第9話 不器用で意固地な似たもの夫婦
「むむむ……。この際ですから、旦那様に聞いておきますわ。詠唱、あれ以来出来ないんですけれど?」
「別に、おかしなことではない。あの時は魔力が駄々漏れだったからな。声に乗せるなど容易だろう」
「あの時の喋る言葉全てが詠唱足り得たと、言ってるように聞こえますわ……」
それはつまり、その気にさせただけとも言う。正規のやり方ではないのだろう。
居ずまいを正して咳払いをし、フルールは訊ねたというのに、この返しは酷いものだ。
「別に無駄でもない。感覚を掴めば自ずと出来る。良い経験だと思っておけば良い」
「そんな特殊事例をあげないでくださらない? 普通の方法が聞きたいですわ」
「己の過不足分を、詠唱で安易に補おうとするな。先ずは基礎を積め」
「基礎と言われましても、普通に生活魔法は使ってますもの」
段々と雲行きの怪しくなってきた問答に、フルールは聞かなければ良かったと思い始めていた。
「違う。魔法使いの基礎だ。生活魔法は、魔法使いからすれば赤子同然だぞ」
「まぁ、随分と失礼ですこと!」
「魔力量の話だ……」
ルゼルヴェに他意がないと分かりながらも、フルールはその言い方が許せなくてツンと返す。
ルゼルヴェはと言えば、ため息をついて頭を押さえていた。
――ダメだわ。これはダメ。
馬車内に充満する重い空気から逃げるように、フルールは馬車のカーテンを少し開けて外を見た。
「……気になる場所があるなら、外へ出ればいい」
「ドレスでは嫌ですわ。せめて着替えます。あ、家への帰りは徒歩と乗り合い馬車でも良いかも……」
「奥様ぁ、俺がどやされるようなこと言わないでぇ」
フルールの呟きに、馬を操るフィアビリテから声がかかる。何にでも首を突っ込み、絶妙なタイミングで出てくる彼は、なんてことない地獄耳である。
――別に、旦那様はなにも言って……。あ、怒ってたわ。
フルールはフィアビリテの主張を否定しようと横目に見れば、ルゼルヴェの眉間の皺が深いことを確認してしまった。
「足の状態が、そんなに良かったのか?」
「そうですわね。少し動かして、筋力をつければ少しはマシとは言われましたわ」
さっきより低い声に、フルールは窓を見つめながらさらりと言った。
治ることは無いと、診察してくれた女医に言われた。それはそうだ、ずれた骨もかけた骨も、都合よく溶けてなくなることは無いだろう。
――分かっていたことよ。前世もそうだったもの。
殴る蹴ると言った暴力が、日常の世界だった。腫れ上がった足を引きずったことも、肩が上がらなくなってボタンを留めるのを苦労したことも経験した。
――でも、レントゲンを見せられて淡々と言われるより、さっきの先生は優しかったわね。
家を出て仕事に就いた。その後に支障が出て、病院にかかれば結果は今日と似たり寄ったりだったのだ。
――前世の知識から言えば、胴の傷も癒着のリスクとかあるんでしょうね。ここでは、そこまで医療が発達してないから言われなかったけれど。
一度目を閉じて、フルールは気持ちを切り替える。全ては終わったことなのだから。
「大丈夫ですわ、旦那様。ご心配には及びません、やると決めたことはキチンとやりますわ。無様を晒す気はありませんもの。それに、協力もしてくれるのでしょう?」
「ああ、そろそろ察しがついていると思うがな」
何にとはフルールは言っていないのに、ルゼルヴェはこういう時だけ勘が良い。
「旦那様お得意の風魔法で、フォローしてくれるのでしょうね……。私は、悲鳴を上げないように度胸の練習が必要かしら?」
手段は分かっても、そこへの慣れも耐性もフルールにはない。新年の宴でのダンスで悲鳴など、想像するだけでも無様過ぎる展開だ。
「事前に、本邸へ泊まりに来るだろう。その時にダンスを合わせればいい」
「一週間前くらいで良いでしょうか?」
ドレスは領都で都合をつけたから、合わせるのも王都ではない。フルールは天候に余裕を持って……と、考えて首をかしげた。
「一ヶ月前だ。使用人たちへも、準備期間を設けてやってくれ。王太子妃との茶会も、そこで組めばいい」
「あら、そんなに邸にお邪魔して良いのかしら? 名ばかりの侯爵夫人ですのに」
「……言っておくが、君の部屋はそのままだ。いつでも使えるように整えられているぞ。それが彼らの仕事だ」
――泊まりに来るだろうって言ったから、寝泊まりは客間かと思ったら違うのね。
どうやらそれは、ルゼルヴェなりの気遣いだったらしい。そこを意外に思いつつ、フルールは思い出した。
「私、続き扉の寝室では寝ませんわよ?」
「……分かっている。君が望まない限りは、私も手は出さない。心配なら鍵も預けよう」
夫婦共有の寝室を持ち出せば、ルゼルヴェが心なしか肩を落として応えていた。
一緒に寝たことが、ないわけではない。宿屋でのあれは、言わば不可抗力だった。
――あれも、これも、人命救助よ、人命救助。
同じ部屋にいて何もないにしても、夫婦だから自然なことだとしても、フルールは未だ二年と少し先の未来で、離縁を視野に入れていた。
――そんな気持ちで、同衾はダメよ。絶対。




