第20話 昼食を取りながら、資料のすり合わせを
フルールが不調に気づいたのは、スープを一口飲んだ時だった。
トレーの中に並ぶ食事、喉を潤そうと、細かく刻まれた野菜の入ったスープを先ず手に取った。
――重い。
手枷の鎖の音には、もう慣れた。スープの器が重いのではない。塩味のあるスープが喉を通る時につっかえたのだ。妙な気だるさは、フルールに覚えのあるもの。
――ああ、だからお義父様は早く取れって。
魔力が溜まり過ぎて、身体が不調を訴え始めているのだと思い当たる。手枷の魔力封じでは、生活魔法も使えなかった。
食事を取れば胃腸が動き、最終的にエネルギーとなって身体に巡る。魔力が刺激を受けて、体内を活発に動きだしているのだろう。
「もったいないけれど、手つかずなら誰か食べたりするかしら?」
それとも、罪人の食事はそのまま破棄になるだろうか。少食とは言え、食べなければ体力が持たない。スープは飲むとしても、固形物は辛かった。
――発散する前だったものね。タイミングの悪い。
家に帰ってからはラベンダー畑の視察ついでに、フィアビリテの監修のもと近くの草原で定期的な魔法の練習をしていた。
「体調でも優れないのですか?」
「あら、伯爵様起きたの?」
「食事が運ばれた時には。どこかのご婦人の声が大きいものですから」
「それは失礼したわね」
エルブの嫌味に、フルールが少しムッとする。壁の上部にある通気口のような小さな格子窓が、外と唯一繋がった場所だ。景色も見えなければ、明暗しか分からない。
――牢の前には見張りも居ないし、壁だものね。
閉塞感は、気が滅入る理由として上げられるほどだ。フルールより確実に先に入っているエルブの心象が荒むのも、分からないでもないと言い聞かせた。
「……なに?」
「減らず口が叩けるなら、お元気なのでしょう? 夫人の口に合うとも思いません。残すのが嫌なら食べて差し上げますよ」
隣の牢から伸びた華奢な手を認めて、フルールが訊ねれば、エルブが答えていた。
「ああ、伯爵様。育ち盛りですものね。物乞いをするほど、足りなかったのかしら?」
「さすがに怒りますよ?」
「あら、ならばもう少し、姉としてでも、侯爵夫人としてでも、敬ってほしいものね?」
「それは失礼しました。侯爵夫人。卑しい私めに、どうかお恵みを……」
「そこまでは求めてないわよ。ありがとう、伯爵様」
フルールは、パンとソーセージをエルブに皿ごと渡す。学生寮でずっと暮らしていた弟との距離感は、他人よりずっと遠い。
――入学してからは、長期休みで会うくらいだったものね。
それ以前がどうだったか、互いに幼かったこともありよく覚えていない。
少なくとも姉であることを差し引いても、フルールの方が圧倒的に年上なのだから、大人な対応をしなければ。
「――それで、何か分かりましたか?」
「この資料だけで原因が分かれば、苦労しないわね。……だから、王都に絞って考えてみようと思うの」
「病の始まったばかりの王都を立て直すということですか。感染者の誰かがすでに持ち込んだ後という可能性は?」
「人から人に移る単純なものなら、こんな広がり方をするかしら」
「我が領地でも無縁ですからね。身元の不確かな商人など、足を踏み入れさせることもさせませんから、当然ですが」
仮に、街を行き来する商人がウイルスを持ち込んだとして、発症者の多さから行く先々でパンデミックが起きないとおかしいだろう。
――すでに壊滅的な被害が出てる領地もあるのよ?
潜伏期間を加味しても、飛び地に全国的な規模での同時多発にとおかしいのだ。
「貴族より平民、平民より貧民、身体的症状が出ているものは、貧富の差に影響が濃いわね」
「精神的症状は、それの逆ですね。重症者には両方の症状が認められることから、原因は同じでしょう。呪いなどと馬鹿馬鹿しい」
経過はどこの領地でも変わらない。ただ、王都に至っては違った。だから、フルールは国内全体を見ることを止めた。
分からないものに、いつまでも時間を取られても進展は望めない。見方を変えようと。
「食事を届けに来た騎士様から聞いたわ。旦那様――サントュール侯爵様は、精神的な錯乱など見られず倒れてから昏睡状態なのですって」
情報を渋った騎士に、自分は妻だと詰めよったのだ。箝口令が敷かれていて、フルールたちがここにいることも情報は広まっていないとも言っていた。
「仮にも夫だというのに、侯爵様のことをよくもまぁ……」
「伯爵様が言います? 結婚の申し出を受諾したのは伯爵様ではないですか。それに、泣き崩れたとして事態が好転するかしら?」
「ははっ、現実的で頼もしい限りですね。私も有能な妻が欲しいものです」
「伯爵様には、心根の優しい方が良いんじゃないかしら? いえ、若いのだから、好いた人を探してみても良いのでは?」
「社交界から離れてお忘れですか? 若い伯爵家当主など、いい狩りの標的ですよ。余計な手間を増やすだけで、実にくだらない」
エルブから話を持ちかけたというのに、随分と冷え冷えとした言い様だった。フルールは話題を戻すべく、騎士から聞いたことを話す。
「旦那様以外には、多分王太子妃様もね。それからこれは騎士から聞いたけど、城勤めの数人の貴族と、使用人たちに多数の発症者が出たそうよ。
使用人たちには離れの使われていない離宮を開放したそうなの。全員が身体の不調からの始まりね」
「初期症状といったところでしょう。今後、至るところで発症者が出るでしょうね」
「このままではね。城下でもすでに同様の発症者が見られて、こちらはすでに四肢の痛みを訴える者もいるそうよ」
「で、聡明な侯爵夫人は騎士に何を頼んだので?」
「王太子妃様のことは難しいでしょうから、侯爵様と城勤めの使用人たちの発症前の数日間の行動と食事をね。旦那様のことだから、多分本邸には帰っていないもの」
スルスの健康面などは国家の守秘だろう。他の貴族はともかく、ルゼルヴェは妻としての主張をごり押しすればいけるのではとフルールは考えた。
――他の領地は詳細が無いもの。でも、城は管理されているから、ある程度は記録があるはずよね。
問題は、それが見られるかどうかだ。が、見られるのならば、それが有益な情報ではないかと考えた。
「なるほど、侯爵様ほどの人が発症したということを逆手にとって、原因が絞りやすくなるとお考えか。恐ろしい人ですね」
「私は医者でも薬師でも無いもの。治療法を探すのはプロに任せていればいいのよ」
ラフィネが言っていたのだ。症状が改善しても、その後に悪化すると。それは、原因を取り除かなければいけないということだろう。




