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第2話:ハイパーインフレと手作り弁当、そして市場への介入者

「おはようございます、筆頭株主様!!」

「本日も高坂こうさか様の歩み路に、大いなる相場の御加護があらんことを!!」


翌朝。私立八重洲学園の正門をくぐった俺、高坂優人は、思わず自分の目を疑った。

校舎へと続くアプローチにはふかふかのレッドカーペットが敷き詰められ、その両脇にはクラスメイトだけでなく、見知らぬ他学年の生徒たちまでもがズラリと並び、俺に向かって深々と最敬礼をしている。

さらに玄関ホールでは、どこから呼んできたのかプロの弦楽四重奏団が、優雅なクラシック音楽を生演奏していた。


「……なんだこれ。学園祭は半年後だぞ」

「何寝ぼけたこと言ってんだよ、高坂!」


親友の佐藤が、なぜか高級そうなシルクのハンカチで涙を拭いながら駆け寄ってきた。その後ろには、学級委員長の田中もいる。二人とも、やけに肌ツヤがいい。


「昨日のお前の『公開プロポーズ(仮)』のおかげで、カレン株がシステム上限を突破しただろ? その結果、学園経済に前代未聞のハイパーインフレが起きたんだよ!」

「見ろよ高坂くん! 購買のパンが全て有名ホテルのベーカリー製になり、トイレのトイレットペーパーは十枚重ねのシルク仕様だ! 昨日の終値(カレン様の最高潮のデレ)が、そのまま学園のインフラに反映されているんだよ!」

「財閥の権力、どうなってんだよ……」


俺が頭を抱えていると、レッドカーペットの向こう側から、黒塗りの高級リムジンが滑り込んできた。

運転手が恭しくドアを開け、そこから降り立ったのは――昨日、俺の前で顔を真っ赤にして限界突破した張本人、神宮寺じんぐうじカレンだった。


「「「おおおおおっ! カレン様だ!!」」」

「「「今日の株価はどうだ!? 寄り付きの気配値を確認しろ!!」」」


生徒たちが一斉にスマホの『カレン株』アプリを開く。

カレンはいつものように氷の令嬢の仮面を被り、涼やかな無表情を保っていたが、俺の姿を視界に捉えた瞬間、その歩みがピタッと止まった。


『ピコンッ』


【カレン株:本日の始値 45,000円(※ボラティリティ警戒水準)】

【理由:高坂優人の顔を見て、昨日の約束を思い出して動揺しているため】


「た、高い! 始値からすでに平常時の十倍だ!」

「だが値動きが激しいぞ! ボラティリティ(価格変動率)が高すぎる! 迂闊に手を出すと火傷するぜ!」


周囲の投資家(生徒)たちがざわめく中、カレンはツカツカと俺の前に歩み寄り、立ち止まった。

そして、周囲に聞こえないような小さな、けれど微かに震える声で囁いた。


「……お、おはよう、優人くん」

「っ!」


(名前呼び……!? 昨日までは『高坂くん』だったのに!)

俺が内心で驚愕していると、カレンの耳の先がみるみるうちに赤く染まっていく。


『ピピピッ!』

【現在値 48,000円(+3,000)】

【理由:初めて下の名前で呼んでみた自分に対する、猛烈な羞恥心と期待感】


「あ、ああ、おはよう、カレン」

俺もつられて名前で返すと、カレンは「ひゃっ」と小さく息を呑み、そのまま脱兎のごとく校舎へと走り去ってしまった。


『ドゴォォォォン!!』

【現在値 60,000円(急騰)】

【理由:名前で呼ばれた破壊力により、カレン様の脳内サーバーが一時ダウン】


「上がったああああっ! 朝イチから特大の買いシグナルだ!!」

「高坂! お前は今日も神だ! このままストップ高まで連れて行ってくれ!!」


狂喜乱舞する生徒たちを尻目に、俺は手提げカバンの中でコロンと音を立てた『ある物』の重みを感じながら、深いため息をついた。

今日の昼休み、俺はもっと恐ろしい爆弾を投下しなければならないのだ。


* * *


そして運命の昼休み。

2年B組の教室は、異様な緊張感に包まれていた。

いや、B組だけではない。廊下の窓には他クラスの生徒たちが鈴なりになり、一部の熱狂的株主は双眼鏡まで構えて、俺とカレンの席を注視している。


俺とカレンは、机をくっつけて向かい合っていた。


「……それじゃあ、約束通り。私の分も、作ってきたわ」

カレンが机の上に広げたのは、昨日よりもさらにグレードアップした、もはや芸術品のような四段重の弁当だった。伊勢海老のテルミドールや、キャビアが乗ったカナッペまである。

対する俺は、百円ショップで買った小さなタッパーを、おそるおそる机に置いた。


「すごいな……。あ、えっと、俺の方はこれ。昨日、お前の好きなものを返すって言っただろ?」

「これは……?」


カレンが不思議そうに小首を傾げる。

俺は顔が熱くなるのを感じながら、タッパーのフタを開けた。


「……出汁巻き玉子。昨日お前のがすごく美味かったから、俺も母さんに教わりながら、今朝自分で焼いてみたんだ。……初めてだから、ちょっと焦げてるし、形も不格好だけど」


