第3話 新しいスタートの第一歩
「ズボンが履きたかったわ」
「フルール。山への採取ならともかく、今日は視察。人目のあるところで、それはダメ」
馬車の中でフルールがぼやくと、向かいに座ったカームが即座に否定した。
おかしい女性騎士も居る世界で、なぜフルールがズボンを履いてはいけないのだ
「この格好じゃ、馬に乗れないわ」
「乗せないための格好ですからね」
ゆっくりと通りすぎていく外の景色を眺めながらフルールが言うと、輝かしいほどの笑顔でカームに返された。
「……カーム、どんどん遠慮が無くなってきたわね?」
「会長を正すのも、部下の務めだから!」
張り切っているのがとてもよく分かるが、フルールとしては大変複雑である。
『じゃじゃーん、開店祝いを預かってきました!』
打ち上げの買い出しに行っていたフィアビリテが、乾杯の後に広げて出したのは二通の書類。それをフルールが受け取ったのは、もう一週間くらい前だろうか。
『あ、侯爵様ちゃんと手続きしてくれたんですね!』
いつも旦那様呼びだったカームが、呼び名を変えたことにフルールは引っ掛かりを覚えた。その疑問がすぐに解消したのは、出された書類だった。
『暇ください! って言ったのにスルーされたから、気がかりだったけど、杞憂で良かった~』
『ちょっと待って、これカームとガルドが従業員として商会に登録されてるわよ!?』
嬉しそうに笑うカームに、驚いたのはフルールだけ。見ればガルドも顔が綻んでいるし、フィアビリテに至っては全部知ってるという顔だった。
「何も私を商会長として、仰がなくても良いのに……」
必要事項を書いた後は、ルゼルヴェに投げていたから、どっきり企画も良いところだった。
それで特段何が変わったということは無いのだが、彼らからの距離感が気持ち近くなり、フルールも無下にできなくなっていた。
――下の意見を聞くのは、上の務めだものね。
本邸に帰ってと伝えた時に、ただのフルールでも良いと慕ってくれた彼らだ。商会の従業員として、身元が保証されるのは良いことだろう。
路頭に迷うことがないように、フルールは生計を立てるだけだ。
「これからフルールには、必要な場面ではちゃんと着飾ってもらうから。舐められないためにも必要なことだから!」
そう宣言したカームは、フルールのことをよく熟知していて一枚上手だった。着替えの服を一揃えのみにして、選択肢を潰してきたのだ。
「じゃあ、そうでない場合は、いつもと同じでいかせてもらうわね」
折れどころだろうと、フルールは線引きをした。ズボンはダメだがそれ以外なら、というカームの配慮に気付いているからでもある。
――貴族だからってドレス! じゃないだけマシよね。
今の服装も、デイドレスではなく品の良いワンピースだ。刺繍や飾りが要所要所に施されていて、見れば自ずと身分が分かる仕様になっている。
家ではもっと質素な服を着ていても何も言わないのだから、言葉通り場に合わせろという至極全うな意見だった。
「フルールの場合、お忍びとか無理だと思うから仕方ないよ」
「お忍びどころか、私はもう十分に庶民に馴染んだと思うのだけど?」
こてんとフルールが小首を傾げると、カームがゆるく編み込んでまとめてくれた髪が揺れた。カームがそれを見て、なぜか嘆息する。
「いやいや、侯爵様袖に振っても、フルールは若手新人の商会長だから」
そんなやり取りをしていたら、コンコンコンと小窓からノックされた。従者として馬の手綱を握っていたフィアビリテだ。
「奥様~。そろそろ休憩挟もうかと思います。横乗りで良いならちょっとだけ、馬にも乗せれますよ」
中での会話も、彼にはバッチリと聞こえていたらしい。女性の会話を盗み聞きとはいかがなものか。いや、普通に提案してくる辺り盗んではいないのか。
「そこまでは別にいいかしら」
好奇心から馬に乗りたいのではなく、移動手段として馬に乗りたいのでフルールは断った。それからやや声を潜めて、カームに訊ねる。
「……もう少し防音性あげる?」
「そうなると、フルールの趣旨から外れそう」
「どうして馬車って機能性と華美が比例してるのかしらね?」
「お金持ちはほら、見映えも大切だから」
「馬車の中で、わざわざ井戸端会議しなくても良いんじゃないですかね、二人とも」
軽いノックの後、カチャリと開いた馬車の扉から、フィアビリテが笑顔で覗いてきた。
エスコートされて馬車から降りれば、僅かな木々とそこを流れる小さな川が目に入ってきた。
「ここ水場もあるんでちょっとゆっくりと休憩して、このまま行けば、エルヴァージュ地方にはお昼頃かなってところですよ」




