弟子同士
マールリアの伝承「海を完全に閉ざしてはならない。それはいつか人が世界樹に至るための、唯一の道である」という言葉は、通常ならば言い伝えられるはずがないものであった。
世界樹に近づくことは、すなわち生命の死を意味するものである。高濃度のマナに耐えられるものは存在せず、近づけば確実に魔物へと転じてしまうことが確認されている。それは死と同義なのだ。
事実、世界樹をご神木として崇め奉る世界樹教の教えでも、世界樹に近づくことは禁忌とされている。信者であれば少しでも神に近づきたいと考えるところを、厳しく戒められていた。世界樹に近づいてはならないということは、遥か昔から内環諸国の常識であった。
世界樹教は世界宗教で、マールリアでも信仰されている。だからシズナは人と世界樹の接近を示唆する教えが伝わるとは考えられなかった。ルグルが懸命にその教えを守り続ける理由を知る必要がある。
それが次の目的だった。だが。
現在テオは、他の船員たちに混ざって船の作業を手伝っていた。シズナはというと、克服したかに思えた船酔いにまたもや苦しまされており、ずっと医務室の世話になっている。
シズナはテオをまた自分の看病に付き合わせるのは悪いからと、彼に暇を与えた。幸いにも、テオは師と違って船酔いとはまったくの無縁であった。自由になった時間で何をするかと考えた時、乗せてもらっている船のことを手伝うという選択肢が真っ先に思い浮かんだ。
テオは人柄もよくて働き者なので、船員たちとすぐに打ち解けた。彼は力持ちで地道な作業も黙々とよくこなすので、そういった作業の多い船上で重宝される性格と能力を持ち合わせていた。
そして何より、陽気で豪快な性格をしている船乗りたちに、物怖じしないコミュニケーション能力の高さが気に入られる一番の要因でもあった。
実のところブリジット号では、尊敬する船長のルグルの活動を査察するという、上から目線の名目で船を訪れたシズナのことを気に入らない船員も多かった。それは見当違いも甚だしい認識の齟齬であったが、それだけルグルが船員に慕われている証左でもあった。
そんな彼らの中に率先して混ざっていって働く姿を見せつけるテオの行動は、船員たちの誤解を解いて認識を改めさせるきっかけになった。話すことが出来ないシズナの人となりや事情も、休憩などの合間でテオがする、師の自慢話であっという間に船員たちに広まっていった。
テオのお陰で、乗船当初に抱いていたシズナに対する悪感情を持つものは殆どいなくなった。彼自身はただ自分の師を自慢したかっただけなので、そのような思惑は一切なかったが、結果的にシズナと他者との橋渡し役を完璧にこなしていた。
「杖構えッ!!」
ブリジット号の魔物討伐の航海は続く、そしてルグルが号令をかけた攻撃部隊の中に、テオの姿があった。テオはクウガイに作ってもらった自分の杖を構えた。
「詠唱始めッ!!」
ルグルが手を上に掲げてまたも号令を出す。それと同時に、テオを含めた第一陣の攻撃部隊が一斉に詠唱を始めた。
「八属が焦熱。収束、加速、潰せ。破砕の槌撃ッ!!」
「よしッ!撃てぇッ!!」
掲げた手が振り下ろされると、魔法が一斉に放たれた。海面は攻撃魔法を打ち付けられて、水しぶきを上げながら大きく揺れた。
破砕の槌撃は攻撃魔法の一つである。対象の直上から真下にマナを叩きつけて押しつぶす魔法で、今回はそれが海面をめがけて放たれた。破砕の槌撃で大きく揺さぶられた海面から飛び出てきた魔物を、次に控えていた第二陣の攻撃部隊が、攻撃魔法の穿孔の一矢で次々と魔物を撃ち落としていった。
一撃目の破砕の槌撃は、魔物にダメージを与えると同時に、魔物の体を海中から空中へ打ち上げる役割を担っていた。これは二撃目の穿孔の一矢で確実に仕留めるための布石であった。効率的で統率の取れた連携で、魔物たちは次々と殲滅されていった。
攻撃部隊には飛び入りで参加したにも関わらず、テオは存分に魔法使いとしての実力を発揮していた。この旅を始める前、アルベールとシズナという、二人の賢者からみっちりと魔法の修行をつけてもらっていて、なおかつ二人共に実戦闘を想定する指導傾向があった。その甲斐あってテオは、魔物との戦闘を主とするブリジット号の船員と見劣りしないどころか、それ以上の活躍ぶりを見せていた。
「おい!やるなテオ!」
「お前ならいつでもこの船に乗れるぜ!」
「ああ!お前なら大歓迎だ!」
