第29話 チャラいだけじゃない男と事業計画について考えます
足の捻挫で周囲が過保護になった結果、フルールは一階でフィアビリテと向かい合って座っている。ここ数日のよくある光景だ。
目の前にあるのは、白紙の用紙と書類の山。
「これはこれで、違うと思うのよね」
好きにしていいと放任された懐かしい初夜を思い出して、フルールは投げやりにペンを手放した。
やけ酒で寝落ちの醜態を晒した後に、フルール主体の契約を交わした。
すると、一気に任されることが増えたのだ。立ち位置の移り変わりが激しい。
「そうですか? 奥様にしか出来ないことだと思いますけど」
別に、流されて請け負ったことではない。
フルールは変わらず、この家で好きに過ごせているのだから。
カームとガルドは今、揃って市場へと出掛けている。
玄関の扉が直ったことを見届けたルゼルヴェは、他の護衛たちを連れてすることがあると、この間ようやく出ていった。
侯爵家当主が、いつまでもこんなところにいて良いのかと正直、面倒に思っていたところだった。
人をもてなす為の家ではないから、色々と足りておらず当たり前の認識だと思う。
念願の日常が返ってきた気がして、フルールの肩の荷が下りたというわけだ。
――まぁ、目の前に非日常がまだあるけど。
目の前にある山とフィアビリテを視界に入れて、フルールは目を閉じて息をついた。
『町の人間には、これまで通り取引して構わないが、窓口にはカームかガルドを挟め。
町以外は、これから立ち上げる商会を通すように徹底しろ』
ルゼルヴェは、出ていく前にそう言った。
売り言葉に買い言葉、話半分で聞いていて、どこか信憑性がなかった話し合い。
新たな契約書と共に話を出されて、ルゼルヴェが本気だったと失礼にもやっと知った。
今、フルール自身の実感が沸いてきたところだ。
――行動の思いきりが、まさに貴族ね。資金が潤沢すぎる。
そうしてフルールの目の前に積まれているのが、事業設立準備と今後の展開を共有するための紙と書類と言うわけだ。
商会や店舗を用意してくれるなら、プライベートは守られる。ありがたい話ではあった。
「そうは言っても、給金の相場とか、原価率に利益率とか仕入れとか、分からないわ。
商会の立ち上げも、店舗の立地とかも、どれから手をつけるのかしら?」
前世なら個人でする際は、各種届け出を始めとして、仕入れ先、販売先を自分で見つける。
事業の準備期間を使って、それらを進めながら、開始前から宣伝も同時に行っていくのだ。
――フリマとか通販とか趣味の範囲なら、別だけどね。
今世、その辺りの勝手はフルールには伝がないため、よく分からない。当主教育も弟がいた為に、仕込まれていないのだ。
「奥様が真面目に知識をお持ちなのが、すでにすごいですよ。強い希望があるなら、要望されると良いですけど。
そうでないなら、その辺りは人に丸投げでも大丈夫な範囲っすね」
「私は、貴方が貴族でないことの方が驚いたわ。その身なりと立ち振舞いで」
向かいに座るフィアビリテを見る。彼は飄々としていて、ルゼルヴェと正反対な印象を受けた。
けれど、食事時やふとした時に品の良さが垣間見えて、紳士的な立ち振舞いが染み付いているように感じた。
改めて自己紹介をした時に、彼は家名を名乗らなかった。フルールが不思議に思うと、平民だから家名は無いと返ってきて驚いたものだ。
「ルゼルヴェとは、乳兄弟で育ったので。教育も一通り、一緒に受けただけですね」
勉強は苦手だと、フィアビリテは笑って肩をすくめていた。
それでも彼は、領地のことに精通しているのだから凄いことだと思う。
『事業としてなら、とうもろこし畑を作りたいのよね』
飼料としてだけなんてもったいない。食べてよし、美容によしなので大量生産してもいいだろうと、フルールは真っ先に考えた。
『……それなら当面の間は、エルヴァージュ辺りが良いんじゃないですか。あそこは酪農のために、飼料を栽培してる地域ですから。とうもろこしも当然、量があるでしょう』
フルールが呟く一人言に対して、分かる範囲でフィアビリテが都度、意見を述べてくれた。
初日はそうして、とにかくアイデアを思いつくままに望みを書き連ねた。その紙はもはや、暗号のようにも思える。
「それでもすごいわ。さすが侯爵家よね、領地が広いもの。
資料を見るだけじゃ分からないことも、貴方が教えてくれるだけで助かるし」
白紙の用紙に、メモ書きとして構想を書きながらこれまでを振り返る。
そうでもしないと、すでに出したアイデアと重複するからだ。
その過程でふと気がかりなことを一つ、フィアビリテに確認をする。
「希望は反映されるのよね?」
「可能不可能は精査されるでしょうけど、基本的に採用されると思いますよ。
奥様、常識の範囲で、無理難題は言わないでしょ?」
フィアビリテが、悩むことなく即答してくる。乳兄弟と言うだけあって、ルゼルヴェの思考をよく分かっているのだろう。
「常識かどうかは知らないわ。ただ、新規事業として人手が欲しいでしょう?
旦那様、やたら身元にうるさかったけれど、浮浪者や孤児を雇ってくださるかしらと思って」
「ああ、それですか……」
思うところがあるらしいフィアビリテが、なんともいえない表情を浮かべていた。




