第27話 さて、旦那様。玉ねぎで泣いてください
「――っく」
涙を堪えてルゼルヴェが苦悶の声を漏らせば、目の前でにまにまと笑んでいるフルールと目が合った。
「旦那様、飴色玉ねぎを作る予定なんですの。もっと薄くお願いしますわ」
「分かったから、包丁の前に手を出すな」
ルゼルヴェの前にあるまな板、その上に乗っているのは半分ほど切れた玉ねぎだ。
フルールが無防備に手を伸ばしてくるせいで、思うように包丁を動かせない。
今、調理場では、カームが肉を炒めている。
ルゼルヴェのやや離れた隣では、ガルドが生地を伸ばしていた。
――なんで、こんなことに。
買い出し組が戻るまでの間、フルール主導でガルドが休ませた生地を再び捏ねていた。
それが面白くなかったルゼルヴェは、昼食作りを手伝うと買って出た。
フルールはそれに驚くこともせずに了承したのだが、その時にルゼルヴェが感じた違和感が、今ハッキリと分かる。
――私への仕返しのつもりか。
カームが、フルールの酔っ払いの原因はルゼルヴェだろうと冷たく言ってきた。
再会してからずつと、とりつく島もないフルールの態度。どちらかと言えば、無関心もしくは嫌悪が強そうだった。
今まで放置していたのだから、それは当然の結果だった。
彼女が納得のいく関係と距離を探り、契約を持ちかけた。
あの時、フルールの感情を引き出せたことで一歩前進したと思っていた。こんな形でやり返されるとはルゼルヴェは思わなかった。
買い出し前のフルールの提案は、カームとガルドから却下された。
彼女は見て分かるほどに不機嫌になっていた。そして今は、上機嫌だと一目みて分かる。
ルゼルヴェが玉ねぎを切って目に痛みを感じ始めた頃から、フルールはずっとこの調子だ。
「……薄く切れれば、いいんだろう?」
二玉切るように言われたが、まだ一つ目。しかもフルールは全体を見渡した上で、ルゼルヴェの作業を無駄に長引かせようとしてる節がある。さすがに、ちょっと面白くないだろう。
「もちろんですわ。作るのは甘辛牛肉の温玉ぶっかけうどんですもの」
目の前のフルールは変わらず、とても嬉しそうに話してくる。ルゼルヴェにまで親しげな態度を取っているのは、酔っているからだ。
――そのうどんとやらが、すでに私は知らないものなんだがな。
いつまでも付き合ってやりたいと、沸いてくるこの気持ちはなんだろうか。自惚れるなとルゼルヴェは気持ちを切り替える。
ふうっと息をついて、ルゼルヴェは途中の塊と残りの一玉を手に取ると、真上に放り投げた。
「あ!」
フルールが驚いて声を上げ、ルゼルヴェは意表がつけたと少しだけほくそ笑む。
宙に浮かんだ玉ねぎが、スパパと一瞬でスライスにされ、まな板の上へと落ちていった。
ルゼルヴェが夜営で調理する時は、まな板などを出さずそのまま魔法で刻み、鍋へと入れてしまうことが多い。包丁を使うよりも、こちらの方が慣れていた。
「食べ物で遊んだらダメなのに! なにこれズルい!」
「魔法で切っただけだろう。遊んでいるように見えたのか?
薄く切れれば良いと言ってたじゃないか。出来たぞ」
ワッと抗議するフルールへと、玉ねぎが乗ったまな板を差し出した。
そして、ルゼルヴェが目元を拭おうと手を伸ばし――。
「ダメ!」
「っ!」
フルールが身を乗り出して、ルゼルヴェの手を取ってきた。
隣に座ることさえ許されていない、まさかフルールの方から近づいて来るとは思わず、ルゼルヴェは文字通り固まった。
「目が痛いのは、プロパンチアールSオキシド、ええと……玉ねぎの催涙効果! そういうの!
手にもついてるのよ。触ったら、もっと大変になるんだから。先に手を洗って!」
なにやらよく分からないことを言い、頬を膨らませて怒るフルール。存外、悪くないなとルゼルヴェは瞬きをして、彼女を見つめてしまった。
――悪くないって、なにがだ?
思考停止したルゼルヴェに、痺れを切らしたフルールが、水を出してじゃばじゃばと代わりに洗い出してくるではないか。
それが少しくすぐったくて、ルゼルヴェは小さく笑った。
「なに笑ってるのよ。玉ねぎ、目につけるわよ?」
「大変なことになるんだろう? やめておくよ」
――止めたくせに無茶苦茶だな。
酔っていて言動が幼く、ころころと変わる表情はただ面白い。ルゼルヴェには見せたことのない姿だ。
カームとガルドは普通にしていることから、彼女の側面の一つなのだろう。
「旦那様、フルール様をからかわないでください。お肉に火が通りましたけど、どうしますか?」
フルールとルゼルヴェの間に入るように、調理場からカームが指示を仰ぎにやってきた。
フルールはすぐに応えず、ガルドの進捗を目で見て確認している。伸ばした生地を折り畳み、丁度、彼が包丁を手にしたところだった。
「お肉は一旦器にあけて、肉の油でそのまま玉ねぎを炒めてくれる?
茶色くなってしんなりしたら、赤ワインを加えて煮詰めて欲しい。あと、うどん用に大きいお鍋も出しといてぇ」
酔っているはずなのに、迷いなく指示をするフルールの姿はどう見ても料理をしなれている人間のそれだ。
――その指導力は、どこで培ったんだ?
ルゼルヴェと結婚してから、これだけ奇抜に動いている彼女。それ以前の素行調査ではこんな情報はない。
フルールという女性の謎が、ルゼルヴェの中で深まっていく。けれどそれは不快ではなく、むしろ心地良いとさえ思っていた。酔いが見せる、一時の夢のような感覚だった。
――素の彼女と、この距離で居られたら。
先の未来、その一端をルゼルヴェは垣間見た気がした。
フルールを軽視した過去のことを精算など出来ない、今さらでしかないからだ。
彼女との新しい関係、距離を、再構築していくことが今後の課題だろう。
「なんて顔してるの、変な旦那様」
フルールが笑顔で話しかけてくる。ルゼルヴェは自分がどんな顔をしているかなど、分からなかった。
ただ、この仮初めの笑顔を見て、彼女を失わずに済んで運が良かったことを感謝していた。




