海竜を討て
ルグルからもたらされた情報により、港は一時的に完全封鎖され、緊急事態が宣言されたマールリアには厳戒態勢が敷かれた。国民には避難と安全確保が呼びかけられ、緊迫した空気が国全体を覆った。
すぐさまドラゴンの対策会議が開かれることになり、ルグルは勿論のこと、目的は違えど国内に滞在していた賢者のシズナも会議に同席することになった。しかしそこには、本来なら彼女の補佐を務めるべきテオの姿はなかった。
テオはドラゴンの放った水流ブレス攻撃で重傷を負い、懸命な治療が続けられているがいまだに目覚めないシェルのいる病院にいた。しかしその場に居ても彼女に会える訳ではなく、待っていること以外に出来ることはなかった。
役立たずであると自覚しながらも、テオはその場から離れられなかった。シェルが今どんな様子なのかを知ることも出来ない。それでもテオは動こうとしなかった。
ブリジット号の他の船員たちは病院を訪れない。現在、ドラゴン討伐のための準備を着々と進めていた。もう一度海へ。危険だと分かっていながらも、誰一人として手を止めるものはいなかった。ルグルを救ったシェルの勇敢な行為に感化されていたからだ。だからこそ、今やるべきことをやるために、全員持ち場を離れなかった。
「シェル、どうして、どうしてこんな、こんなことに…」
頭の中でその言葉を繰り返すテオだったが、心ではシェルの行動を理解していた。彼女はルグルを救うための行動を起こした。反射的に、誰よりも早く、狙われていたことに気がついて行動を起こしたのだ。
シェルの並外れた精神力と、すべてをなげうつ覚悟が、彼女の師匠のルグルを救った。これは彼女にしか出来ないことだと、テオは思った。
「きっとシェルは迫りくる脅威を前にして一瞬で判断したんだ。守るべきは自らではなくルグルだって。マールリアを救えるのはルグルしかいないんだって。未来を守るために自分が出来る最善を選んだ。これが…これがその結果なんだ…」
テオは分かっていた。シェルの英雄的行動は、称賛されるべきであることを。だが理解していても、受け入れたくはなかった。その称賛は彼女が生きて得るべきものだと考えていた。絶対に助かるべきなのだと、そう願うからこそ離れられなかった。
「シェル、絶対に死んじゃ駄目だ。全部全部、生きてこそだろ。得るべき称賛も、感謝も、守った未来も、生きてなきゃ先が見られないじゃないか。だからお願いだ。もう一度話をしよう、喧嘩をしよう、そして笑って仲直りをしよう。きっと、きっと…」
祈りが聞きとげられるかどうかは、治療が終わるまで誰にも分からない。テオはただただ、友人との再会を願って祈りを捧げ続けていた。
一方、対策会議でシズナは、とある重要な情報を提示していた。それはこのようなところで役立つとは考えていなかったものだった。
「マールリアの大災厄、ですか?」
『伝承を調べている時に見つけたものです。そこに記載されていた魔物の特徴と、ルグルさんたちが見たものはとてもよく似ています。私は同じ種類の魔物だと考えられると思います』
資料に記載されていたのは、海竜リヴァイアサン。ルグルから聞いた外見の特徴が記載と一致していた。そして魔物の中でもドラゴンとなれば、大災厄を引き起こしたというのも納得が出来た。
「確かに古い言い伝えにそんな話があった。私も曾祖母から少し聞いたことがある限りだが、荒ぶる竜という単語は覚えている」
「伝承に残っていたことは驚きですが、ドラゴンは非常に特殊な魔物です。こんなに唐突に出現するものでしょうか?」
「いや、唐突とも言えないぞ。最近、ブリジット号の活動網をくぐり抜けるように、正体不明の魔物の目撃情報が度々寄せられるようになっていた」
「まさかとは思うが、こちらの行動を見てブリジット号の活動域を回避しながら、着実に成長を続けていたのではないか?」
「ドラゴン、いや、リヴァイアサンは我々にも気付かぬ内に誕生し、十分に成長出来るまで海に潜伏していたということか。クソッ!」
マールリアはリヴァイアサン発生の予兆をちゃんと観測していた。しかし、ルグルが率いるブリジット号が優秀で、あまりにも海の平和が保たれ続けていたことが裏目に出てしまった。
リヴァイアサンは密かに、しかし着実に人間を観察しながら情報を集めていた。討伐されないよう活動する海域を見極めて、豊富な海産物を食して体を大きく強くしていった。
