第4話:生徒会の強制介入(TOB)と密室のインサイダー取引
「……おい佐藤、これ本当に俺たちの通ってる学園か?」
翌朝、正門をくぐった俺、高坂優人は、隣を歩く親友の佐藤に思わず声をかけた。
昨日までの私立八重洲学園は、良くも悪くも「祭り」の喧騒の中にあった。神宮寺カレンの機嫌によって校舎が金ピカになったり、シャンパンが噴水から吹き出したりする、成金趣味の極致のようなファンタジー空間。それが俺たちの日常だったはずだ。
だが、今目の前にある光景は、まるでどこかの軍事施設か、あるいは最先端の無菌室だ。
「ああ、高坂。これこそが『四宮アリス』政権下の、真の安定だよ」
佐藤は手にしたスマホの画面を眺めながら、力なく笑った。
廊下には、一ミリの狂いもなく白いビニールテープで「右側通行」の矢印が引かれている。談笑していた生徒たちは、アリスの息がかかった風紀委員が通りかかるたびにピタリと口を閉じ、分速八十メートルの等速歩行を開始する。
購買のパンコーナーからは、昨日まで並んでいた「金箔入り和牛バーガー」が姿を消し、代わりに「栄養素完全準拠・高繊維質クラッカー」が無機質に積み上げられていた。
「四宮アリス株……。爆発力はないが、とにかく下落しない。彼女が『秩序』を維持すればするほど、市場は安定し、インフラから無駄が削ぎ落とされるんだ」
『ピコンッ』
【四宮アリス株:現在値 15,200円(微増)】
【理由:学園内の二酸化炭素濃度が適正値に保たれていることへの満足感】
「インフラの無駄と一緒に、俺たちの青春の潤いまで削ぎ落とされてる気がするんだが……」
俺がそう呟いた瞬間だった。
校内放送のスピーカーが、ノイズ一つないクリアな音質で鳴り響いた。
『二年生、高坂優人くん。至急、生徒会室まで来なさい。繰り返します。高坂優人くん、直ちに出頭……いえ、来なさい』
無機質な放送のはずなのに、最後の一言にだけ、妙に力が入っていたような気がしたのは俺の気のせいだろうか。
周囲の生徒たちが、一斉に「哀れな犠牲者を見る目」で俺を見た。
2. 理性の城、生徒会室の密談
生徒会室の重厚なマホガニーの扉をノックすると、中から「入りなさい」という冷徹な声が響いた。
扉を開けると、そこは数十枚のモニターに囲まれた、まさに学園の「中央銀行」とも呼べる司令室だった。
モニターには、カレン株、ひまり株、そしてアリス株のリアルタイムチャートが映し出され、複雑なアルゴリズムが常に変動を予測し続けている。
その中心で、銀色のショートボブを揺らし、四宮アリスが椅子に深く腰掛けていた。
「遅いわよ、高坂くん。予定時刻より三秒も遅れているわ」
「お前が呼び出したんだろ。何の用だよ」
俺が椅子に座ると、四宮は眼鏡のブリッジを人差し指でクイッと押し上げ、手元のタブレットをこちらに向けた。
「単刀直入に言うわ。高坂優人。あなたという存在は、この学園経済にとっての『ブラックスワン(予測不能な破滅の要因)』なのよ」
「鳥? 俺が?」
「ええ。神宮寺カレンの情緒を不安定にさせ、供給過多なインフレを引き起こし、かと思えば橘ひまりとの接触で市場をパニックに陥れる。あなたの無自覚な行動一つで、数千人の生徒の資産が紙くずになるの。これを放置するのは、生徒会会計として、そして市場の管理人として看過できないわ」
四宮は一枚の書類を、テーブルの上で滑らせた。
そこには、仰々しいフォントでこう書かれていた。
『高坂優人に対する、敵対的TOB(株式公開買付)および独占的経営権の譲渡に関する協定書』
「……ティーオービー? 何だよこれ」
「あなたの『昼休みおよび放課後の時間の51%(過半数)』を、生徒会が強制的に買収・管理するということよ。本日より、あなたは私の許可なく、他の女子……特に神宮寺カレンや橘ひまりと接触することを禁じるわ」
