第5話:阿鼻叫喚の株主総会(授業参観)と、乙女たちのブランド競争
1. 桃色の霧が晴れない朝
「……なあ佐藤。俺、今日こそ学校休んでもいいかな」
「ダメだぞ高坂。お前が欠席した瞬間に『筆頭株主不在による売り浴びせ』が発生して、この学園は文字通り更地になるからな」
翌朝、俺の絶望的な呟きは、親友の佐藤によって無慈悲に却下された。
校門を抜けると、そこは昨日にも増してカオスな光景が広がっていた。第四話で生徒会会計・四宮アリスの理性が爆発した影響で、学園中に鳴り響いていた『情熱のタンゴ』は、夜を越えてしっとりとした『ジャズ・バラード』へと変化していた。
校舎の壁にはどこからともなく蔦薔薇が巻き付き、廊下にはベルベットの絨毯。全教室の照明は、なぜか「美男美女が三割増しで綺麗に見える」という特殊な琥珀色の間接照明に固定されている。
「四宮アリス……。あの堅物メガネがデレた影響力、デカすぎだろ」
『ピコンッ』
【四宮アリス株:現在値 95,000円(高止まり)】
【理由:昨日のハグの感触を思い出すたびに、学園のWi-Fi強度が上がるという謎の奉仕機能が作動中のため】
「Wi-Fiが強くなるのはありがたいが、その代わりログイン画面が全部アリスの照れ顔になるのは勘弁してほしい……」
俺がスマホを閉じようとしたその時、背後から猛烈な殺気、もとい「買い気」を感じた。
「――お、おはよう、優人くん」
振り返ると、そこには神宮寺カレンが立っていた。
いつもなら氷の仮面で隠しているはずの好意が、今日は隠しきれずにダダ漏れになっている。彼女の背後には、なぜか執事風の男たちが数人、巨大な液晶パネルを抱えて控えていた。
「神宮寺……そのパネルは何だ?」
「今日のメインイベントのための準備よ。……忘れたの? 今日は八重洲学園の『学園開放日』。またの名を――」
カレンは扇子を広げ、不敵に、けれど頬を赤らめて宣言した。
「『学園株主総会』よ。保護者や地域住民という名の『外部投資家』たちが、この学園の資産価値……つまり、私たちの『花嫁としてのポテンシャル』を査定しに来る日だわ」
「はあああああ!? ただの授業参観だろ!?」
「神宮寺財閥にとっては、これも立派な市場調査よ。……優人くん。今日、私がどれだけあなたに相応しい『メイン銘柄』であるか、外部の目にも焼き付けてあげるわ」
2. 開廷、地獄の株主総会
授業参観が始まると、教室内は異様な熱気に包まれた。
後ろのスペースには、高級ブランドのスーツに身を包んだ保護者たちがズラリと並んでいる。その視線は、教壇に立つ教師ではなく、俺の隣に座るカレン、後ろに座るひまり、そして廊下で目を光らせるアリス、そしてその中心にいる俺へと注がれていた。
「見て。あの子が噂の『高坂優人』……カレン様の評価額を数万倍に跳ね上げたという、伝説のマーケット・メイカーね……」
「ひまりちゃんの安定した配当(笑顔)も捨てがたいわ。わが家もポートフォリオに組み込むべきかしら」
保護者たちの会話が、もはやママ友の談笑ではなく、機関投資家の会合にしか聞こえない。
そんな中、最初の「介入」は橘ひまりからだった。
国語の授業中、音読の指名を受けたひまりは、教科書を読み上げるのではなく、俺に向かって深々と頭を下げた。
「先生! わたし、この物語の主人公の気持ちがよくわかります! 大好きな人に毎日お弁当を作って、たまに頭をなでなでしてほしい、その一途な想いこそが、市場に最も安定した多幸感をもたらす『最強のインカムゲイン』なんです!」
『ピピピピッ!』
【橘ひまり株:現在値 30,000円(急騰)】
【理由:健気な幼馴染アピールにより、保護者層の『嫁にしたい支持率』が上昇したため】
「やるわね、新興株……。けれど、地金(育ち)の差を思い知らせてあげるわ」
カレンが静かに立ち上がった。
「先生、補足を。愛とは単なる献身ではなく、相手の人生そのものを買い支える『圧倒的な資本力』です。私が優人くんに提供するのは、一生涯のストップ高をお約束する、神宮寺ブランドという名の不換紙幣よ!」
『ドゴォォォン!』
【神宮寺カレン株:現在値 250,000円(暴騰)】
【理由:財閥のスケールメリットを活かした『生涯独占契約』の宣言に、投資家たちが震撼したため】
「ちょ、二人とも座れ! 授業しろよ!」
俺の叫びも虚しく、教室内は二人の美少女による「自己PR合戦」という名の、血で血を洗う仕手戦へと突入していく。