申し分ない働きを見せたテオのことを、船員たちが歓迎するのは自然な流れであった。しかし、中にはこの空気を良しとしない者が一人居て、船員たちの輪の中にいるテオのことをじろりと睨みつける目があった。
それはテオが厨房で一人、料理長の手伝いで芋の皮むきをしていた時であった。突然テオの目の前に、彼と同年代の少女が現れた。透き通るような水色の髪、それを美しい貝殻の髪飾りで二つ結びのおさげ髪にまとめ、いかにも気の強そうな顔立ちをした美少女。そんな彼女は、テオの目の前に座って同じように芋と包丁を手に取った。
「あんた、あんまり調子に乗らないでよね」
「は?」
少女のあまりにも唐突な物言いに、テオは面食らった。対面に座る少女は、不慣れな手つきで芋の皮をむき始める。
「あの魔女が何を企んでるか知らないけど、弟子を使って皆に取り入ろうなんて、まったくろくなことしないわね。ルグルさんは人がいいから騙されてるのかもしれないけど、私の目はごまかせないから」
「いや、騙すも何も…」
「やめてよね。私はあんたの口車には乗らないわ。まったく皆は警戒心に欠けてるのよ。こんな得体の知れない連中を船に乗せるなんて」
少女の言っていることはまったく要領を得なかったが、何故か怒りを買っていることだけは分かった。テオは慣れた手つきで芋の皮をむき終えると、次の芋を手に取った。
「何言ってるのか分からないけど、俺たちの得体は知れてる。俺のお師さんはルグルと同じ八賢者の一人、言無しの魔女だ。そして俺は彼女の弟子。別に怪しくないだろ?」
「あんたルグルさんのこと呼び捨てにしないでよ!敬意を込めて様づけしなさい!」
「はあ?いや、ちょっと待ってよ。この呼び方はそもそもルグル本人から…」
「言い訳なんて見苦しいわね!弟子がこんなんじゃ、師匠の方もたかが知れてるわ!」
少女の言い分はもはや言いがかりだった。だが彼女はテオにとって、一番侮辱してはならない人を侮辱してしまった。静かに、しかし確かに、怒りの炎がテオの心の中で燃え上がった。
「…この船の人たちは皆礼儀正しくていい人たちだと思ってたけど、一人例外が居たみたいだ。ああ、丁度この青くなってる芋みたいだな。しっかり取り除かないとお腹を壊すって皆に言っておかないと」
「い、芋っ!?あんた今、私のこと芋扱いしたわね!?」
「いや別に?俺は確かに芋の話をしたけど、それがどうしてお前と結びつくの?自意識過剰じゃない?」
「お前じゃない!私の名前はシェルよ!」
「じゃあ俺もあんたじゃない!テオっていう名前がちゃんとあるんだよ!」
「ハッ!やっと本性を見せたわね!やっぱりいい子ぶって大人しいフリして、皆に取り入ろうとしてた訳ね。こうやって揺さぶりをかけて一皮剥けば本性が出るってことよ。この黒く変色した芋のようにね!」
「お前それ上手いこと言ったつもりか?そもそもその芋、皮だけじゃなくて身まで切ってるから。何で皮を剥く作業で身の方まで切ってんだよ」
「またお前って言ったわね!」
「食べ物を粗末にするような奴の名前なんて呼びたかないね!」
次第に口喧嘩の声が大きくなり、テオとシェルは、殴り合いまで一触即発の様相を呈し始めた。
その騒ぎを聞きつけた料理長は、慌てて二人の所へ向かった。そこには互いの胸ぐらを掴み、おでこをぶつけ合って睨む二人が居た。今すぐ喧嘩が始まりそうな雰囲気の中、料理長が声を張り上げた。
「何をしとるかシェル!!お前は厨房に入るなと言っただろうが!!」
その怒声は、二人のものよりよほど大きかった。シェルは「ぴゃっ!」と小さく悲鳴を上げると、即座にその場から逃げ出した。行き場を失った怒りを持て余し、テオは鼻息を荒くした。
「ああまったく、こっちがシェルが皮をむいた芋だな。本当に不器用な子だ。海で食材を無駄にするなと散々言いつけておいたのに」
料理長がそう嘆くのも無理はなかった。シェルが皮をむいた芋は、身まで切ってボロボロで小さくなったものばかりであった。それが数個で済んだのがまだ救いである。
「悪かったなテオ。あの子はシェルという、まだこの船に乗ったばかりの見習いだ。元気もあってまっすぐで悪い子じゃないんだが、どうも空回りする子でな。船長を慕う気持ちは、この船で誰よりも強いんだがなあ…」
ぶつぶつと文句を言いながら片付けを始める料理長を手伝いながらも、テオの頭からはシェルのことが離れなかった。しかし彼も、師匠を侮辱されて黙ってはいられないと、ムキになりすぎていることは否めなかった。