「はぁ!? 俺の時間を勝手に買い占めるなよ! 俺は人間だぞ、銘柄じゃない!」
俺の抗議に対し、四宮は冷淡な笑みを浮かべた。
「あら、これはあなたのためでもあるのよ? この協定にサインすれば、あなたの内申点は私が保証するわ。逆に拒否するなら……あなたの素行評価を『ジャンク債』並みに格下げすることも可能よ」
「脅迫じゃねえか!」
「これは『リスクヘッジ』と呼びなさい。さあ、早くサインして」
俺は四宮の有無を言わせぬプレッシャーに負け、震える手で万年筆を握った。
くそ、権力の私物化も甚だしい。俺はため息をつきながら、書類の署名欄に自分の名前を書き込んだ。
「……これで満足か?」
「ええ。これで市場は、私の管理下に置かれたわ」
四宮は書類を大切そうにファイルに収めると、ふうっと小さく息を吐いた。
その瞬間だった。
『ピロリンッ♪』
俺のポケットの中で、スマホが通知を鳴らした。
【四宮アリス株:現在値 22,000円(+6,800)】
【理由:念願だった『高坂優人の独占権』を手に入れ、心臓の鼓動が通常の1.5倍に跳ね上がっているため】
「……おい」
俺はスマホの画面を四宮に見せた。
「市場の安定が目的だとか言ってた割には、お前の『株価』、えらい勢いで爆上がりしてるんだが」
「っ……!? こ、これは、その……! 秩序が保たれたことへの、市場の健全な反応よ! 決して、私が個人的に浮かれているわけじゃないわ!」
四宮の白い肌が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「な、何を見てるのよ! 監査の時間は始まったばかりなんだから、さっさと昼食を済ませるわよ! ほら、今日は私が『効率的かつ栄養学的に完璧なランチ』を用意してあげたから!」
四宮はデスクの下から、布に包まれた「何か」を取り出した。
それは――。
3. ウサギのタッパーと、震える指先
「……それ、どう見ても完全食ゼリーじゃないよな?」
俺の目の前に置かれたのは、可愛らしいピンク色の、しかも耳がついたウサギ型のタッパーだった。
「こ、これは! 卵とツナ、そして食物繊維の黄金比を追求した、合理的かつ機能的な……っ!」
四宮が震える手でフタを開けると、中には驚くほど丁寧に作られたサンドイッチが並んでいた。レタスの瑞々しさ、卵の絶妙な半熟加減。どう見ても、今朝早起きして手作りしたとしか思えない代物だ。
「合理的ねぇ。……お前、もしかして自分で作ったのか?」
「べ、別におかしくないでしょ! 自炊は最もコストパフォーマンスの高い食糧調達手段だわ! ほら、食べなさい。効率よく栄養を摂取するために……私が、その、食べさせてあげなくもないけれど」
四宮は顔を真っ赤にしながら、サンドイッチを一つ摘み、震える手で俺の口元に差し出してきた。
「な、何よ。嫌なの? 私の計算によれば、他人に食べさせてもらうことで咀嚼に集中でき、消化吸収効率が5%向上するはず……」
「どんな理論だよ……」
俺は呆れながらも、差し出されたサンドイッチを一口食べた。
「……美味い」
「……そう。当然よ。計算通りだわ」
四宮は眼鏡を曇らせながら、どこか嬉しそうに口元を綻ばせた。
その時、俺は気づいた。
四宮の指先に、小さな絆創膏が貼ってあるのを。
不器用な彼女が、慣れない料理で指を切ったのだろうか。合理的で無駄を嫌うはずの彼女が、俺のために時間を使い、怪我までしてサンドイッチを作った。
『ピロリンッ♪』
【四宮アリス株:現在値 35,000円(急騰)】
【理由:優人の「美味い」という一言で、脳内の多幸感物質がオーバーフロー中】
「四宮、お前……」
俺が何かを言いかけた、その時だった。
4. 暴力的な市場介入
――ドッガァァァァァァァァンッ!!
