第47話 押し込めた気持ちが、弾ける音
「ありがたいけどねぇ、ホントに良いのかい?」
「大丈夫ですわ。じっとしている方が性に合いませんの、手伝わせて下さいな」
ルゼルヴェに抱かれたまま運ばれ再び訪れた宿屋では、女将が炊き出しを作っていた。
休むことを勧められたが、フルールはそれを手伝うと申し出たのだ。
――大丈夫。今までも、大丈夫だったもの。
もう、馬車の事故から一年ほど経ったのだ。大怪我により前世を思い出してから、性格は確実に引っ張られている。
生家では口には出さないが誰もが皆、以前とは別人だと受け入れ難く感じていただろう。
――全部、他人事よ。
フルールは手を洗って、予備のエプロンを借りると女将の指示を仰ぐ。すると何か一品作ることを任された。
女将が作っているのは、昼とは違うシチューだ。さらにパンも焼いている。
食材を確認して、フルールは調理に取りかかった。
――作るのは、揚げ物にしましょう。
ルゼルヴェに振る舞おうと思っていたこともあって、天ぷらがすぐに頭に浮かぶ。
食材を刻んで、衣をつけ揚げていくだけ。今のフルールでも問題なく作れるはずだ。
食堂と言うだけあって、調理場は広く、道具も充実している。フルールは何も考えたくなくて、目についた野菜をひたすら切った。
調理の手際は身体が覚えている。心ここにあらずでもとても心強い。
「そんなに油を用意してどうするんだい?」
「揚げていくんです。美味しいんですよ?」
フライパンに、揚げ焼き用で油を投入したいると女将が覗きに来た。フルールが答えると、面白そうだと笑っていた。
ちなみにルゼルヴェは、調理場に入らずホールに居る。女将から中に入るなと言われたからだ。
『忙しいのに、ルヴェ坊のお守りまでしてらんないよ』
そう言った女将の気さくな態度に、フルールは鈍い痛みを確かに覚えた。
小麦粉を酒と水で溶き、野菜を絡める。熱した油の中へ次々に入れていった。パチパチと弾ける音を聞きながら、フルールは目を伏せる。
――羨ましいなんて、思ってないわ。
前世を思い出してからずっと、生家は息苦しかった。事故後の屋敷では、フルールを腫れ物のように扱う周囲を見て、異物のようにに感じていた。
家でも外でも居心地が悪く、ぐちゃぐちゃと渦巻く気持ちを持て余していた。ならばと、いっそ蓋をして貴族として生きることにフルールは決めたのだ。
フライパンの中で、衣をまとい、軽い音を奏でて野菜が踊っている。それを見つめて、フルールはポツリと小さく呟いた。
「……今が、楽しいから」
最初はルゼルヴェの態度に腹が立ったけれど、今では良いとこ取りで楽しく過ごしている。
だからそこ、今のフルールになった起源であるあの音に、こんなにも引きずられることが予想外だった。
目を閉じれば、雨の音と耳を裂く馬の嘶き、悲鳴が甦る。こみ上げるものをぐっと堪えて、フルールは一度目の天ぷらを引きあげた。
――前世があるから、今を生きれているの。それで良いのに。
前世を思い出さずに事故の傷を抱えて生きるのは、昔のフルールには難しいだろう。大人しくて優しい普通の貴族の令嬢だったから。
ジュワ、ジュワと音を立てて二回目の野菜をフライパンに入れていく。コロコロと中で転がる野菜が、馬車の暴走により道に転がった物資と重なった。
馬車の前に悠然と立つルゼルヴェの姿が思い起こされる。彼が怪我をしたらと始めは心配した。そして浮いた馬車を見て、どうしようもないことが過った。
――あの場に旦那様がいたら。いいえ、私がもっとすごい魔法を使えていたら。
そもそも、馬車が事故に遭わなければ、前世を思い出さずに普通に生きられたはずで――そんな埒もないことを考えていた。
「――っ?」
「女将、後は任せるぞ」
突然、後ろからルゼルヴェの声がした。ヒヤリとした冷たい手にフルールは掴まれて、視界も暗くなる。
「……ルヴェ坊、泣かせるんじゃないよ」
痛みを孕んだような女将の声が耳に届く、わけが分からなくてフルールは戸惑った。
「あの、まだ途中ですから!」
「ああ、後は揚げるだけなんだろう? 手が空いたからね。続きは任せな。ほら早く手当てにいったいった」
作り方は見ていたからと、女将がそう言った。フルールはそれに、引っ掛かりを覚える。
――手当て?
よく分からないが、後ろにずるずると連れていかれる。
目隠しされたままでは、調理場と言うこともあって下手な抵抗が出来ない。
「あの、私は大丈――」
「自分の怪我にも気づかないようでは、何をされても文句は聞けないぞ」
せめてと声を上げれば、ルゼルヴェの固い声に遮られた。
目に当てられた彼の手は少し冷たく心地良いくらいだが、フルールの手を握るもう一方は、冷たすぎることに気づいた。まるで氷魔法でも使っているような。
「旦那様、何を……」
「君のその無頓着さはおかしい。油で指を揚げて……平然としていられるのは、君くらいだぞ。ことのおかしさに気づいたなら、頼むから、大人しく従ってくれ」
言葉こそ乱暴なルゼルヴェだったが、そこに確かな震えと気遣いを感じて、フルールは押し黙った。
さっき羨ましいと思ったそれが、自分に向けられたからだ。




