テオとシェル
ブリジット号。船室の一つの作戦会議室に、海の見張りと警戒にあたる人員以外の船員が集められていた。ルグルが今後の方針についての説明をするためである。
「今回の航海で目的としていたことは概ね達成出来た。目撃情報にあった謎の魔物の確認だけは取れなかったが、これはそれほど焦ることでもない。未確認の魔物の出現は、海では珍しいことじゃあないからな。それよりも、依頼のあった魔物討伐は無事にすべて完了した。これで暫くは海域も安定化する。皆の奮闘に感謝する」
ルグルの言葉に船員たちが「応!」と答えた。その中にはシェルもいた。
「それと、今回はシズナとテオという二人の客人を迎えての航海となった。普段とは違うことで皆戸惑ったかもしれないが、どうだったか本音を聞かせてほしい」
そう問われた船員たちは、次々と声を上げた。
「シズナ様のような美人が船にいると、むさい空気が華やいでいいでさあ」
「俺も同感だな。仕事にも身が入るってもんだ」
「シズナ様は優しくて丁寧で、良い御方です。もう少し船に居てもらいたいくらいだ」
男性陣の盛り上がりぶりを見て、女性の船員たちがギロリと睨みをきかせた。スンっと空気が静まり返った後、改めて意見が上がる。
「しかし船長、シズナ様の言っていた査察とは、結局何だったんですか?」
「ああ、それについてはあまり気にしなくていい。オレたちは今まで通り、オレたちの仕事をするってことで話がまとまった」
ルグルたちブリジット号の面々は、マールリアの海を守るため、殆どの時間を船の上で過ごしている。陸で起こっている魔法使いの問題については、対処のしようがないというのが、シズナとルグルの一致した意見であった。
「じゃあ、そっちはもう問題ないということですかい?」
「そうだ。後はシズナがマールリアで調べ物をするそうだが、そっちの手伝いはいいと言っていた。後々話を聞くかもしれないとは言っていたから、その時は協力してやってくれ」
シズナは次の目的に、マールリアの伝承について調べるという方針を固めていた。その間、ブリジット号の面々を陸に留め置くのは迷惑だと判断し、ルグルから申し出があった手伝いは断っていた。本来なら協力してもらった方がいいのだが、船長こそ陸に留めてはおけなかった。
「船長!テオはどうなるんですか?」
船員の一人からそう声が上がった。するとまたしても、次々と声が上がり始めた。
「テオはいいよな。あいつ船に乗ってくれないかな」
「働き者で勤勉で、おまけに作る飯も美味いときたもんだ」
「魔法の腕前も上々だぞ。あれでまだ一年しか魔法を習ってないってんだから、まったく大したやつだ」
「ガサツな男連中と違って気が利くし、アタシらもテオなら歓迎だね」
「むしろ男の一人を船から下ろして、テオと交換した方がいいんじゃないの?」
またしても騒がしくなる会場だったが、盛り上がり方が先程とは毛色が違っていた。テオのことは、船員としての働きを期待する声が大きかったのだ。
テオが良く言われていることに、シェルが密かに得意げな顔をした。友達の評価が高いことが素直に嬉しかった。初めての感情に一度は首を傾げて戸惑ったが、まったく悪い気はしなかった。
「あー!分かったから皆落ち着け!…ったく、仲良くなってくれたようでなによりだ。だけどテオは、あくまでもシズナの弟子だ。彼女のサポートをする重要な役目だってある。暫くはお別れだろうな」
「あっ…」
その事実に今更気がついたシェルが小さく声を上げた。そしてがっかりしている自分がいることに気がついた。彼女は初めて覚えた喪失感を抱えたまま、会議が終わるのを漫然と待っていた。
テオはシズナの客室でルグルたちブリジット号の船員のように、今後の方針を話し合っていた。
「じゃあマールリアに帰港したら、俺たちは一度船を下りるんですね」
『うん。ルグルさんが言っていた伝承について調べたいんだ』
そのための場所についても、シズナはすでにルグルから聞いていた。口利きの約束まで取り付けてあるので、問題なく調べ物が出来る。
『それで、テオくんはどうする?』
シズナのその問いかけに、テオは首を傾げた。そんなことを聞かれるとは思っていなかったからだ。
「どうするって、どういうことですか?」
『暫くはお友達と離れることになるけど、いいの?』
「あっ…」
シェルと同じように、シズナに指摘されてようやくテオもその事実に気がついた。それでもなお、彼はシズナについていくことが当たり前のことで、一瞬迷いはしたがすぐに答えた。
「お師さんについて行きます」
テオがシズナに出来ることは山程ある。彼女の手伝いは勿論のこと。手話の同時通訳や、円滑なコミュニケーションの手助け等も、テオでなければ出来ないことばかりだった。
