内側から荷車が出てきた。


門そのものは、まだ完全には開かない。


人が通れる幅だけを慎重に開け、兵士が何人も見守る中、小さな荷車が外へ出てくる。


荷車を押していたのは、恰幅のいい中年女性だった。


腕が太い。


腰も強そう。


前掛けには小麦粉がついている。


見るからに、パン屋。


その女性は、俺を見上げた。


目が合った。


普通なら叫んでもおかしくない。


俺なら叫ぶ。


しかし、彼女は少し目を丸くしただけで、すぐに腕を組んだ。


「でっかいねえ」


第一声がそれだった。


俺は、なんだか拍子抜けした。


「はい。すみません」


「謝ることじゃないよ。でかいもんはでかいんだから」


強い。


この人、かなり強い。


リシェルさんが横から説明する。


「ソラ殿。こちらは西門通りのパン屋、グレタさんです」


「グレタです。焦げた試作品ならあるって言ったのは私だよ」


「竜咲空です。ソラって呼んでください」


「ソラね。竜さんって呼んでもいいかい?」


「はい。大丈夫です」


「じゃあ竜さん」


グレタさんは、荷車の布をめくった。


そこには、黒っぽい丸パンがいくつも積まれていた。


焦げている。


確かに焦げている。


でも、匂いは悪くなかった。


香ばしい。


麦の匂いが強い。


少し酸味。


少し甘み。


焼きすぎて苦そうな部分もあるが、腹が減っている今の俺には、普通にごちそうに見えた。


腹が鳴った。


ごおおおん。


荷車の布が揺れた。


グレタさんが目を丸くする。


「腹の音まででっかいねえ!」


「すみません!」


「謝る時、声を抑えてください」


リシェルさんの注意が飛ぶ。


「はい」


俺は口を閉じた。


グレタさんは笑った。


俺を見て、初めて普通に笑った。


「まあ、腹が減るのは生きてる証拠だよ」


その言葉は、思ったより胸に来た。


生きてる証拠。


俺は危険物で、未確認大型竜種で、仮滞在者で、寝返り申請対象だ。


でも、腹が減る。


生きている。


その当たり前を、誰かに軽く言われるだけで、少し救われることがある。


「ありがとうございます」


俺は小さく言った。


今度は、旗があまり揺れなかった。


リシェルさんが言う。


「発声量、良好」


地味に嬉しい。


食事手順は、思っていた以上に厳しかった。


まず、グレタさんがパンを直接投げるのは禁止。


俺が反射的に口で受けようとして動く可能性があるからだ。


次に、兵士が長い木板の上にパンを置き、赤い布の内側ぎりぎりまで差し出す。


俺は首を低くして、前歯でそっと受け取る。


噛む時は、街とは反対側を向く。


飲み込む時も、鼻息は上。


むせた場合は、即座に停止。


何を停止するのか分からないが、とにかく停止。


「では、一つ目を開始します」


リシェルさんが言った。


木板の上に、焦げた丸パンが置かれる。


人間の手なら大きめのパンだ。


でも、今の俺には豆粒に見える。


「小さい……」


「食物が想定より小さい場合の手順を思い出してください」


「前歯で慎重に」


「はい」


俺は首を下げた。


ゆっくり。


ゆっくり。


地面が近づく。


パンの匂いが強くなる。


やばい。


うまそう。


一日以上何も食べていない体に、焼きたてではない焦げパンが宝石みたいに見える。


「ソラ殿、目が近すぎます」


「はい」


少し離れる。


前歯で、そっと。


本当にそっと。


パンをつまむ。


つまんだ瞬間、パンの端が少し砕けた。


「あ」


「停止」


俺は止まる。


リシェルさんがすぐに確認する。


「破片落下。飛散なし。継続可能」


「パン一つでここまで緊張するとは」


「こちらの台詞です」


リシェルさんの声が少し低い。


本当に申し訳ない。


俺はパンを口の中へ入れた。


小さい。


あまりにも小さい。


舌の上に乗った瞬間、どこにあるか分からなくなりそうだ。


でも、味は分かった。


焦げの苦み。


麦の甘み。


表面は硬い。


中は少し詰まり気味。


でも、噛むと香ばしさが広がる。


空腹のせいもある。


でも、それだけじゃない。


ちゃんと、パンだ。


街の誰かが作ったパンだ。


俺は目を閉じた。


うまい。


言いたい。


ものすごく言いたい。


でも、大声禁止。


