第22話 王太子殿下が無事な理由
「……馬鹿は……、どちら、ですか……。こんなことを、して……」
「御託は良いから、吐けるだけ全て吐きなさい。その方が回復が早いわ。それとも、指を突っ込んであげましょうか?」
エルブは嘔吐の合間に、フルールをなおも窘める。それにピクリと青筋を立てて、フルールは満面の笑みで提案を持ちかけた。
吐かせるのなら、喉元まで指を突っ込んだ方が早いのだ。
「夫人、さすがに……。それに、これはいったい……」
ラフィネは戸惑いながらも叩くのを止めて、エルブの背中を擦っている。
顔を背けて声を掛けてきたのは、あられもないフルールの下着姿に配慮してだろう。
「食中毒、もしくは食あたりと言った言葉はご存知ですか、王太子殿下。
発症者が絶食後、回復の兆しを見せても悪化していたのは、原因となる毒を追加で食べていたから。改善することなく致死率が高かったのも、食べ続けていたから。
王太子妃殿下を始めとした城の発症者も、恐らくは食べ続けたことによる中毒症状と考えると辻褄が合うのです」
「いや、待って。毒だというなら、僕は――?」
「王太子殿下、プライベートですから応えなくても良いのですが、麦を全く食べないのですわよね? 以前に体調でも悪くなったご経験がおありですか?」
フルールが招かれたお茶会で、ラフィネは菓子に手をつけなかった。甘いものが苦手な男性は居るからと、フルールは思っていたが、ラフィネがアレルギーか何かでマドレーヌの小麦を避けたのだと思えば納得出来る。
さらにそれを裏付けるように彼は先ほど、野菜と肉が中心の食事を摂っていたと言っていたのだ。
「ああ、赤子の頃にと聞いている。以降、確かに麦が使われてる食事は摂っていない。強く止められているからね。でも、まさか……」
「サントュール領に、ライ麦は流通していません。記憶にある中で、テール領でもありませんわね。ですが、ライ麦以外にも可能性はあると見て、麦全てに規制をかけて下さいませ。……エルブ、指を入れるわ。噛まないでよ」
「――待……、ぐっ、ぇ……」
ずっとエルブを観察し話をしていたフルールは、固形物がまだ出ることを確認して、喉へと容赦なく指を突っ込む。
三度吐かせて、胃液しか出ないことを確認しフルールは汚れた指を引き抜いた。
――夕食はこれで全て吐き出させたわね。あとは休ませて……。
涙目になり、ぐったりとしたエルブをラフィネが支えている。フルールは吐瀉物まみれになったワンピースをくるんで小さくすると、鎖で袖が抜けないことをどうするべきかと悩む。
「現在の罹患者にも先ずは絶食を。消化に良いからとパン粥など与えるのは、もってのほかですわ。原因さえ分かれば、その後は医者と薬師の出番でしょう」
「夫人の意見は、確かに筋が通っている。試す価値はあるだろう。だけど貴族の症状では精神錯乱が……」
「平民は食環境が貴族より劣りますから、体調面で出やすいのでしょう。逆に、貴族は平民より裕福ですから、神経系がやられ精神に異常を来たした症状が目立ったのかと。
それでもお疑いでしたら、王太子殿下の目の前で、私が原料であるライ麦粉を摂取してご覧にいれましょう。それを持って身の潔白とし、エルブの治療を確約して下さいな」
言い渋るラフィネに、フルールは話を持ち掛ける。あの牢での環境を思えば、エルブをあそこへ戻すわけにはいかなかった。
――麦角は猛毒だから。
調理場のライ麦粉を水で溶いて飲めば、パンで食べるよりもすぐに効果は出るはずだと遠い記憶を辿る。
――それに本来なら、収穫時の目視で除去出来る代物のはず。
ドクムギ関連で、生育中は見分けがつかないと言う記録を読んだ。収穫期で選別するのだと習ったのは前世の世界史だ。
――製粉してしまうと、もう見分けがつかない。
麦角に関連する中毒は、古来から知られていた。小麦よりライ麦の方が被害が多く、事件としても数多くの記録が残されている。
――ここまで気づかずに後手なのは、この国自体にその認識がまだ無いのだわ。
エルブは言った――国の備蓄を放出した後の補填はどこからか、と。つまり彼は、外部からの交易を疑っていたのだ。
「止めて、……いただき、たい。夫人に、そこ、までされる……謂れ、は……、ない」
「そっくり返すわ。食事が怪しいと分かった上で、私の分まで食べていたわね?」
「……要らぬ疑い、を……、増やさない……ため、だ。……私、には、麦……だと、確証も……なかっ……た、から……な……」
「本当に馬鹿な子ね。食事を残したくらいで揚げ足を取るような輩なら、程度が知れるでしょうに」
伯爵位を賜ったエルブにすり寄る者は多かったのだろう。領地の流通にも厳しく対応したと言っていた。それが功を奏して、ドクムギの混入を防いだのだ。
――旦那様も、この半年でかなり領地の治安を改善させたものね。
此度の食中毒と豪雨の件では、二年前とラグがある。復興支援を受けたからと二領以外が全滅するとは考えづらかった。
――本当は、口もゆすいであげたいのだけど。
エルブの汚れた口許を拭って、フルールは一歩離れる。吐瀉物の匂いでさらに吐いては、今度は脱水症状を引き起こしてしまう。
今のフルールは手枷のせいで、水を出すことすら出来なかった。
「王太子殿下、ご決断を」
王太子の前に毅然と立って、フルールはラフィネに答えを急いた。
青い顔で浅い呼吸を繰り返すエルブを、早く休ませてあげたい――ただ、それだけだった。
「……夫人、毒と分かって煽ろうとしないで。スルスやルゼルヴェに知られたら、僕が怒られる。そこまでしなくとも、治療経過を見るだけで分かることだ。
同時に、テール伯爵の言った通り裏取りも進めよう。伯爵の治療は安心して任せて、夫人は手伝ってくれるかな? 人手が足りないんだ」
考え込んでいたラフィネが口を開く。彼が指をパチンと鳴らすと、何処からか上着が飛んできてフルールの背に被さった。
身を包むようにふわりと香った匂いは、ルゼルヴェの物だった。
「地下牢には戻さず、エルブを伯爵家当主として相応の治療を受けさせていただけるなら、喜んで」
「……地下、牢?」
「はい。底冷えのする閉塞感漂う環境下では、病人にはあまりにも酷です」
「ごめん。それは僕の落ち度だ……。ルゼルヴェと同じ治療を受けさせる。とはいっても、アイツには今、治療を施せない状態なのだけど」
「旦那様が何か? 昏睡と聞きましたが、よほど悪いので?」
フルールは一抹の不安から、そう口にする。食中毒ならば、毒素を吐き出してしまうまでは対症療法が主なはずだった。
「ああいや、命に別状はないよ。スルスより容態も多分悪くない。アイツは無意識下で魔力を操って自己治癒を行ってるからね。
そのせいで低体温の仮死に近い小康状態を保ってるから、こちら側から出来ることはないんだ」
「……食中毒ですから、叩き起こして水を飲ませ、体外へ出させた方が早いかもしれません」
なんだその人間離れした所業は、フルールは喉元までそう思ったことを飲み込み、代わりに真っ当な意見を口にした。