3. 生徒会室のインサイダー・レポート
休み時間。
俺は、逃げるように生徒会室へと連行された。
扉を閉めた瞬間、そこには昨日俺にハグされてポンコツ化したはずの四宮アリスが、無理やり理性の仮面を被り直して立っていた。
しかし、その眼鏡は激しく曇り、手にしたタブレットは上下逆さまだ。
「……遅いわよ、高坂くん。株主総会(授業参観)の進捗状況を報告しなさい」
「報告も何も、地獄だよ。カレンとひまりが後ろの親たちの前で、俺を巡ってマウントの取り合いをしてるんだ」
「ふん、浅いわね……。所詮は感情に任せた乱高下よ。真の賢明な投資家(保護者)が求めているのは、そんな派手なパフォーマンスではなく、確かな『管理能力』だわ」
アリスは震える手で、俺のネクタイを整え始めた。
「……あなたのネクタイが曲がっているわ。これも私の管理不足ね。……いい、優人くん。今日、あなたは私の『専属監査役』として、一日中私のそばにいるべきよ。それが最も学園経済を安定させる『最適解』なんだから」
「それ、ただ単に俺を独占したいだけだろ?」
俺が指摘すると、アリスの顔が瞬時に沸騰した。
『ギュイイインッ!』
【四宮アリス株:現在値 150,000円(+50,000)】
【理由:本音を見透かされたことによる羞恥心と、ネクタイを触っている最中の『至近距離ボーナス』によるもの】
「な、何よ! 私はただ、インサイダー取引(密会)を通じて、あなたという資産の価値を正しく査定しているだけよ! ほら、じっとしてなさい。……私の鼓動の速さが、あなたにバレてしまうじゃない……っ」
アリスが俺の胸元に顔を近づけ、その銀髪が俺の鼻先を掠めた、その時。
「――そこまでよ、会計監査官。そのインサイダー、私が差し押さえるわ」
生徒会室の壁が、スライド式に左右に開いた。
(……えっ、この学園、壁が隠し扉になってるの!?)
そこから現れたのは、巨大なモニターを何枚も従えた神宮寺カレンだった。その後ろには、ひまりが「えへへ」と笑いながら続いている。
「神宮寺……! 授業はどうしたのよ!」
アリスが叫ぶ。
「あんな退屈な講義、私の財力で『自習』に書き換えておいたわ。それよりも四宮さん、優人くんを密室に連れ込んで、一体どんな『非公開情報』を共有していたのかしら?」
「べ、別に何もしてないわよ! 私はただ、市場(彼)の歪みを調整していただけで……!」
「嘘だよー! 優人くん、アリスちゃんにネクタイ直してもらって顔が赤くなってるもん! ズルいよアリスちゃん、わたしも優人くんのボタン、全部掛け違えて直してあげたい!」
「余計なお世話だ!」
俺はひまりの暴走を止めようとしたが、カレンがその間に割り込んできた。
「四宮さん。あなたがいくら『安定』を謳おうと、投資家たちが求めているのは『夢』よ。……優人くん。今、学園の正門前に、私の個人所有の豪華客船を接岸させたわ。今すぐこの『株主総会』を切り上げて、私と二人で『公海』へ逃げない?」
「逃げられるか! 授業の真っ最中だぞ!」
4. 三つ巴の市場決戦
カレンの「豪華客船への招待(敵対的買収)」、ひまりの「幼馴染の思い出(温情投資)」、そしてアリスの「生徒会による管理(公的介入)」。
三人の想いが交錯し、生徒会室の空気は臨界点に達していた。
窓の外を見ると、学園の庭には保護者たちが集まり、スマホのチャートを眺めながら固唾を呑んで事態を見守っている。
「いいわ、こうなったらはっきりさせましょう。誰が優人くんの『メイン・パートナー』として、最も高い時価総額を誇っているのかを!」
アリスが宣言し、モニターに三人のライブチャートが並んで表示された。
「望むところよ。私の全資産を賭けて、ストップ高まで買い上げてあげるわ!」
カレンが扇子を掲げる。
「わたしも負けないよ! 優人くんへの『好き』は、無制限に増資できるんだから!」
ひまりが腕をまくる。
三人の少女が、俺に向かって一斉に詰め寄ってきた。
「優人くん、私の船に来て!」
「優人くん、わたしとパフェ食べに行こう!」
「高坂くん、私の監査を受けなさい!」
俺の腕が左右から引っ張られ、アリスが背中から抱きついてくる。
その瞬間、俺の脳内である「バグ」が発生した。
(待て……。こいつら全員が同時に、こんなに高い好感度で俺に迫ってきたら……市場はどうなるんだ?)