俺は必死に声を抑えた。


「……おいしいです」


小さく言えた。


城壁の旗は、ほとんど揺れなかった。


リシェルさんが記録する。


「食事時発声、良好」


グレタさんが腕を組んで笑った。


「焦げたやつをうまいって言うなら、よっぽど腹が減ってたんだね」


「焦げてますけど、香ばしいです。あと、中がもう少し軽かったら、もっと食べやすいと思います」


言ってから、俺は少し驚いた。


味がかなり細かく分かる。


人間の頃より、舌がいいのかもしれない。


いや、鼻がいいのか。


麦の香り。


焦げ具合。


中の湿り。


発酵の酸味。


前よりずっとはっきり感じる。


グレタさんの目が少し変わった。


「中が重いって分かるのかい?」


「はい。外側が硬いのは悪くないと思います。でも中が詰まりすぎてて、噛むと少し苦みが勝ちます」


「へえ」


グレタさんが荷車から別のパンを取り出した。


「じゃあ、こっちは?」


リシェルさんが即座に言う。


「追加試食は手順確認後です」


「おっと、そうだったね」


グレタさんは悪びれない。


リシェルさんの仕事がまた増える顔をした。


でも、少しだけ空気が変わった。


俺はただ食べるだけの巨大生物ではなく、味を見られるかもしれない。


グレタさんは、そこに気づいた。


リシェルさんも、たぶん気づいた。


リシェルさんは、もう書いている。


「ソラ殿、食味の詳細識別あり」


「やっぱり書いてる!」


「重要です」


「ですよね」


重要。


また重要。


でも今回は少し嬉しい。


俺の巨大な体が、ただ危ないだけではないかもしれない。


誰かの役に立つかもしれない。


パンの味見だけど。


いや、パンの味見は大事だ。


生きることに直結している。


二つ目のパンは、一つ目より焦げが少なかった。


手順通りに受け取る。


今度は破片を落とさなかった。


噛む。


今度は酸味が強い。


中は少し柔らかい。


でも香りが弱い。


「これは、一つ目より焦げは少ないです。でも、香りが弱い気がします」


「焼きが足りない?」


「たぶん。あと、酸味が少し強いです」


グレタさんが目を細めた。


「発酵させすぎたやつだね」


「分かるんですか」


「作ったのは私だからね」


「それはそう」


グレタさんは、楽しそうに笑った。


さっきまでの城壁前とは違う空気だった。


兵士たちはまだ見ている。


リシェルさんは記録している。


赤い布もある。


俺は街に入れない。


それでも、今だけ少し。


パン屋と客みたいだった。


いや、客ではない。


まだお金を払っていない。


そもそも俺はこの世界の金を持っていない。


「俺、無銭飲食では?」


思わず言うと、リシェルさんが反応した。


「焦げた試作品の提供であり、商取引ではありません」


「そういう処理なんだ」


グレタさんが笑う。


「金なんて取らないよ。売り物にならないやつだしね」


「でも、食べ物なので」


「じゃあ、味の感想を代金にしておくよ」


「それなら払えます」


グレタさんは満足げに頷いた。


「よし。三つ目いこうか」


「追加試食は」


リシェルさんが言う。


グレタさんが先に答える。


「手順確認後だね」


「はい」


「分かってるよ、補佐官さん」


この二人、相性がいいのか悪いのか分からない。


ただ、リシェルさんの眉間は少し深くなっていた。


三つ目は、かなり硬かった。


見た目も黒い。


人間なら歯が心配になる硬さだ。


俺なら噛める。


噛めるが、力加減を間違えると粉砕する。


「ゆっくり噛みます」


「はい。破片飛散に注意」


俺はそっと噛んだ。


がり。


音がした。


パンというより石に近い。


でも、噛んだ瞬間に香ばしさが強く出た。


苦い。


かなり苦い。


でも、嫌な苦みだけではない。


スープに浸したらうまそうだ。


人間の頃、硬いパンをスープに浸す料理を見たことがある。


ファンタジー世界なら、旅人や兵士向けの保存食として使えそうだ。


「これ、そのままだと硬すぎます」


「だろうね」


「でも、スープに入れたらよさそうです。水分を吸わせる前提なら、焦げの香りが残ってうまいかもしれません」


グレタさんが黙った。


リシェルさんの筆も止まる。


「スープに?」


グレタさんが聞く。


