お出迎え
アウレリア王国。この国を象徴する王城は純白の岩山の上に建てられており、その荘厳な佇まいは見るものすべてに神聖さを覚えさせる立派で巨大な城である。その名をイノセンシア城。その一角の執務室の窓から、一匹の蝶が舞い飛んできた。
「ほう。アルベールの奴め、似合わぬ古風な魔法を使うのだな。いや、違うな。これも言葉を話せぬ弟子を思ってのことか。あいつめ、破天荒な性格の割りに、存外よく気が回る」
その蝶を手に取ったのは、アルベールと面識がある八賢者の一人ローレンスだった。蝶は彼の手の中で元の手紙の形に戻り、書かれた内容を目で追った。
「ふむ、次は私か。長いようで短いような、しかしそれなりに時をかけて準備はさせてもらえたな。絶好と言っていいタイミングでもある。さて、詰めの仕事も片付けようか」
ローレンスは立ち上がると、鏡に映った自分の姿を見て、ほんの少しの身だしなみの乱れもきちっと直した。そのスマートな仕草の中にも、彼の几帳面な性格が現れていた。
国王ギルベルト・レイ・アウレリアの元をローレンスが訪ねた。彼は三十代後半という若さで玉座についた。前王は元より肺に病を抱えていて早くに崩御し、秘密裏ではあったが、前王の命令で早くから代替わりの準備をしていた王子ギルベルトが跡を継いだ。
前準備があったとはいえ、大きな混乱もなく若き王子の王位継承が済んだのは、現王ギルベルトが優秀であったことは勿論だが、一番の功績はローレンスにあると言われていた。しかし彼自身は一切そのことを語りはしなかったため、王城内でも彼の功績を知るものは少なかった。
「ギルベルト様、かねてよりご報告申し上げておりました八賢者の査察がとうとう我が国へ参られるそうです」
「おお、あの話か。確か訪れるのは賢者の言無しの魔女であったな。で、首尾はどうだ?ローレンス」
「言無しの魔女様は、実によい頃合いでアウレリア王国に訪れていただけるようです。準備を進めて参りました大会は細かい詰めの仕事を残しておりますが、ギルベルト様の治世の折に、伝統と格式ある儀式を蘇らせることが出来るのは、宮廷魔法使いの身として光栄の至りでございます」
「うむ、我もこの目で見られることを実に楽しみにしている。そうだ、言無しの魔女が訪れた際には、ぜひ一目お会いしたいと伝えてくれ。どうにかして時間を作ってみせよう」
「はっ。承知しました。では私はこれで失礼します」
「報告ご苦労であった。期待しているぞ」
実に丁寧な敬礼を行うと、ローレンスは華麗な立ち振舞でその場を去った。一挙手一投足が紳士然とした彼は、まるで上品さを体現したような人物であった。
シズナとテオの二人は、アウレリア王国の首都に到着した。まず真っ先に目に入ってくるのが、遠くからでも美しく迫力のあるイノセンシア城で、その姿にテオは早速目を奪われた。
「白くて大きくてキラキラしてる…すごい…」
マールリアでブリジット号という巨大な船は見てきたが、イノセンシア城ほど壮麗な建造物は見たことがなかった。一度だけ訪れたことのあった聖都アルドラでも、この城ほど立派な建物は見受けられなかった。
テオの口から出てきた感想の言葉が、小さな子どものようにあまりに素直なもので、シズナは目を細めてふっと頬を緩めた。城について自分が知っていることを教えようとしたが、前方が急に騒がしくなってきてそちらに気を取られた。
美しく舗装された石畳の道を走ってきたのは、四頭立ての馬車であった。馬たちが引く華美な装飾が施された四人乗り客室は、いかにも高貴な人物が乗り込むような雰囲気をかもしだしている。
「綺麗な馬車ですね。でも、どうしてこんなに騒いでいるんでしょうか?」
『分からない。何か式典でもあるのかな?』
二人の言うように、ただ馬車が走っているにしては人々のざわつき方がおかしかった。浮ついているようで、期待感も感じられる。乗っている人がよほど有名人なのか、馬車の通り道はしっかりと空けつつも、人々は次々に集まってきた。
そして馬車はやがて、二人の目の前で止まった。後ろに乗っていた従者が客室の扉を開けると、中にいた人物を見てシズナは驚いて目を丸くした。