そして他の大型の魔物が成長しきってしまう前を狙って戦いを挑み、これに勝利し続けて更に能力を高めた。自分では敵いそうにない相手は人間が勝手に始末をしてくれる。見方を変えると、マールリアはリヴァイアサンを育てていたとも言えた。
「しかし言無しの魔女様、魔物にここまでの知性があるものなのですか?」
『本来ならばありえません。しかし、相手がドラゴンとなると話は別です』
ドラゴンという魔物には謎が多い。既存の生き物がマナの影響を受けて魔物に転じたのではなく、マナそのものが魔物に転じたという説が一番有力とされているが、本当のことは何も分かっていなかった。
発生する条件、頻度、環境、どれも法則付けられないものばかりで、ドラゴンへの理解と研究はまったく進展していなかった。滅多に人前に姿を現さないことも、謎が解明されない要因である。
「まあ本当のところは分からない。ただ実物を見てきたオレが確実に言えるのは、リヴァイアサンとやらが機が熟したと見ているってことだ。遅かれ早かれ、奴はマールリアを襲いに来るぞ」
ルグルの言葉に、会議の参加者は閉口してしまった。過去に起こったマールリアの大災厄は国を滅亡させかけた。その時と同じ種類の魔物が再び現れ、もう一度国を脅かそうとしているのだ。怖気づくのは無理もなかった。
この中で冷静でいられたのは、シズナとルグルの二人だけだった。さらさらと慣れた手つきで綴られる文字で、シズナはルグルに聞いた。
『どうしますか?伝承のように、他の八賢者の方に協力を要請する手もあります。少なくとも、私の師匠のアルベールは動いてくれますよ』
「それもいい案だが、今は時間が惜しい。すぐにでも打って出るべきだ。シズナも協力してくれるか?」
『それは構いませんが。理由は聞きたいです』
「ああ。奴は相当悪知恵をつけたのか、今回の攻撃で船じゃなくオレを狙って攻撃してきた。要は集団の頭目が誰なのかを理解してたんだ。オレさえ仕留めればこの集団は瓦解するだろうって魂胆だったはずだ、実際間違ってもいないしな。だけどその企みもシェルが防いだ。オレが一番気になったのは、その後の行動だ」
『リヴァイアサンが遠巻きに見物していたことですか?』
「そうだ。奴にはいくらでも追撃する機会があったのに、その場から動かなかった。オレたちが混乱する様子を見て、撤退の際にはそれをからかうように遊んでいるような仕草も見せていた。オレはあの行動を、リヴァイアサンの挑発だと考えている。真っ先にずる賢さを覚えたせいか、思考能力は大分幼稚に思える。今のうちに真正面切って叩き潰すのが最適解だ」
ルグルの予想はマールリアで掴んでいた兆候と合致するものであった。リヴァイアサンは大災厄を引き起こした魔物と同じ種類ではあるが、まだ幼く、自信をつけ始めた段階であった。
マールリアの海がリヴァイアサンの育ちやすい環境であったことも事実だが、その分、生き残るために必要な工夫は限定的だった。海を平和に守り続けていたルグルたちの、いわばおこぼれにあずかって成長してきたことは、リヴァイアサンの幼稚なずる賢さを増長させていた。
慢心である。船を狙わずルグルを直接狙ったことも、その後に追撃を行わなかったことも、ひとえに慢心という言葉に尽きる。絶対的な能力と圧倒的な暴力で海を支配する訳ではなく、効率を覚えてしまった。それはドラゴンという種の魔物としては、あまりにも未熟で付け入る隙となっていた。
「あれに対して国の総力をもって対応する必要なんかない。オレたちだけで十分やれる。これは慢心じゃない。自信だ。出す船はブリジット号だけでいい。オレたちの誇りをかけて、奴を捻り潰す」
ルグルの口調は少々荒く、熱くなっていたことは否めなかった。しかしシズナは、彼の言葉に嘘偽りがないと分かった。かげろうのように揺らぐ熱を帯びた闘志が背に見て取れた。そして彼の闘志は、自分の弟子、テオの背にもきっと燃えているものだと思った。
『行きましょうか。大災厄を繰り返さないためにも』
シズナはどちらかというと、ルグルとブリジット号、そしてテオのストッパー役が必要になるとさとっていた。蹂躙されるのは人か竜か、海が大いに荒れることは想像に難くなかった。




