大切な場所
テオから届いた手紙に従い、シズナはコブ村を訪れた。出迎えたテオからタテベとヤチヨを紹介され、もう一度船が座礁している入り江に向かった。
シズナはその船を目の当たりにして圧倒されていた。予想していたものを遥かに上回る、圧倒的な神秘が目の前にあったからだ。
「お師さん、この船のことをどう考えますか?」
『正直に言って、何も分からない。ただ不思議なのは、高濃度のマナをこの結晶から感じ取れるのに、危険な様子も気配もまったくないこと』
「ですね。俺も魔観で確認しましたが、この結晶はいうなればマナの塊のように思えます」
シズナが殊更に不思議に思ったのは、船の周りにある物質や生き物、環境にもまったく変化が見られなかったことである。通常であれば、コブ村を含む周辺一体の環境を一変させていてもおかしくないほど、この結晶に含まれるマナの量と濃度は異常なまでに高いものだった。
その上、船を覆う結晶から感じ取れるマナは、一見してすぐに世界樹を見た時と同じ感覚を抱かせるものだった。それはシズナだけでなく、テオも同様の感覚を覚えていた。
『マールリアの人たちは、魔法は使えなくても知識がある人が多い。だからこの船を見た時に、すぐに世界樹と結びついて見えた。この伝説は、海と深い繋がりをもつマールリアでしか成り立たないものだったんだね』
「いくつもの偶然が重なって船はこの入り江にたどり着いた。伝説の正確な内容は、世界樹に向かった船が無事に帰ってきた、のではなく。世界樹を経由して無事に船が流れ着いた。だったんです」
興奮気味にやり取りを交わすシズナとテオだったが、タテベが戸惑いを隠せず口を挟んだ。
「…なあテオ、悪いんだがそのお嬢さんが言っていることを俺たちにも教えてくれないか?」
「あっ!ととっ、すみません、つい…」
「いいじゃないお父さん。テオちゃんとシズナちゃんを見ていると、何だか微笑ましいわ」
シズナは改めて、タテベとヤチヨ夫妻に向き直って頭を下げた。そして手話の内容を、テオに同時通訳してもらう。
『こんなに貴重なものを見せていただいてありがとうございます。お二人は、どういった経緯でこの船を見つけたんですか?』
入り江に入るまでは、船の姿をその目に捉えることは不可能である。シズナの見立てでは、船を覆う結晶が姿をくらます魔法を自動的に発生させていて、あらゆる手段を用いても入り江に侵入するまでは船の存在を隠していると見ていた。だから認識することが出来なかった。
「そうねえ、地道な調査を続けた結果。と、元々歴史を研究していた私としてはそう言いたいところだけど、実はこの発見は偶然のものなの。ねえ、お父さん?」
「ん?ああ…あれはいつだったか、母さんの調査のために船を出したことがあった。その日は海がおかしくてな、最初はまったくの凪だったのに、急変して荒れ始めた。俺は自慢じゃねえが、それまで一度だって潮を読み間違えたことはねえんだ。必死こいて船を操縦して、ようやくたどり着いたのがここだったんだ」
「無事だったんですか?」
テオの質問にタテベが頷く。
「それが不思議なんだが、ここにたどり着いた途端に海が静まってな。まあ、こっちの発見の方に気を取られていてそれどころじゃなかったがな」
「お陰で伝説の真実を知ることが出来たのだから、運が良かったのか悪かったのか、分からなくなっちゃうわね」
ヤチヨはそう言って笑ったが、タテベは難しそうな顔で頭を掻いた。船乗りとして潮を読み間違えたことも不甲斐なかったが、何より自分の妻を危険に晒してしまったことを悔やんでいた。そのお陰でこの発見があったのだからと、ヤチヨに何度そう言われようとも、タテベの矜持は変わらなかった。
『もしかしたら』
「どうしました?お師さん」
『二人はこの船に導かれて、ここにたどり着いたのかもしれないね』
それは何の根拠もない、ただの直感である。しかしシズナは、どうしてかこの直感が正しいという理由のつかない自信があった。まるで何かの意思が自分の中に入り込んで、この意見を持たせたように感じた。
「テオ、シズナさんはなんて?」
「あ、すみません。お師さんはこの船が、お二人を導いてここに呼び寄せたのではないかと推測されたようです」
「導く?船がか?」
「あら。もしそうなら素敵な話だわ。私はずっとこの伝説を追っていたのだもの、船の方からご招待いただけたかと思うと、こんなに光栄なことってないわ。あらためてお礼を言わなくっちゃね」
ヤチヨはそう言うと、船に向かって深々と頭を下げた。タテベは一瞬とまどいを見せたものの、彼女に倣って頭を下げる。シズナとテオの二人も、この不思議で運命的な出会いに感謝して、同じようにお礼を込めて頭を下げた。
