第35話 濁った氷のなんて醜いことか
子どもの心拍数は大人よりも多い。
子どもたちの身長は大人よりも小さい。
――魔法は、イメージが大事。
そこは部屋のようだった。四方は土壁、中央に椅子が一脚、奥には粗末なベッドが一つあるだけの狭い空間。
――全部、全部、凍ってしまえば良い。
魔法から除外するのは、ディリーとジャンの二人の子どもだけ。
フルールの吐いた息が白くなる。吸い込んだ冷気が肺を刺す。空気中の水分が凍り、氷の割れる音が至るところで響いた。
「あ――、ぁ」
コツ、コツとフルールの足音が反響する。表面が霜で白くなり動かない男の目の前で止まった。蔑むように見つめて、紫に染まる唇から吐息を溢した。
「ざまぁみろ」
息を吸うだけで、軋むように胸が痛い。辺り一面を真っ白に変えても、脅威を退けたと言っても、心が晴れることはない。
フルールの声以外に物音一つなく、耳鳴りがした。そこに合わさるように心臓の鼓動が耳で聞こえるようだった。
「……こんなことなら、付いてきた意味がない、じゃない。背後にまだ人が居ないか、とか。村を害さないように対策を、とか。色々、考えてたのに――」
とつとつと、誰に言うでもない一人言が漏れた。目尻から雫が溢れ落ちる前に、パキりと氷の粒へ変わる。
早く部屋から出て、子どもたちを村へ帰さないといけないのに。
――あの子たちには、母親が帰りを待っている。
冷えた手足が鉛のように重たく、フルールは膝が砕けて、その場に尻餅を付いた。
体温が下がっていくのと同時に、魔力も消費されているのを感じる。
その流れの止め方を知らなかった。まるで子どもの頃、公園で出しすぎた水に慌てて蛇口の閉め方を度忘れしたような。
――あの氷細工は、綺麗だったのに。
ただ静かに、霜が足の先に降り積もる。その氷は白く、酷く濁って見えた。フルールの作る氷にはいつも、空気という不純物が混ざって、醜い。
「……本当、暴力なんて……屑の、すること、よ」
はく息の白さの向こう側、両の手を見つめて、凍りついた指先にほくそ笑んだ。その手のひらに、氷の粒が幾つも落ちては転がっていった。
男たちを氷浸けに力でねじ伏せたフルールもまた、嫌悪の対象だった。
◇◆◇◆◇◆◇
「――あれは」
信号弾の後、大気が震えるのをルゼルヴェは感じ取った。間を置かずに、目の前で立ち上ったのは夕暮れの空に伸びる氷の柱だ。
急く気持ちを抑え足場の木を蹴り、風を操って滑空する。
――あれを目指せば良い。
治水事業の打ち合わせ、砦で副官と話を詰めていたルゼルヴェが、窓から見たのは久しく使われていない信号弾の光。領内で使う相手など、一人しかいないだろう。
魔力を頼りにしていたが、目視出来る分、あそこを目標にすれば自然と合流も容易だろう。
「あ、良いタイミング」
「……状況は」
ガサガサと木々が音を立てて、幾つかの枝葉が折れて落ちる。構わず地面へと降り立ったルゼルヴェは、フィアビリテに声をかけた。
へらりとしたいつもの口調ながら、全く目が笑っておらず、普段の飄々とした雰囲気が皆無だ。その姿も、所々汚れてる。
「村での視察中に、目を離した。林道の真新しい轍を辿って追いついて……奥様、子どもを人質にされて、抵抗せずに付いていったみたいだねぇ」
「……子どもは、そこの二人だけか?」
フィアビリテのすぐ側で、上着を下敷きに子どもが二人寝ていた。
「ああ。この子たち、二人でいつも居る子たちだから、中にはもう居ないんじゃないかな。人攫いもこの辺りでは聞かないし。
ともかく、様子を窺ってたら中から男たちが出てきてさ。そこの馬車から連れていこうとしたから、保護したところ」
近くに停まっている馬車と洞穴を指して、フィアビリテは肩を竦めた。
そのどちらも、空気中を舞う氷によって白く覆われている。氷柱だと思ったそれは、近くで見れば大気を含めた辺り一帯が凍りついていて出来ていた。
「子どもは無事なのか」
「この中でも、わめく元気があったから大丈夫じゃない? 見たところ大きな怪我もないし、今はちょっとうるさかったから寝てもらってるだけ。……とは言え、残して中に行くのもってね」
「その怪我は?」
フィアビリテの右腕、暗がりで分かりづらいが血が滴っていた。ルゼルヴェがそれを見て、眉を潜める。
「男たちを仕留めた直後に、この氷に見舞われてちょっとねぇ。子どもたちには無害なところを見ると、奥様だなって思ったんだけど」
「この魔力は間違いなくフルールのものだ。その認識で良いだろう。交渉でもして決裂したか?」
内情がどうあれ、フィアビリテが落ち着いている。だから、ルゼルヴェもすぐに中へ行くのではなく普通に話していた。
よくよく見れば、氷の内側、フィアビリテが倒したのだろう男たちが地面に伏している。全身が氷で覆われ、その上にもさらに細かな氷が白く積もっていた。
目の前の現象に対しフルールの優位性を感じとったのは、彼女が地形改変した跡地を実際に見に行ったせいか。
「……奥様ならやりそうだけど、それなら出てこないのが気になるんだよね。だからさ。ルゼルヴェ、迎えに行ってくれない?」
「そのつもりで来たが、氷で怪我とはどういう理屈だ?」
「言葉のまんま――」
フィアビリテが見た方が早いと、右手をその境界線の向こうへ突っ込んだ。
パキッっと高い音が響き、白い世界へ差し込んだ部分だけが霜で覆われ凍結する。
「俺だと、そこの穴に着くまでに動けなくなると思うんだよね。……護衛失格で、悪い」




