第13話 サワードウ作り
「フルール。ここ最近、毎晩、毎晩、何してるの?」
「あら、カーム」
あとはもう寝るだけ――だというのに、フルールが調理場で作業しているのを、カームは不思議に思ったのだろう。
王都から戻ってきて数日、いつもの日常を送りながらフルールには日課が増えていた。
「王都でライ麦パンを食べたから、こっちでも食べたいなと思って、材料も買って帰ってきたの」
「ああ、あの黒っぽいパン。そっか、サントュール領には無いもんね。でも、それでその瓶は……なに?」
「サワードウっていう天然酵母をね。育ててるのよ」
カームが覗き込んだ視線の先は、フルールの手元にある大きな縦長の瓶。中には、少し茶色っぽい色のドロッとした半液体の物が入っている。
――パンと言えば、前世での膨らませる定番はイーストだけど。これは、もっともっと古くからあるやつ。
必要なのは水と粉だけ。時たま塩を入れることもあるらしい。粉は、ライ麦や全粒粉が初心者向けとされている。けれど、小麦粉でも作ろうと思えば作れる代物だ。
「これはスターターなんだけど、毎日二十四時間毎を目安に、一度混ぜる必要があるのよ。今はもう秋の終わりだから、実際にパンが焼けるのは、もう少し繰り返した先ね」
「へぇ? だから、わざわざ夜に?」
「朝だと、バタバタしちゃうかも知れないからね」
瓶の中身を半分別の容器に移す。残ったスターターに、同じだけの量の水と粉を加えて、またしっかりと混ぜる。
「酸っぱい匂いするけど、大丈夫?」
「それが育ってる証拠なの。昨日より嵩も増えてるから、こう見て順調よ?」
混ぜ終わったら蓋をして、常温で放置だ。また二十四時間経ったら、混ぜ合わせる。そうして、安定して二倍ほどに膨らむようになったら完成だ。
――サワードウに含まれる酵母や乳酸の種類や比率は、その土地の気温や風土によって異なる。
同じプロセスで作ったサワードウでも味が異なるのは風土の違いが理由。
シンプルだからこそ、難しいと言われるのもそのせいだ。
「よし、今日はおしまい。失敗すれば、また作れば良いわ」
「これがパンになるの?」
「ええ、サワードウ、パンの材料の一つよ。ふふ。ここに来て、すっかり料理が板についたカームでも、パン作りは無知なのね。なんだか、昔みたいで懐かしいわ。完成したら、一緒に作りましょう」
最近のカームは、使用人として万能過ぎるスキルだけでなく、頼めば営業マン顔負けの宣伝を平気でしてくる。
――頼もしすぎて、ついつい頼りすぎちゃうのよね。
「楽しみだねぇ……」
「ええ、そうね」
眠そうな顔で欠伸をして、カームはにんまりと瓶をつついた。フルールも、カームを見つめて微笑んだ。
◇◆◇◆◇◆◇
「ラフィネ、城内が騒がしいな?」
「ああ、ルゼルヴェ。良くない知らせだ」
登城したルゼルヴェは、慌ただしく動く人の動きに眉を潜めた。王太子ラフィネの執務室に向かうなり、開口一番に聞いた。
「……良くない? 流行り病でも出たか?」
寒くなってきた冬の初め、時期には早いが病の季節だ。医者や薬師の居ない農村などでは、最悪の場合、全滅などもあり得るのだ。
「病は病だ。流行ってるとも言える」
「歯切れが悪いな、さっさと言え。調査に対策にと、やることは山積みだろう。どこでだ?」
「……」
「ラフィネ?」
「……おそらく、国内全域だ。さらに奇病と来てる、例年とは違う」
苦々しく剣呑な目つきをして、ラフィネは口を開いた。ルゼルヴェも怪訝に眉を潜める。
「国内全域だと? さすがに、有り得ないだろう」
「いいや、ついさっきの報告で、国の端と端でも確認が取れた。全域と想定した方がいい」
「症状は?」
バサリとラフィネが机に投げた書類は、その報告書の束だろう。ルゼルヴェが拾い上げて、それらに目を通していく。
「主な症状は二つ。有り得ないのと、有り得そうなのと、どっちから聞きたい?」
「……ふざけてる場合か」
「僕だって、報告を聞くばかりでまだ飲み込めていないんだよ――と言うわけで、有り得そうなのからね。始まりは、吐き気、嘔吐、腹痛、手足の痺れ」
「流行り病じゃないのか?」
指折り数えて言うラフィネに、ルゼルヴェは思わず聞き返す。報告書は急いで書いたのだろう、普段よりも情報が乱雑だったのだ。
「だから、有り得そうなのって言っただろう? けどね、すでに死者が何人も出てる。手足の激痛が起こり、次第に四肢が黒くなり――」
「壊疽か」
「ああ、四肢が落ちて……そうなると、もう末期だ」
ラフィネは民の死を悼むように目を瞑り、低く、そう口にした。
ルゼルヴェも口を噤み、報告書をめくる。一点を見つめて、そこで手を止めた。
「……貴族にも、死者が出ているのか」
「ああ、こっちはまさに有り得ない。笑いながらの自殺が相次いでいる。邸に火をつけて全焼したとか、数日前から奇行を繰り返しているとかいった例もあるね」
「さっきのと、どう繋がる?」
全く別の症状に、ルゼルヴェは首を傾げる。書類上、共通点が特に見当たらないからだ。
「起きている地域は二つが重なるように、どこも同じだよ。だから、貴族が死ぬのは奇病で亡くなった者たちからの呪いだと周辺で噂されて……報告が遅れたようだね。保身に走ろうなどと、実にくだらない」
「揉み消そうとして……、よく報告が上がってきたな?」
「怖くなって泣きついてきたんだろうさ。これじゃ、暴動だって起きる勢いだ。誰だって、我が身かわいいだろう?
それに、一命を取りとめたけど、当主が飛び降りた家もあるようだよ」
流行り病で先ず亡くなるのは、栄養状態の良くない孤児や浮浪者といった貧困層、冬の蓄えが不十分な農村だ。
――貴族は、そういった意味ではしぶとい。なのに……。
同時期に、不可解な死を遂げている貴族。報告書の束を見る限り、一人、二人ではなさそうだ。
「……先ずは、情報を精査しよう。医師や騎士を派遣するにも、必要なことだ」
「ルゼルヴェが冷静で、頼りになるというか、有能すぎて困ったものだね。本当に、奥方との関係は全然なのになぁ、お前」
「おい」
「悪いけど、しばらくは帰らせないよ? 夫人の見つけた毒草の調査だって、まだ終わってない。年を跨ぐ前に全て終わらせないと」
「当たり前だ。先ずは地図で書き起こすぞ、原因の見落としや、地域が絞れる可能性もある。文官を使って、報告書も書き直させろ、読めたもんじゃない」
軽口を挟んで切り替えたラフィネに、ルゼルヴェも気を引き締める。
貴族に死者が出たならば、その領地の民はもっと犠牲が出ているはずだった。
報告が遅れた分、王政として後手になっているのだから、急がなければ救えるものも救えなかった。