「はい。小さく割って、肉とか野菜の汁に入れる感じです。硬さがあるなら、携帯食にもなるかも。兵士さんとか、旅の人とか」


城壁の上にいたラウル隊長が、少し反応した。


「硬焼きの携帯食か」


グレタさんも腕を組む。


「日持ちするパンはあるけど、焦げ香を活かすのは考えたことなかったね」


「焦げすぎると苦いだけですけど、このくらいなら、汁に入れる前提ならありかもしれません」


「なるほどねえ」


グレタさんの顔が、パン屋の顔になった。


さっきまで俺を見ていた目とは違う。


商品を考える目。


材料と焼き時間と客層を頭の中で並べている目。


「ラウル隊長」


グレタさんが城壁を見上げた。


「守備隊で硬いパンは使うかい?」


ラウル隊長が答える。


「日持ちして、腹持ちがよければ使う。味がよければなおいい」


「じゃあ試す価値はあるね」


リシェルさんがすぐに言った。


「竜咲空殿の試食結果を元にした商品化については、権利、名称、流通、住民感情への影響を確認する必要があります」


「早い!」


俺とグレタさんの声が重なった。


リシェルさんは真顔だ。


「必要です」


また必要。


でも今度は、少しだけ違う意味に聞こえた。


俺の感想が、商品の種になった。


それは、街にとって利益かもしれない。


ほんの小さなことだ。


パンの焦げをどう使うか。


でも、俺がこの街に害だけではないと示すには、こういう小さな積み重ねが必要なのだと思う。


「ソラ殿」


リシェルさんが俺を見た。


「はい」


「今の提案は、十日後の王都報告における参考事項になる可能性があります」


「パンの話が王都へ?」


「あなたが街に利益をもたらし得る事例です」


俺は言葉に詰まった。


パンを食べただけ。


感想を言っただけ。


それが、十日後の俺の立場に少し関わる。


住民票には程遠い。


でも、完全な災害からは少しだけ遠ざかる。


「じゃあ、ちゃんと考えて言います」


「お願いします」


グレタさんが笑った。


「頼むよ、竜さん。焦げパン一つで王都の書類に載るなら、うちも大したもんだ」


「グレタさん、強いですね」


「パン屋はね、釜の前で毎日火と勝負してるんだ。でっかい竜が来たくらいで腰抜かしてたら、商売にならないよ」


すごい。


この街の人、思ったよりたくましい。


試食は、五つで終わった。


本当はもっと食べられそうだった。


正直、五つなんて前菜にもならない。


でも、俺の胃の容量が分からない。


急に食べて体調が変化する可能性もある。


竜が満腹になったら眠るのか。


眠ったら寝返りが増えるのか。


消化中に火を吐くのか。


分からない。


分からないことが多すぎるので、今日はここまで。


「俺の食事、研究対象みたいですね」


「実際、研究対象です」


リシェルさんが言った。


「人語を解する大型竜種の食性確認です」


「言い方」


「事実です」


グレタさんは荷車を片づけながら言った。


「明日も焦げたのが出たら持ってきてやるよ」


「ありがとうございます」


「ただし、食べるならちゃんと感想をお言い。うまいだけじゃ駄目だよ」


「はい」


「あと、腹が減ってるからって、荷車ごと食べないこと」


「食べません!」


声が少し大きくなった。


リシェルさんが即座に言う。


「発声量」


「はい」


グレタさんはまた笑った。


「忙しいねえ、補佐官さん」


「はい」


リシェルさんは否定しなかった。


その一言に、俺は少し申し訳なくなる。


けれど、グレタさんはリシェルさんを見る目を少し柔らかくした。


「無理しすぎないようにしなよ。竜さんも腹が鳴るけど、人間も腹が減るんだから」


リシェルさんは一瞬だけ黙った。


「……お気遣い、感謝します」


「パン、あとで詰所に届けるよ」


「支払いは」


「焦げてないやつだから、ちゃんともらうよ」


「分かりました」


リシェルさんは少しだけ肩の力を抜いた。


本当に少しだけ。


でも、俺には分かった。


グレタさんのパンは、俺だけでなく、リシェルさんにも必要なのかもしれない。


夕方。


グレタさんの荷車が街へ戻る頃、俺は赤い布の内側で静かに伏せていた。


腹は、まだ減っている。


でも、さっきよりずっと落ち着いていた。


パンを食べた。


街の人が作ったものを。


