第37話 雪月花を魔法で
『――、笑っ……て……』
皆で助け合って仲良く――そう告げられた言葉は、残された者には呪いのようであった。
酸素マスクを外して、たどたどしく必死に懇願してきた。最期の願いと言えば、聞こえは良い。
けれど、終わりのない現実では、ただ非情だった。
――あの言葉が、なければ。
誰も、あそこまで狂いはしなかったのではないだろうか。身体を壊すほど働くことも、心を壊すほど抱えることも。
他者を傷つける前に、どこかで手離す勇気が、選択肢が、得られたのでは無かったのか。
『――ルル、良かっ……た……』
暗闇の中、物言わぬ事切れた父に、涙か、汗か、血か、濡れそぼった母が頬を撫でてくる。
身動きの取れない中で、音も、匂いも、全てが重かった。
――何も、良くない。生きたかったのは、貴女たちの方だわ。
死にたくなかったのも、その誰か、なのだ。
上着の合わさった胸元を握りしめ、フルールは俯いた。上を向くことも、表情を作ることも、今は出来そうにない。
「……そんな、綺麗なもの……じゃ、ないわ」
前世の、変な夢を見たせいだ。
目の前に居るのが、唯一、今生で涙を見せた相手だからだ。さらには、何を考えたのか、キスまでしてきたのだ。訳が分からない。
「だが、醜くもない。大丈夫などと言ってくれるなよ。傷は、所詮は傷だ。私は、私で。君は、君だ。変わらないものもあれば、変わるものもあるだろうが。
だからと言って、自らを陥れて、呑み込む必要も何処にもない。自分から傷を増やすのなら、それは、誇れる行いのもとで在るべきだ」
「……詭弁ですわ」
悪態をついて、フルールはムッとする。頭の固いルゼルヴェのことだ、それはお世辞ではなく、本当にそう生きてきたのだろうと思ってしまう。
だからこそ、フルールはさらには自責に駆られた。上手くやって来たのに、どうしてこうもこの男の前で躓いてしまうのか。
「つまらない人間だからな、私は。間違っていても、そう生きるしか他を知らない。周りには信頼におけるものしか、揃えたくない臆病者でもある。もう、傷つくのが嫌だからな。
全てが敵に思えて、ひたすらに力を磨いたこともあったな。子どもみたいだろう。けれど、強さは手に入らなかったが」
ルゼルヴェの語りに思い出したのは、一度訪れただけの本邸と別邸だ。本邸は、広さのわりにガランとしていて使用人が少なかった。対して、別邸は入り口から、すでに人が多かった。
さらにはルゼルヴェの周りも、名乗られずともフルールと顔見知りにはなってくるほどに、人が固定されていた。
「十分、お強いでしょうに」
「いいや、足りない。今も、周りを暖めることが精々だ。あの男ならば、辺り一帯を相殺するな」
「お義父様のこと、でしたら、向き不向きでしょう」
一人でなんでもこなしていると、フルールは思っていた。それに火が苦手で得意な相手と比べるなど、相手が先ず違うだろう。
「……それに、お手間をかけましたよね。私、自分の不始末くらい……自分で、します」
フルールの身体から、なおも魔力が抜けていく感覚がある。先程の比ではないとはいえ、まだ周りを冷やし続けているのだろう。
ルゼルヴェは、それをずっと黙って防いでいたのだ。
「そうか。なら、声に魔力を込めろ。腹から、喉から、音が出るのと同様に、言葉に魔力を乗せろ。言霊となって、君の力になるだろう。この冷たい世界を好きに変えればいい」
「……冷たい……」
それはきっと、フルールの心境を反映したのだ。表と裏の、裏の部分。醜く冷たい、人でなしの一面だ。
「……いいか。君が守りたかった子どもたちは術の範囲外で無事だ。フィアビリテが、村へ届けている頃合いだろう。そして危害を加えた人間には、情けは必要ない――自業自得、だからな」
ルゼルヴェがフルールを抱き寄せた、頭に手を乗せ胸へと押し当てる。規則正しい心音が耳に響いた。
「旦那様は、相変わらず無茶苦茶ですわ」
「そうそう変わってたまるか。いや、君には変わりたいのだが……。まあいい、私には当然、気遣い不要だ」
「……ふふ」
言葉を濁すルゼルヴェが可笑しくて、フルールは苦笑する。素を見せたくないはずなのに、呆れるほどに頭のネジが飛んで、相当きているのかもしれない。
「《雪月花の時、最も君を憶ふ》」
地面に溢れたたくさんの氷も掬うように、両手で底をさらう仕草をして、フルールはそれらを空へ手向けるように捧げた。
――願わくば、詩のように。悲しい記憶だけじゃなくて、美しい記憶で。
顔も、声も、もう――ろくに、覚えていない。薄情者だったのかと誰に言うこともせず、フルールはずっと諦観していた。
きっと、痛くて、痛くて、見ることを辞めてしまったせいなんだろう。
「……七色の花か、なら閉じ込めておくのは、少し勿体ないな――《羽ばたけ》」
フルールが冷気を集め、空間全ての氷を花へと変える。辺りは暗いのに、氷が光を受けたようにキラキラと輝いていた。
ルゼルヴェがそれを見上げ、天井を風が穿った。それは光を受けて美しい鳥の形を模していた。
「やっぱり、旦那様の魔法が良いなぁ……」
パラパラと砂がフルールに落ちる前に、ルゼルヴェのまとう風が避けて、眩しいほどの月明かりが届く。
夜空には溶けるように、鳥が自由に羽ばたき、花が舞い上がっていた。