生徒会室の、防音完備のはずの頑丈な扉が、物理的な衝撃波を伴って吹き飛んだ。
「――監査(インサイダー取引)はそこまでよ、この泥棒猫!」
もうもうと立ち込める土煙の中から現れたのは、プラチナブロンドを逆立たせんばかりの怒気を纏った神宮寺カレンだった。
彼女の背後には、同じく目を三角にした橘ひまりが控えている。
「カ、カレン!? なんでここが……!」
「財閥の諜報部が、生徒会室の防犯カメラをハッキングして一部始終を見ていたわ! 優人くんに、あんな……あんな破廉恥なウサギさんのエサを食べさせるなんて!」
「エサじゃないわよ! これは私の『愛』……じゃなくて、合理的ランチよ!」
四宮が立ち上がり、カレンを指差した。
「生徒会が公式に発表したTOBよ! 部外者は立ち去りなさい!」
「ふん、一方的な買い付けなんて認めないわ! 私は今この瞬間から、優人くんに対して『ホワイトナイト(友好的買収者)』として名乗りを上げる! 四宮さんの提示した条件の100倍で、優人くんの放課後を全額買い取る!!」
カレンは手にした扇子をバチン!と閉じ、俺の腕を強引に掴んだ。
「ちょっと待ってよ! わたしもいるよ!」
ひまりが反対側の腕に抱きついてくる。
「わたしは株主優待として『優人くんと一緒にアイスを食べる権』を行使しまーす! 生徒会なんて辞職しちゃえー!」
「なっ……! 寄らば斬るわよ、この投資家共!」
四宮がデスクの上でタブレットを操作し、次々と「風紀違反」の警告アラートを鳴らしていく。
モニターに映る三人の株価は、嫉妬と対抗心で激しく火花を散らし、もはやチャートの形を成していない。
「待て! お前ら落ち着け! 椅子を投げるな! 備品だぞ!」
俺は必死に三人を宥めようと、修羅場と化した中心に割って入った。
だが、運命という名の「暴落」は、一瞬の隙に訪れた。
5. サンドイッチの衝突、理性の融解
「っ、離しなさい神宮寺さん!」
「そっちこそ、優人くんから手を退けて!」
「優人くんはわたしのなんだからー!」
三人が俺を引っ張り合った結果、テーブルの上にあった「ウサギのタッパー」が宙を舞った。
「あ……っ!」
四宮が悲鳴を上げる。
放物線を描いて飛ぶサンドイッチ。
その行き先には、驚いて目を見開いたままの四宮アリスの顔があった。
このままでは、彼女が心血を注いで作ったランチが、彼女自身の顔に直撃してしまう。
「危ねえ!」
俺は反射的に、四宮の肩を掴んで自分の方へと引き寄せた。
ギュッ、と。
四宮の華奢な体が、俺の胸の中にすっぽりと収まった。
俺の背中には、飛んできたサンドイッチが「ベチャッ」という鈍い音を立てて直撃したが、そんなことはどうでもよかった。
俺の腕の中で、四宮アリスが完全に固まっていた。
至近距離で、彼女の長い睫毛が震えているのが見える。
彼女の鼻先が、俺の制服に触れている。
そして、彼女の全身から、驚くほどの熱が伝わってきた。
「……えっ」
四宮が、俺の顔を呆然と見上げた。
「ご、ごめん! 咄嗟に……怪我はないか、四宮?」
俺が心配して彼女の顔を覗き込むと――。
ボンッ!!
という音が聞こえた気がした。
四宮の頭頂部から、マンガのような真っ赤な湯気が立ち上る。
『ギュイイイイイイイイイイイイイインッ!!!!!』
【四宮アリス株:現在値 180,000円(天文学的暴騰・ストップ高)】
【理由:鉄壁の合理性を誇った理性が、想定外の密着により完全に融解。全システムが『恋心』の一点に集中し、演算能力がパンクしたため】
「あ……あわ……あわわわわわわわっ……!」
四宮は普段のクールな表情をどこへやら、瞳をぐるぐると回し、顔を茹でダコのように赤くして、俺の胸に顔を埋めたままガクガクと震え始めた。
「だ、だめ……こんな……近接取引(ゼロ距離ハグ)……データにない……。私の……私のハードディスクが、優人くんの温度で、上書きされちゃう……っ!」
『ビーッ! ビーッ! ビーッ!』
学園中に、最大級の緊急警報が鳴り響いた。
整然としていたメトロノームのBGMが突如、情熱的すぎて心臓に悪い『アルゼンチン・タンゴ』へと切り替わる。
廊下の白いテープは蛍光ピンクに光り輝き、校内中のモニターには「LOVE & STOCK」の文字が乱舞し始めた。
堅物だった生徒会役員の心が、たった一度のハグで「完全なデレ」へと陥落したことで、学園全体が謎のムーディーな空間へと強制的に書き換えられてしまったのだ。
「し、四宮さん!? あなた、どさくさに紛れて抱きつくんじゃないわよ!!」
カレンが血走った目で俺たちの間に割って入ろうとする。
「ずるい! わたしも優人くんに抱きしめてもらいたい!!」
ひまりも参戦し、俺の背中に飛びついてくる。
腕の中には、もはや使い物にならないほど赤面し、小さく「ううう……」と唸っているポンコツ生徒会役員。
背中にはサンドイッチのツナマヨ。
両サイドからは、嫉妬に狂った美少女たちのプレッシャー。
「誰か……誰かこの市場を、強制閉鎖してくれぇぇぇっ!!」
俺の悲痛な叫びは、爆音で流れるタンゴのメロディにかき消され、今日も学園という名の巨大な取引所の中に、虚しく響き渡るのだった。