安全手順だらけで、兵士に見られながらで、破片まで記録されたけど。


それでも、食べた。


そして、少し役に立てたかもしれない。


硬焼きパン。


焦げ香。


スープ用。


守備隊や旅人向けの携帯食。


それが本当に商品になるかは分からない。


でも、グレタさんは考える顔をしていた。


ラウル隊長も反応していた。


リシェルさんは記録した。


小さな、小さな利益。


十日後の王都報告に載るかもしれない、小さな一文。


俺はそれだけで、少しだけ自分がここにいてもいいような気がした。


「ソラ殿」


リシェルさんが言った。


「はい」


「本日の食事確認を終了します。現時点で体調変化はありますか」


「空腹が少し減りました」


「他には」


「気持ちが少し楽です」


リシェルさんの筆が止まった。


「精神状態の変化あり、と記録します」


「はい」


「理由は、食事によるものですか」


「それもあります。でも、街の人と少し話せたからだと思います」


リシェルさんは、すぐには書かなかった。


それから、静かに筆を動かした。


「街の住民との対話により、精神安定傾向」


「それも王都に?」


「必要なら」


「恥ずかしいけど、お願いします」


「承知しました」


俺は城壁の向こうを見た。


パンの匂いは、もう薄くなっている。


でも、完全には消えていない。


そこに人がいる。


パンを焼く人がいる。


俺を怖がりながらも、焦げた試作品を持ってきてくれる人がいる。


それは、昨日の森にはなかったものだ。


その時。


赤い布のずっと外側。


街道の方に、人影が見えた。


細身の男だった。


商人風の服。


荷袋を背負い、遠くからこちらを見ている。


俺と目が合った気がした。


男は、俺ではなく、地面に落ちていた小さな黒銀の鱗の欠片を見ていた。


たぶん、昨日か今朝、俺が動いた時に剥がれたものだ。


本当に小さい。


人間の爪ほどの欠片。


それを見た男の目が、ぎらりと光った。


俺の胸の奥が、少し冷えた。


グレタさんはパンを持ってきた。


でも、あの男が見ているのは、パンではない。


俺の体だ。


俺の鱗だ。


俺が何を食べるかではなく。


俺から何が取れるか。


リシェルさんも、その視線に気づいたらしい。


彼女の声が、少し硬くなった。


「ラウル隊長。街道側の人物を確認してください」


城壁の上で、兵士が動く。


商人風の男は、慌てたように背を向けた。


だが、完全には逃げなかった。


何度か振り返りながら、街道の方へ下がっていく。


俺は、赤い布の内側から動けない。


ただ、その背中を見ることしかできなかった。


「リシェルさん」


「はい」


「あの人、何を見てたんですか」


リシェルさんは少しだけ黙った。


そして、はっきり言った。


「おそらく、あなたの鱗です」


俺は、自分の黒銀の前脚を見た。


硬い鱗。


剣より怖い爪。


今まで、ただ危ないだけだと思っていた体。


でも、誰かから見れば。


価値があるのかもしれない。


金になるのかもしれない。


欲しくなるのかもしれない。


「……鱗くらいなら、あげてもいいのかな」


小さく言ったつもりだった。


リシェルさんの声が、すぐに飛んだ。


「ソラ殿。その判断を、絶対に一人でしないでください」


いつもより強い声だった。


俺は思わず動きかけて、止まった。


「はい」


「竜の素材は、あなたが思っている以上に人を動かします」


リシェルさんの表情は硬い。


「食事の次は、素材価値の問題です」


パンの温かい匂いが、急に遠くなった気がした。


俺は、自分の鱗を見た。


俺の体。


俺自身。


でも、この世界ではそれが、誰かの欲になる。


ドラゴン生活二日目。


俺は初めて街のパンを食べた。


少しだけ、街に近づけた気がした。


そのすぐ後で。


俺の体が、街の外から別の目で見られていることを知った。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

今回はグレタさんとパンの回でした。

焦げた試作品から、まさかの商品案へ。

ソラが初めて「自分の体を削らずに街へ役立てた」小さな一歩でもあります。

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