「やあ久しぶりだな、シズナ殿。賢人会議以来だが、私のことを覚えているだろうか」
突然の出来事に慌てふためくシズナ。手話で伝えるべきか筆談にするべきか迷ってわたわたとしてしまう。テオが「俺がいるから大丈夫ですよ」と落ち着かせ、ようやく話しだそうかとしたところで、客室に乗っていたローレンスが笑みを浮かべて言った。
「いや、いい、大丈夫だ。その反応を見たら君が私のことを覚えていてくれたことはよく分かる。驚かせてしまって申し訳ない。二人共、乗ってくれ。城まで案内する」
ローレンスは常に真剣な面持ちをしている。それは堅苦しすぎず、ピリッと適度に空気を引き締めるようなものだが、それがふっとほころぶ様を見て、二人の緊張感も少しだけほぐれた。
馬車の客室から見える王国の街並みは非常に美しいもので、テオはまたしても目を奪われてしまった。対座するローレンスはその様子を見て口を開いた。
「テオ殿、アウレリアの街はどうかね?」
「すごく綺麗です。まるで絵本やおとぎ話の中に入り込んだみたいで…。って、すみません!勝手に外の景色ばかり見てしまって」
「いや、構わないよ。むしろ私としては、ここの風景を気に入ってくれたことを喜ばしく思う。私も君くらいの歳の頃、父に頼んでよく馬車に乗せてもらっていた。窓から見える街並みが実に美しく、そして何よりも誇らしくてね。きっとあの頃の私は、君と同じように夢中になって街並みに目を奪われていたのだろうな。そう思うと、父が何故私のわがままを聞いてくれたのかが分かった気がするよ」
ローレンスは昔を懐かしむように外を眺めた。ゆっくりと移りゆく景色の中には、ただ美しい街並みが広がっているだけではない。人々が日々生活をしていて、育まれる営みも見て取ることが出来る。
「さて、あらためて自己紹介をさせてほしい。これから暫くの間は、共に過ごす時間が多くなるだろうからね。私の名はローレンス・フィオン・オーレ。八賢者の一人、穿光の名をいただいた魔法使いだ。この国の宮廷魔法使いを務めている。肩書は大仰に聞こえるかもしれないが、萎縮することはない、ローレンスと気軽に呼んでもらいたい。君たち二人のことはアルベールから詳しい事情を聞いている。どうぞよろしく」
その礼儀正しい態度と挨拶に、二人の姿勢は自然と正された。そしてシズナの手話をテオが通訳しようとすると、ローレンスが「待った」とそれを遮った。
「シズナ殿と円滑な意思疎通が出来るように、私も手話を学ばせてもらった。得手とは言い難いが、それでも内容をある程度は理解出来るようになった。テオ殿には、私が理解出来ない時だけ補佐をお願いしたい。勝手で申し訳ないが、よいだろうか?」
ローレンスはシズナと話が出来るように、二人が旅を始める準備期間の間に時間を見つけては手話を勉強していた。まったく馴染みのなかったものを一から覚えることには苦労をしたが、それでも自分の目で見て、考えて、彼女を理解したいと努力をしていた。
公務の忙しさもある中で、最大限礼を尽くしてシズナを迎え入れようとするローレンスの努力が、彼女には何よりも驚きであった。実の父親は手話を使うことすら許さなかった。その対応の差だけで、胸に込み上げてくるものがあった。
『ありがとうございます。ローレンスさん。だけど、無理はしないでください』
「気にすることはない。それに私も細かい意味合いなどの理解はまだまだ及ばない。不勉強で申し訳ないくらいだ」
『そんなことはありません。本当に、ありがとうございます』
深々と頭を下げるシズナの気持ちが、テオには痛いほどよく分かった。シズナにとって手話は自らの言葉も同然で、それを理解しようとしてくれることが何よりも嬉しいことなのだ。テオは師匠と一緒になって頭を下げた。自分の両親のことを考えると、他人事には思えなかった。だからこそローレンスの心構えに感謝がしたかった。
馬車は王城へ向かって進む。その道中で、三人は会話を楽しんだ。それはルグルの時とは違い静かなものであったが、異なる心地よさが確かに存在していた。




