第34話 キレる
「お断りしますわ」
「女ぁ、お前。立場分かって言ってんのかぁ?」
真っ暗な闇。馬車が止まったと思ったら、男が入るなり子どもたちを盾にした。
もう一人の男がフルールを雑に縄で縛ると、さらに布で目隠しまでする周到さだ。
――逃げ出しはしないのに、周りが見えないのは困ったわね。
見えない中、乱暴に引っ張られ、途中何度も足がもつれてフルールは転けた。受け身も取れず、擦り傷に、砂汚れに、すっかり全身ボロボロだ。
連れてこられた先でも目隠しを取られることはなく、初めて聞く声に事態が動いたのだけは分かった。
「要するに、奴隷のように尽くせと言うのでしょう? その下品な声だけでも、拒否するには十分だと思いますけれど」
フルールは塞がれてない口で意思を表し、小首を傾げて笑みを浮かべる。商人と名乗る男の要求は、フルールから全てを取り上げることだった。
「立場が分かってねぇな。俺はぁ、気が短い。縦に振るしかねぇんだ。怒らせる前に、縦に振っときゃ良いんだよ、あぁ?」
ずしずしと音を立てて男が歩いてきた。近くなる足音に、フルールが身構えれば顎を掴まれる。
じっとりと脂をのせた男の指が、品定めするようにフルールの顎を、右、左と軽く横を向かせるように動かした。
「……あら、その重たい足音に衣擦れの音、くぐもった声と粗い息。ずいぶんと、肥えてらっしゃるようですわねぇ。私、そんな自分の利益と欲に忠実で、周りに還元しない人とビジネスなんてしませんわ?」
目隠のせいか、周りの音がいつもよりよく聞こえる。フルールは一度、ぐっと唇を噛み締めた。
目の奥が痛み、溢れ出そうな恐怖を心の奥底に沈めた後、微笑を浮かべ嫌悪を滲ませて答える。
この世界で肥えているのは病気を除き、それだけ金に困っていない証拠だ。
『良くも悪くも注目を浴びているわ。侯爵の死角に気をつけなさい』
王太子妃の言葉を思い出し、死角にしてはかなり小物だとフルールは判断する。
白粉を発端にした制度改正で、どうしても販売側で被害を被った商会や人間は居るだろう。
――知らずに健康被害を受ける人が増えてから対策するよりも、マシだわ。
男の手を振り払うこともなく、ぎゅっと拳を握りしめて、フルールは足の爪先まで意識して立つ。
「国から通達があったかと思いますの。私も目を通しましたから、商人なら字も読めますよね。職を失い、路頭に迷う者が現れないように救済処置も制度化されていましたわ」
流通していたものを、いきなり禁止には出来ない。今は、移行期間でもあるとルゼルヴェから聞いている。それを糧にする生産者がいるからだ。
ただ一度噂が広まれば、どのみち嫌煙され需要は減り方向転換は迫られるだろう。
「貴方みたいな人が切り捨てることを想定して、ね」
領都での三日間の限定出店をした際に、探りに来る同業者は幾らか居た。聞いてくる者、観察するだけの者、客に扮した者。
けれど、表立って失礼を働く者もまた居なかった。フルールの身分も、背後も隠してないだけに調べれば分かることだからだ。
「――おい、ガキども連れてこい」
「へ、へい!」
「優しくしてりゃ、つけあがりやがって」
顎から手を外し、男は低い声で指示を出す。その音が遠ざかるのを感じながら、フルールは鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
「ガキは見せしめだ。おい、そこのお前。コイツが首を縦に振るまで、好きにいたぶれ」
『びぃびぃ泣きゃあ良いと思ってんのかぁ。――、俺の子だろうがよぉ! 黙って親の言うこと聞いてろやぁ!』
広がったのは色鮮やかな光景。深みのある木の梁の天上、吊り下げられた電球が左右に揺れて、眩しいほどの光が掲げられた瓶に反射してキラキラとしている。その中、茶ともオレンジとも取れる色が揺れていた。
逆光で真っ黒な人影が、酷く不気味に映る。
『――社交にも出ず、どうするのかと思っていましたが、良かったですね。姉上。侯爵家からの縁談であれば、父上と母上も、天上でお喜びのことでしょう』
冷え冷えとした声は、ほとんど会うことも無かった幼さの残る者からだ。窓から射し込む光で、やや暗がりになった姿。書類を見つめる視線が、こちらを向くことはない。
「……らい……」
「あぁ? やる気になったのか」
フルールの口から、小さな音が漏れた。
気がつけば、真っ黒な世界に戻っている。男の声が、身の毛がよだつほど不快感を植えつけてきた。
「嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い。男だからって、見下して、女だからって、力で押さえつけて。皆、皆、大ッ嫌い。反吐が出る」
フルールの足元から冷気が吹き出し、下からの風に目隠しの布が煽られ――外れた。ヒラリと空を舞った布が凍る。
バキッ。バキン。
ずっと、ずっと、馬車の中でどうしようかと考えていた。無力な子どもは守る対象であるべきだからだ。
フルールは目の前に現れた小肥りの男を憎悪で睨み、暗く嗤った。




