廻水の魔法使い
翌朝。出航から数時間後。テオはルグルと共に甲板にいたが、そこにシズナの姿はなかった。
「テオ、シズナの様子はどうだ?」
「まだ駄目みたい」
「そっかあ。こればっかりは人によるからなあ」
シズナは酷い船酔いに苦しんでいた。テオは暫く付きっきりで看病していたが、結局出来ることには限りがあって、ブリジット号の船医に席を譲った。定期的に様子を見に戻っていたが、体調が良くなるまでは時間がかかるとのことだった。
「テオは大丈夫か?」
「それが、お師さんには申し訳ないんだけど、俺の方はまったく問題ないんだよね。揺れてるってのは分かるけど、それでどうこうってのはなんともない」
「そっか。でも今は大丈夫でも、これからもっと揺れるかもしれないから、駄目だったらすぐに言えよ?」
「分かった、ありがとう。でも、それを聞いてむしろ心配になったのはお師さんの方かな」
「ははっ、言えてる。いや笑ってる場合じゃないけどな」
査察を担当するのは、あくまでも賢者のシズナである。ルグルたちがこの海で何をしているのか、そのことを見極めるのに彼女の存在は欠かせなかった。
暫くして、シズナはテオに支えられながら船室から出てきた。謝罪の言葉をテオが代弁する。
『すみませんルグルさん』
「気にすんなって。そんなことより、本当にもういいのか?まだ休んでてもいいんだぞ」
『いいえ大丈夫です。お話を聞かせてください』
すでにもう吐けるものは吐ききってしまった。と、これは流石にはしたないとシズナは心の中に留め置いた。それに治療のおかげで船酔いが軽減されたのも事実であった。役目を果たさなければという使命感も彼女の背を押した。
「そう言うなら始めさせてもらうか。今からオレたちは、依頼されている内海の魔物討伐に向かう。今回の標的はシーサーペントっていうデカいウミヘビの魔物だ。すでに何隻かがこいつの被害に遭っていて沈められてる。だから早いところ討伐しなきゃいけない」
「内海の魔物?陸の魔物と何か違うの?」
テオの言葉に、ルグルが頷いて言葉を続けた。
「内海を資源活用している国は少ないから今はあまり知られていないけど、元々内海の生き物は魔物に転じやすいという特徴がある。色々と要因はあるけど、その最たる理由は世界樹が近くにあるからだ。世界樹の間近で多量のマナの影響を受けた海の魔物は、陸上で発生する魔物よりも強力なだけでなく、凶暴化してしまう傾向がある。オレとブリジット号の乗組員は、主にこの魔物を討伐することを目的として集まったんだ」
世界樹は通常の樹木と同じように、咲かせた花びらをばら撒き、枝葉を落とすこともある。元は世界樹の一部であるそれらには大量のマナが含まれていて、世界中に散っていくことでマナを散布する役割があった。
しかしその大半は世界樹の下にある内海に落ちる。マナに富んだ落下物のお陰で、内海の生き物たちは豊かな生態系を築き上げ繁殖するのだが、同時に強いマナの影響も受けるのである。
大量のマナが溶け込んだ内海の魔物は、強力な個体に転じて豊かな生態系を食い荒らす。その上人々の生活を脅かし、航行の障害となる。これを除くのが、ルグルたちブリジット号の船員たちの役目であった。
「内海は完全に海の魔物のテリトリーだ。はっきり言って、オレたちは圧倒的に不利だ。常に相手に有利な条件で戦わなきゃならないからな。それがあまりにも危険だからってことで、内海に面する殆どの国は港を放棄しちまった。マールリアはそれでも踏ん張って海と向き合い続けている国なんだ」
シズナも海の魔物の強大さは聞き及んでいた。ただでさえ内環諸国は世界樹から距離が近く、魔物が発生しやすい条件が揃っていた。内海は最もリスクが高い場所なのだ。
並みいる大国も、シズナの故郷のカント・レギウムでさえも、内海から完全に手を引いていた。その事実が、内海の危険性を如実に表している。
しかしマールリアは、古くからリスクの高い内海からの恵みを受け取って繁栄してきた国である。豊富な海産物、海洋資源をほぼ独占することが出来るのは、船の安全を守護する絶対的な存在がいるからであった。
その人こそ八賢者が一人、廻水の魔法使いルグルであった。
