第30話 一応三年は侯爵夫人でもあるので、怪しい粉も出すけれど。
あの話し合いの日。フルールが個人で人を雇うと言ったら、ルゼルヴェは難色を示した。妥協案として、フィアビリテが家に居着くことになった。
――魔法を使わず、誰にでも出来る仕事なら……。
ここは辺境といっても差し支えない、領地の端の田舎町。
王都から領地の別邸、それからこの町に来るまでの長い道中で、やはりというか生活に困っている者を何人も見かけていた。
「浮浪者や孤児、生活に困っている者を積極的に採用し、仕事を与えることが出来れば、治安の改善が見込めるわ。
既存の職からただ引き抜きしても、貧困の差が広がるし余計な軋轢を生むだけだもの。
同時に、全体的な領地の経済発展が起こると思わない?」
領地の事業として成り立たせるなら、フルールだって侯爵夫人として責務を負うべきだろう。譲れないところだ。
「全否定してるわけじゃないんですよ。身元にこだわっていたのは、ルゼルヴェなりの気遣いです。
奥様の周りを安全に固めたいだけなので、それ以外なら、アイツも承諾しますよ。
課題はありますが、よく練られているお考えかと」
「気遣い? 安全?」
「奥様は、サントゥール侯爵夫人ですからね。危険な目には、もうあって欲しくないってことですね」
フィアビリテがそう言って親しみのある笑顔を向けてくる。
仏頂面で別れたルゼルヴェを思い出し、フルールは思うのだった。
――全然、そうは見えないけど。主従でのこの温度差はどうなってるのよ。
カームも、ガルドも、目の前のフィアビリテも、ルゼルヴェを悪く言わない。
他の者は知らないが、彼らが慕うだけの人柄があるのだろう。ただ、フルールの中で判断材料が圧倒的に不足していた。
だから、これくらいのぼやきは当然だった。
「今さらね。最初からやれば良かったのに」
「いや、そもそもの話、奥様もフットワーク軽すぎですよ。森も、普通は危ないですからね」
「何も出なかったわよ?」
今更ながらに注意を促してくるフィアビリテに、フルールは危険は無かったと返事をする。
「サントゥール侯爵領は、前当主が魔獣を狩りに力を入れてるので、まず出ないんですよ。
あと、この町の周辺は人も少なく、治安が良いから野盗の心配もない。他所ではその限りではありません。もうしないでくださいね、させませんけど」
――あ、魔獣とかいるんだ。
フルールは前世と無意識に比べて、そんなどうでも良いことを考え、ふと気づいて話を変える。
「旦那様は? フィアビリテが抜けたら護衛が手薄になるじゃないの?」
見送りは要らないと断られ、ルゼルヴェは護衛を連れて町の外へと歩いていったのを思い出す。
「もしかして、王城勤めだから文系に見えました?
ルゼルヴェは剣も魔法も、ああ見えて強いですよ。それに今、俺が付いていくとアイツの憂さ晴――取り分が無くなっちゃうので」
「護衛が仕事をするのは、当然でしょう?」
茶化しながら言うフィアビリテの様子に、荒事とは無縁のフルールは、意味が分からず首を傾げた。
「あー、今回はそういうのじゃないんですけど。まあいいです。俺がいると商談がまとまらないと思っていただければ。ほら、俺って無駄にお喋りなので」
今度は完全に濁された。けれど侯爵の仕事に関して、フルールが踏み込んでいい話ではないなと考え直す。
――私、関係ないしね。
王都に戻る道すがらフルールの家を襲った男を連れ、ルゼルヴェはその雇い主である商家の家に向かった。
護衛に手出しを許さず、圧倒的な武力をもって徹底的に鎮圧していた。
それは、フルールの知る由もないことなのだった。
「治安と言えば、いきなり浮浪者や孤児ばかりを集めても、色々と成り立たないわよね。
土台を作る意味でも、特産品がない、困窮している村や町はあるかしら?」
一言に美容と言っても、手を伸ばせば伸ばすほど幅広い分野となる。
規模や人員に合わせて、作業の細分化や割り振りをするのが現実的だろう。
生活に密着するため、簡単には需要が消えることはない。継続的な雇用が見込めるはずだ。
「そうですね。選択をミスると犯罪者集団の出来上がりになるし、製法漏洩による商品の模倣犯が出るとも限りません」
「……そこは、少し考えがあるわ」
フィアビリテ自身に言うのを躊躇って、フルールは言葉を濁す。万全な解決策というわけではないが、方法はないわけではない。
そしてその為には、信頼のおける者が必要なのも事実だった。
領地の地図を広げてみるが、前世に比べてかなり簡略化されている。
町村を始め、目立つ川、池、森の位置関係くらいしかない。距離感も合っているのか不明で、はっきり言って雑だ。
「……領地巡りでも、するかしら?」
フィアビリテが補足してくれるだけでは、補いきれない部分がどうしてもある。
実際に目で見た方が、きちんとした判断も出来そうだと、フルールの思ったことが口から出ていた。
「え、視察ですか?」
「そうとも言うわね。でも、そんな畏まった必要はないのだけど」
案内係が欲しいわけでも、現地の手を煩わせるつもりも、フルールには無かった。
欲しい情報だけを集めたオリジナルの地図が欲しいだけだ。
原材料に関しては、侯爵家を使うのが早い。貴族向け商品を作る場合、自領で賄えない物は購入してでも用意する必要がある。
ルゼルヴェがバックにいるのだ、有効活用しない手はないだろう。
「……ああ、そうそう」
ふと思い出して、フルールはピョンピョンと片足で器用に戸棚へ移動した。
フィアビリテが何か言いたげに口を開きかけてやめ、物言いたげな顔をしていた。
それを横目に見て、フルールは無視を決め込んだ。
素材が自領で賄えて、かつ使用用途を考えると平民よりは貴族、もしくは騎士辺りが重用しそうな物が一つあると、フルールは思い出した。
採取に出掛けた時に足が蒸れたことで、あったら良いなと思いつきで作っていたものだ。
捻挫したことで、フルール自身で試す機会を失っていた。
さらにルゼルヴェに規制されてしまったので、安易に人に試す機会も無かった。
「貴族向け商品として、男性向けなのだけど需要はあるかしら?」
「え、なんか見るからに怪しいの出てきましたね?」
戸棚から、片手で持てるほどの大きさの瓶をフルールは取り出して、フィアビリテの前に置いた。
今、ちょうど適任者が目の前にいるではないか。




