第43話 それぞれの立ち位置は
フルールは外を眺めながら、パンを千切って、口へ運ぶ。軽く焼いたのだろう、ほんのりと温かく外側がパリッとしている。中はふんわりしていて軽い。
「……」
モグモグと咀嚼しながら、静かな部屋を満喫していた。階下からは賑やかな音が伝わってくるので、ルゼルヴェが揉まれているのだろう。
――元宿屋、かしら?
フルールがいるのは、こじんまりとした部屋だ。ベッドにサイドテーブル、イスとテーブルを置けばちょうど良い広さに見えた。
階段を上がった時に数部屋あるのも確認できており、広さ的にも食堂だけとは、考えにくい造りだった。
――女将さん、活き活きとしてたなぁ。
フルールはそう思いながらシチューにパンを浸して口に運ぶ。軽いパン生地にたっぷりとシチューが染み込んで、口いっぱいに広がった。
「あと二年と半年ちょっと……引き継ぎまで入れて、間に合うかしら?」
忙しいのは立ち上げの今だけ、そこから徐々に手を離れていくのがフルールの理想だった。
成り行きで夜会に出ることにまでなって、フルールとしてはちょっと困った事態だ。
――足のことが無くても、庶民には荷が重いわ。
フルールは、ショートブーツを履いた足を見る。採取へ出掛けるため、夜はなるべくマッサージを取り入れているが、足首は未だ固い方だ。長時間歩くと、決まって足首の周りが痛む。
かかとには深い傷跡が残っていて、ヒールなど履けない。
「折れた骨の欠片とか、ちゃんと治ってないんだろうなぁ」
誰もいないからと、行儀悪く足をブラブラと遊ばせた。
フルールは残ったパンを豪快に口に入れて、ぼんやりと空を見上げた。一人での食事などいつぶりだろう。
「素の自分かぁ……」
家ではのびのびと過ごしているが、素かと聞かれるとちょっと違う。でもそれに関して、彼らの方がもっと気苦労していることだろう。仕える立場なのだから。
「フルール・サントゥール侯爵夫人、最後まで演じきらないと」
フルールは残ったシチューも平らげて、ナフキンで口許を拭いた。馴染みのない名前も、肩書きも、用が済めば手放したい。
夜会なんて一度出てしまえば、それで終わりではないのだ。きっとその翌年も出ることになるだろう。
「身の丈に合った生活で良いの、私は」
大きく伸びをして、フルールは入口を見てから、目の前のトレーを見る。
「旦那様、冷めてしまうけど、どうするのかしら?」
フルールが食べてしまうべきか、階下に持っていくべきか、待つべきか、食べ物がもったいないと思うと悩ましいところだった。
下の賑やかな音は変わらず、響いていた。
◇◆◇◆◇◆◇
「――で、あんなに可愛くて良い子に、ルヴェ坊は何したんだい」
「おうおう、坊主はまたなんかやらかしたのか! 懲りねぇなぁ」
「また無い見栄を張ったんじゃねぇの。これだから、お貴族様ってやつは面倒だなぁ」
「そこは決定事項なのか? 私はただ……」
一階へと連れていかれ、ルゼルヴェは公開処刑にあっていた。
まだ昼時とはいえ食べ終わったのなら、仕事場に戻るべきだろう。ルゼルヴェがそれを最初に言えば、彼らは揃って侯爵様の接待をしていたと報告すると笑顔で言っていた。
「ただ、なんだい? 言えるもんなら言ってみな?」
ニヤニヤと笑う女将は、言わなくても全部察していてそうで怖い。さらに全員が全員、ルゼルヴェに非があると決めつけている。
実際その通りなのだが、ここまで信用がないのもいかがなものか。仮にも領主なのに。
「……はぁ、非があるのは認めている。今は私が彼女のパトロンをしていて、再構築中なんだ。だから……彼女の前ではやめろ、失礼だろう」
ルゼルヴェがうつ向きがちに言えば、どっと笑いが起こった。
「……構築してすらねぇだろ、あれは」
「ルヴェのあれは、女房に逃げられるヤツの顔だよな」
「えぇ、嬢ちゃんのありゃ得意先に向ける顔だって! 脈なしか、こりゃあいい。夜ならいい肴になったのに残念だなぁ!」
「おうおう、骨は拾ってやらぁ」
「お、じゃあ俺は昼からついでに穴を多めに掘っとくわ」
――コイツら。
ルゼルヴェが強気に出れないのを良いことに、言いたい放題である。
あまり騒げば二階に声が届くかも知れないと思うと下手に刺激せず退散するのが一番だ。
「立ち位置は理解したかい? いっちょ前にツレの顔して入店してさ。彼女がルヴェ坊に合わせてる間は、まだまだだねぇ。
励みなよ。せっかくこんなところにまで、ついて来てくれる子なんだから」
「彼女は貴族らしいものを好まないから、とっさにここを選んだんだ。連れて来たことを、半ば後悔しているが……」
肩をバンバンと叩いてくる女将にげんなりしながら、ルゼルヴェはむすっとしてふてくされたように言葉を返す。
「どっちにしたって一緒さ。あの子は合わせることに慣れてるクチだ。どこに連れてってもきっと同じだよ。
ルヴェ坊がここを気に入ってくれてるのは嬉しいが、あの子は初めてなんだ。
再構築に必死になって、付きまとうのは止めときな。ちゃんと息抜きが出来るように配慮もしないと、何事も塩梅が大事さね」
「彼女は普段、自由に過ごしているぞ。フィアビリテからも、カームからも報告を受けている」
定期的な連絡要員を配置し、相互にやり取りを出来るように整えた。時々、彼らからの手紙が混じっている。
「……フィアビリテとカームは、ルヴェ坊のとこのだろう。彼女、貴族のお嬢様だろう? 自分のとこの使用人を、連れてきていないのかい?」
――使用人?
女将に言われて、ルゼルヴェはキョトンと呆けた後に思いいたる。フルールは必要ないからと言って、一人で輿入れしたことを。
あまりにも自然に彼らと過ごしているから、すっかりと頭から抜け落ちていた。
そもそも侯爵家でも一人で出ていこうとしたから、カームとガルドをルゼルヴェが強引に付けたのだ。
「ああいやだ、彼女に息つく時間も与えてなかったのかい。育て方を間違えたかねぇ。そんなだからダメなんだよ」
「……育てられた覚えは、ない」
ぐうの音も出ない、さらにはぐさりと胸に刺さるものがあった。ルゼルヴェはなんとか低く否定をする。
「いいや、育てたね。旦那に先立たれて宿屋を閉めたら、ちょうどルヴェ坊が来たんだ。よく覚えてるよ。ここは、それから食堂に様変わり。
それが今じゃねぇ、バカどものいい飯処だよ。ルヴェ坊もこの店も私の子どもになった。
手のかかる子の面倒は、ちゃんと見てやるさ。何かあったら、昔のようにいつでも来な」
バシッと一際強く背中を叩いた女将をじろりと睨むと、その後ろの客たちもニヤニヤと笑いを隠しもしていない。
そこに悪意がないことを恨めしく思いながら、ルゼルヴェは階段に足を乗せた。
「……人付き合いは苦手だ。どうすれば良いのか……分からなくて手探りなのだから。次からは、もう少し優しくしてくれ」