とある海域に差し掛かった途端、周囲の空気が一変した。ぴりぴりと、肌を刺す殺気が体にまとわりついた。ルグルは今まで見せたことのない真剣な表情で、シズナとテオに向き直った。
「こっからは大仕事になる。護衛は必要か?」
二人の身を案じての提案だった。しかしシズナは頭を振った。
『私たちのことは気にしないでください。むしろ助けは必要ですか?』
それを聞いたルグルは、ニッと笑顔を浮かべて言った。
「助太刀無用!オレたち海の魔法使いたちの戦いぶりをご覧あれだ!!」
自信満々なルグルの態度を見て、船員たちの士気も高まった。各々が杖を抜き構えると、船首の先で大きな水柱が上がった。
長く伸びる巨体をくねらせて甲高い鳴き声を上げたのは、海の魔物シーサーペントだった。大きく開いた口からはギラギラと光る牙をのぞかせ、びっちりと生えた固い鱗は並大抵の攻撃を無効化してしまう。怪物と呼ぶのにふさわしい、見ただけで心の底から恐怖を覚えさせる魔物であった。
だが、ルグル含めブリジット号の船員たちは一人も怯まない。ルグルはすぅと息を吸い込むと、シーサーペントに負けない大声を張り上げた。
「杭撃てェェェッッ!!!!」
号令と同時に船の発射台から巨大な杭が発射された。シーサーペントの体に突き刺さった杭には返しがついていて、がっちりと食い込んで離れないようになっている。杭に繋がる鎖は多重詠唱で強化された連環の縛鎖で、船員たちはそれを維持しながら巨体を引っ張り上げ続けていた。
叫び声を上げるシーサーペントだったが、この程度のダメージではまるで効果はなかった。むしろ相手を怒らせ、暴れさせるきっかけとなる。それでも杭を撃ち込んだのは、シーサーペントを海上に留め置くためであった。
本来海底深く潜り込まれてしまえば、ルグルたちに打つ手はない。しかし魔物はその性質上、目の前の敵を襲わずにはいられない。敢えて魔物の鼻先まで姿を現すことで釣り出し、繋ぎ止めて戦うのが海の魔物と戦う時の鉄則であった。
シーサーペントが暴れるたびに、船は大きく揺れた。ただでさえ戦うには不安定な場所で、否応無しに恐怖心が煽られる。しかしやはり船員たちは誰一人として怯むものはいなかった。
「八属が焦熱。連鎖、拡散、爆ぜよ。炸裂の集塊ッ!!」
攻撃魔法、炸裂の集塊。撃ち出されたマナの塊が着弾と同時に爆ぜ、高威力の爆発で相手にダメージを与える。呪文にある「連鎖」は撃ち出されるマナの量を増強して「拡散」は爆発の範囲を広げる作用をもたらす。
それらが一斉に放たれたことで、シーサーペントは数十発もの爆炎に包まれた。通常の魔物であれば、この攻撃だけで影も残さず吹き飛ぶ。だがシーサーペントは海の魔物。多少のダメージを与えて怯ませることは出来たが、命を奪うまでには遠い。
暴れまわるシーサーペントの攻撃から、船の防衛を専門とする船員が懸命に幾何の方盾で守る。しかし魔物を繋ぎ止めておく時間が長引くほど、船に負担がかかり破壊される恐れがある。一斉攻撃と防御の練度はとても優れたものであったが、魔物を倒し切るには一歩足りなかった。
だがそれでよかった。あくまでもここまでの攻防は魔物を引きつけ、隙を作るための時間稼ぎである。本命はルグルの魔法にあった。
「八属が清流。廻り廻りて抉れ貫流、我が腕に宿れ。水刃の螺旋槍ッッ!!」
詠唱を終えたルグルの左腕が青い輝きを放ち始めた。そしてルグルは、シーサーペントが暴れまわる海の中に飛び込む。それは一見無謀に思える行為であったが、彼にとっては一番有効な攻撃が繰り出せるのである。
義手の指先から、魔法で加圧された細い水が放出された。次に義手の前腕部が高速回転し始めると、ルグルの左腕に水流のドリルが完成した。その水流を操り、放たれた矢の如く海中を進むルグルは、その勢いのままシーサーペントの体に突撃した。
ルグルの水刃の螺旋槍は、シーサーペントの固い鱗も強靭な肉も抉り裂いて突き進み、止まること無く一気に巨体を貫いた。体内を貫き口から飛び出したルグルは、魔法を解除しながら甲板に着地する。崩れ落ちるシーサーペントを背にし、魔物の血肉にまみれたルグルが言った。
「な?助太刀無用って言ったろ?どんな魔物も、この手に限るんだ」
自慢げに義手を叩くルグルに対して、シズナもテオも、ただただ称賛の拍手を送ることしか出来なかった。