それはシズナも自覚していた。だが、テオにとって初めてといっていい友人と過ごす時間を、自分の都合で奪いたくないという思いがあった。
シズナについていくと答えたテオであったが、迷いは確かにあった。シェルと過ごす時間は思いがけないほど楽しいものだった。本当に後ろ髪を強く引かれた。
テオに対して、シズナは『少し話しておいで』と伝えた。素直に頷いたテオは、早速シェルのことを探しに出た。
「あっ!」
「あっ!」
その声は同時に出た。シェルもテオのことを探していたからだ。同じ気持ちでいた二人は自然と隣り合って座った。
「降りるんでしょ?船」
「うん。調べ物があるから」
シェルの簡潔な質問に、テオも端的に答えた。あまり深く聞けないのは、距離感がまだまだ微妙に離れている、二人なりの照れ隠しであった。
「確かマールリアの伝承が気になってるんだっけ?」
「シェルは変だと思わなかった?」
「ええと、人が世界樹に至るための唯一の道、だよね。魔法やマナの知識があれば確かに変だと思うけど、言い伝えってそういうものじゃない」
「そうなの?俺はあんまり馴染みがなくて」
故郷のドラン村の真実は、杖職人のクウガイから偶然もたらされたもので、村の大人や老人から聞かされたことはなかった。教え伝ったものといえばもっと生活に根ざした普遍的なもので、それは簡単に言えば、そこに住んでいた人たちが培った生活の知恵であった。
「誇張されたり、改変されたり、長く残っているものほど元のものより正確に伝えるのは難しいと思う。その時々の主観とかが入るでしょ?情報をそのまま残しておくのってほぼ不可能よ」
「それって伝承がまったく別物に変わっちゃうってこと?」
「いや、流石にそこまでは私も。だけどこの説話が意味するところが、現実に即しているのかどうかはちょっと疑問かな」
シェルも当然、マールリア生まれの子であるため、この言い伝えを聞き信じてきていた。しかしその温度差というものは国内でも個人差があり、どちらかといえばあまり熱心に信じられてはいなかった。
それもそのはずで、マールリアには多くの魔法使いたちがいる。そして他の国とは違い、魔法使いと国民との距離感が近い。魔法使いが絶対的に優位であるという大国の過激な選民思想は根付いておらず、船乗りという職業の括りで見られていた。
ゆえにマールリアでは魔法が使えなくとも魔法の知識を持つものが多くおり、世界樹とマナ、その影響がもたらすもの、生き物が近づけばどうなるかを知っていれば、信ぴょう性が薄れていくのは自明の理であった。
しかしそうなると、テオには一つ疑問が浮かんだ。一番言い伝えが現実離れしていると感じるべき人が、一番この言い伝えを信じているからだ。
「ルグルが海と人との繋がりを大切にしているのは分かるけど、言い伝えの方も重要視している理由って何だろう?」
「そうねえ。ルグルさんはそう教わってきたって言ってしまえば簡単だけど、それ以上の理由はありそう」
「そういう話は聞いたことないの?」
「ないない。ルグルさん、自分の考えを話すのは苦手だから」
ルグルの説明下手は船員たちの共通認識であった。意図を詳しく話さないのではなく、話せないのだ。じっくりと腹を割って話す時間の余裕も、船の上ではないに等しい。
「…やっぱり、俺も伝承については気になることが多い。お師さんの補佐って役目も当然あるけど、それ以上に自分でも調べてみようと思う」
テオの言い分に、シェルは納得して頷いた。
「分かった。私に何か手伝えることがあったら、遠慮なく言ってよね」
「海の上にいるのに?」
「魔法を使いなさいよ。テオは魔法使いでしょ。方法なんていくらでもあるんだから」
シェルに言われた通りなのだが、テオはいわば魔法使いにはなりたて、どころかなりかけであり、連絡の手段に魔法がパッと思いつかなかった。言われてようやく「そういえばそうか」と呟いて頷いた。
「分かった。じゃあ、頼りにしてるよ」
「陸に下りても、ちゃんとやりなさいよ」
「そっちこそ、芋の身まで切るなよ」
「さっ、最近はちゃんと教えてもらって出来るようになったでしょ!」
「ははっ、分かってるよ。でも芋の芽を取るのは忘れがちだから気をつけるように」
「…っもう!うるさい!あんたはさっさと船を降りろ!」
ムキになるシェルとひとしきり口喧嘩をすると、テオは満足したように右手を差し出した。シェルはその手を取り、しっかりと握り返した。
「じゃ、またな」
「ええ、また」
別れに多くの言葉は必要がなかった。再会の約束をすると、二人はその場を立ち去るのであった。