実在していた伝説の船。ヤチヨは伝説を信じて研究を進め、ついにコブ村でこの船を発見するに至った。しかし、彼女は伝説の真相を裏付ける船の存在をむやみに公表することはしなかった。伝説を信じ、その正体を知りたいと頼み込んできたテオにだけ、ようやく打ち明けたのだ。
その理由は、船体を覆い尽くす謎の結晶である。危険なものではないことは幾多の接触と観察を試みることで判明していた。それゆえに、公にすることの危険性をよく理解していた。
「私はこの結晶を詳しく調べてみるべきだと考えているわ。ここまで高濃度で大量のマナを保持している物質は見たことがないの。でもね、もしこれが別の良からぬ思惑に転用可能であったらと考えると、それはすごく危険なことよ」
ヤチヨの言うところの意味を、シズナもテオもよく理解していた。テオの故郷、ドラン村に自生している魔蓄樹もマナを蓄える性質を持ち合わせているが、この結晶はそれとは比べ物にならないものだった。
魔蓄樹が特殊な木材として優れているのは、魔物に転じない程度にマナを調整して蓄える性質を持ち合わせているからである。船を覆い尽くす謎の結晶が保有するマナは、明らかに物質が変化せずにいられるマナの影響量から逸脱していた。
「正直言って、私も本当にこの結晶が安全なものなのか分からないの。こっそりと出来る範囲で実験と観察を続けてきて、人体や他のものに影響を与えることはないことは分かっているけれど、私一人が出来ることにも知識にも限りがあるわ。だからもし、この船と結晶を安心して任せられる研究機関があるなら、私は船と結晶をそこに任せたいと思っているの。シズナさん、八賢者のあなたになら、何かあてはないかしら?」
『なくはないのですが、国が違うので相談が必要です。この船の所有者がマールリアになるのか、発見したヤチヨさんになるのか。その調整も考えなければ』
シズナの考える、結晶を任せられる相手はロゴス羅針宮のブライトであった。自らが世話になったことも理由の一つだが、魔法研究においてロゴス羅針宮ほど優秀で最先端な場所はなかった。
しかし問題は場所である。ロゴス羅針宮があるのは、シズナの父、国王ジュリウスが治めるカント・レギウムのお膝元のクリアリクである。万が一、ジュリウスがこのことを嗅ぎつけ、結晶が接収されでもしたらと考えると、シズナが二の足を踏むのも無理からぬことであった。
『私もこの結晶について詳しく調べる必要があるという意見には強く同意します。これは世界樹の謎を解く手がかりになるかもしれません。出来る限りの協力をさせてください』
「ああ、良かった。ありがとうシズナさん。問題はまだあると思うけれど、何だか肩の荷が下りたような気がするわ。どうぞよろしくお願いいたします」
『こちらこそ、こんなにも貴重なものの保全に努めていただき、ありがとうございます』
伝説の正体にたどり着いても、話はそこで終わることはない。次なる課題が世界から課されるのだ。追い求めてきたものを発見した喜びと、世界に危険をもたらすかもしれない恐怖のせめぎあいの中にいたヤチヨは、ようやくホッと一息つくことが出来た。
シズナの同時通訳を終えたテオは、ふーっと大きく息をついた。シズナの言葉を齟齬なく分かりやすく伝えるためには、いつもの会話より神経を尖らせる必要があった。
「…テオ、お前さんはすごい奴だ」
「タテベさん。急にどうしたんですか?」
「見てりゃ分かる。お前さんは一生懸命に、そして一番に彼女のことを想って努力している。誰かが誰かを支えるってのは、そんな簡単な話じゃねえんだ。俺は学がねえから、母さんのやっていることの意味をまったく理解してやれなんだ。俺に出来たのは精々船を出してやるくらいで、それ以上に力になれることはなかったからな」
タテベはコブ村の漁師の元に生まれ、自然と漁師になって育った。魔法の知識も多少はあったが、都市部の人と比較すれば無いに等しいものだった。
そんなことはない。と、テオは言おうと思った。しかしタテベは、きっとその言葉を喜ばないだろうと思った。だから敢えてテオは、違う話題を切り出した。
「そういえばタテベさん。この入り江には、ヤチヨさんが居なくても来られたんですよね?」
「ん?ああ、そうだな」
「すぐに連れていってくれなかったのは、やっぱり俺が信用出来なかったからですか?」
「…いや、それはない。…まあその、何だ。俺はここに来る時は、絶対に母さんと一緒だと決めていたからな。お前さんの信用とかじゃなくて、ええと…ここはだな…その、俺と母さんで一緒に見つけた場所、だからな」
タテベは恥ずかしがりながらも何とか言葉を言い終えると、またいつものようにふいっと顔を背けた。大切な場所には大切な人と常に一緒に行きたい。それはタテベが絶対にヤチヨには明かせない秘密で、短い時間だったけれど、共に働いて信頼出来たテオにだけ打ち明けられたことだった。