答えはすぐに出た。
『ピ――――――――――――ッ!!!!!』
学園中のスピーカーが、耳を劈くような電子音を上げた。
モニターに映る三人のチャートが、赤、青、桃色の線が一本に重なり、そのまま垂直に空を突き抜け――。
【警告:ハイパー・ラブ・インフレーション発生】
【市場価格が測定不能な領域に到達しました】
【これより、余剰エネルギーを放出するための『学園強制再起動』を開始します】
「なっ……何ですって!?」
四宮がモニターを見て絶叫した。
「好感度の総和が、学園のサーバーのキャパシティを超えたわ! このままじゃ、学園の建物自体が『愛の力』で爆発(融解)するわよ!!」
「爆発!? 嘘でしょ!?」
カレンも顔を青くする。
「あわわ、どうすればいいの!? 誰か一人、嫌いにならなきゃいけないの!?」
ひまりが泣きそうになる。
「そんなの無理に決まってるだろ!!」
俺は叫んだ。
「お前ら、一旦離れろ! 全員が同時にデレすぎるから、システムが耐えられないんだ!」
だが、一度火がついた彼女たちの恋心は、もはや「売り」の注文を受け付けない。
校舎が激しく揺れ始め、薔薇の花びらが嵐のように舞い散る。琥珀色の間接照明が激しく点滅し、情熱的なタンゴと切ないジャズが混ざり合って、カオスなテクノビートへと変貌していく。
「優人くん……! 私、たとえ学園が消えても、あなたへの『買い注文』は取り消さないわ!」
カレンが俺の手を強く握る。
「わたしも! 暴落したって、ナンピン買いして一生ついていくもん!」
ひまりが俺の首に抱きつく。
「私もよ……! この混乱を鎮められるのは、あなたの『責任』だけなんだから……!」
アリスが俺の制服の裾を掴んで震えている。
「くそっ……! こうなったら、俺が全部引き受けてやるよ!!」
俺は覚悟を決め、三人をまとめて抱きしめるように腕を広げた。
「俺は、お前ら三人の『全株』を保有してやる! 暴落もインフレも、全部俺が飲み込んでやるから、落ち着けえええええっ!!」
それは、実質的な「重婚宣言」に近い、暴論極まりない全方位告白だった。
その瞬間。
『ドォォォォォォォォォォォンッ!!!!!』
学園全体が眩い白い光に包まれた。
5. 暴落の後の、穏やかな市場
光が収まり、俺が目を開けると。
そこは、いつもの、ごく普通の私立八重洲学園の教室だった。
壁の薔薇も、ベルベットの絨毯も、琥珀色の照明もない。
タンゴもジャズも聞こえない。
窓の外には、呆気に取られた表情の保護者たちが立っている。
「……終わった、のか?」
俺が呟くと、隣でカレンが「……ええ」と小さく頷いた。
彼女の顔は、今までで一番、自然で、柔らかな赤みに染まっていた。
『ピコンッ』
【市場状況:システム再起動完了】
【カレン株・ひまり株・アリス株:全て『安定(S級銘柄)』に移行】
【理由:筆頭株主・高坂優人による『永久保有宣言』により、投機的な売買が沈静化したため】
三人の株価は、異常な高値ではなく、けれどもしっかりと高い、幸福な安定圏へと着地していた。
「……優人くん。今の言葉、忘れないわよ。私の全株式、あなたが一生責任を持って管理しなさい」
カレンが、少し照れくさそうに髪を弄りながら言った。
「わたしも! 毎日、配当のキスを要求しちゃうからね!」
ひまりが元気よく手を挙げる。
「……勘違いしないで。私はあくまで、市場の監視役としてあなたのそばにいるだけなんだから。……でも、その、保有報告書くらいなら、毎日受け取ってあげてもいいわ」
アリスが眼鏡を直しながら、そっぽを向いて囁いた。
学園のインフラは元通りになり、学食のメニューも「普通のカレー」に戻った。
けれど、俺の周囲の熱気だけは、以前とは比べ物にならないほど上昇している。
「……なあ佐藤。俺の人生、これからどうなると思う?」
「おめでとう、高坂。お前は今日から、世界で最も幸せで、世界で最も胃の痛い『非上場な王様』だ」
俺の高校生活は、未曾有のバブルを経て、ようやく「真の運用」が始まったばかりだった。