しん、と教室の時が止まった。


ギャラリーの株主たちが、息を呑む音が聞こえる。

天下の神宮寺カレンに対し、手作りの、しかも不格好な玉子焼きを献上する。これは一歩間違えれば「不敬罪」として大暴落を引き起こしかねない、超ハイリスクな取引だ。


カレンは、俺の作った玉子焼きと、俺の顔を交互に見つめた。

その大きな蒼い瞳が、みるみるうちに潤んでいく。


「優人くんが……私のために、朝早く起きて……これを……?」

「あ、ああ。口に合わなかったら無理して食べなくていいからな!」


カレンは無言のまま、自分のマイ箸(昨日へし折ったのとは別の、新しい高級漆塗り箸)を手に取り、少し焦げた玉子焼きをそっとつまんで、口に運んだ。

そして、ゆっくりと咀嚼する。


「…………」

「ど、どうだ?」


カレンはふいっと顔を伏せ、両手で顔を覆った。

「……美味しい」

指の隙間から、消え入りそうな声が漏れる。

「本当においしい。私……今まで食べたどんな料理よりも、これが一番好き……っ」


その瞬間だった。


『ギュイイイイイイイイイインッ!!!』


黒板の大型モニターに表示されていたカレン株のチャートが、物理法則を無視した角度で天井を突き破り、モニターの枠を越えて壁にまで赤い線(プロジェクターの光)を伸ばし始めた。


【現在値 150,000円(大暴騰・測定不能)】

【理由:愛する人からの初めての手作り料理による、幸福感のカンスト】


「きたあああああああああっ!!」

「歴史が、歴史が変わるぞ!! 学食のメニューに『純金粉乗せトリュフ丼』が追加された!!」

「俺たちの資産が、ついに億を超えたぞ!!」


歓喜の絶叫が教室を揺るがした、まさにその時。


『ビーッ! ビーッ! ビーッ!』

突如として、けたたましい警告サイレンが学園中に鳴り響いた。

黒板のモニターが真っ赤に点滅し、巨大な文字が映し出される。


【警告:サーキットブレーカー発動】

【市場の過熱を検知。全取引を強制停止(売買停止)します】


「な、なんだと!?」

「取引停止!? どういうことだ、今までこんなシステムなかったぞ!」


パニックに陥る株主たちの前に、教室の前扉がバーン!と勢いよく開け放たれた。

そこに立っていたのは、腕章をつけた一人の女子生徒だった。

銀色の髪をショートボブに切り揃え、鋭い三白眼を持った小柄な少女。生徒会会計、四宮しのみやアリスである。


「そこまでよ、愚かなる個人投資家パンピーども」


四宮は冷徹な声で言い放ち、持っていたタブレット端末を操作した。


「神宮寺カレンの感情一つで、学園の予算とインフラが乱高下するこの異常な経済依存体制……生徒会はこれを重く受け止めたわ。よって本日ただいまを以て、市場の安定化を図るための『金融引き締め政策』を実行に移す!」


「き、金融引き締めだと!?」委員長の田中が叫ぶ。

「ええ。市場が『カレン株』の独占状態にあるのが問題なのよ。だから、投資家の資金を分散させるために――大型の『新規公開株(IPO)』を上場させる!」


四宮がモニターに向けて端末をスワイプすると、画面が二分割され、カレン株の隣に新たな銘柄のチャートが現れた。


【新規上場:橘ひまり株(コード:0002)】

【始値:10,000円(公募価格)】


「なっ……ひまりの株だと!?」

俺は思わず立ち上がった。橘ひまり。昨日、弁当を届けに来て大暴落を引き起こした、俺の幼馴染だ。


「そう。明るく元気で親しみやすい『妹系幼馴染』銘柄よ! 高嶺の花であるカレン株に疲れた投資家たちの資金を、確実に吸い上げるポテンシャルを持っているわ!」

四宮の言葉に、一部の男子生徒たちがハッとした顔になった。


「た、確かに……カレン様は高坂にしかデレないが、ひまりちゃんなら俺たちにもワンチャンあるのでは……?」

「妹系銘柄……手頃な価格だし、配当(笑顔)も安定していそうだ……」


「「「ひ、ひまり株を買いだぁぁぁっ!!」」」


なんと、これまでカレン株に全集中していた資金が、一気に新規上場の『ひまり株』へと流れ始めたのだ。

カレン株のチャートが、急激な資金抜けにより、ガクンと値を下げ始める。


「ちょ、ちょっと待て! 幼馴染を勝手に上場させるな!」

俺が抗議の声を上げたその時。


「……許さない」


地を這うような、冷たい声が隣から聞こえた。

見ると、カレンが立ち上がり、絶対零度の瞳でひまり株のチャートを睨みつけていた。


「私の……優人くんへの想い(価値)が、あんな泥棒猫の新規上場ごときで、下がるというの……?」

カレンの周囲の空気が、パキパキと音を立てて凍りついていくような錯覚を覚えた。


「上等よ、生徒会。……私の資本力(愛)の底力、思い知らせてあげるわ」

カレンはスマホを取り出すと、自身のアプリから何かのボタンを連打し始めた。


「な、何をしているの神宮寺さん!?」四宮が慌てる。

「自社株買いよ」

「じ、自社株買い!? 自分の好感度を、自分の財力で無理やり買い支える気!? そんなことしたら市場が……!」


『ドッゴォォォォォォォン!!!』


カレンの怒りと嫉妬を乗せた自己資金の投入により、カレン株とひまり株のチャートが、血みどろのシーソーゲームを開始した。

学園のエアコンが熱風と冷風を交互に吹き出し、照明がクラブのストロボのように点滅する。


「ぎゃあああああ! どっちだ! どっちを買えば生き残れるんだ!!」

「空売りだ! いや、現物ホールドだ!!」


手作りの玉子焼きの余韻も吹き飛び、俺とカレンの恋の行方は、生徒会が仕掛けた「代理戦争マネーゲーム」という新たな混沌の渦へと呑み込まれていくのだった。

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