宴の夜に
夕食はブリジット号で豪勢な魚料理が振る舞われることになった。船員たちが総出で準備をして、料理だけではなく歓待の催し物まで行われた。
盛り上がった船乗りたちがそこらじゅうで飲めや歌えやの騒ぎとなり、服を脱いで陽気に踊りだすものもいれば、些細なことで口論になってから、殴り合いの喧嘩をしだすものも現れた。
喧嘩は誰に止められることはなく、逆に囃し立てられて余興に変わった。シズナもテオも破天荒なのはルグルだけかと思っていたが、彼の仲間の船員たちも大概であった。
「悪いな~二人共。皆こういう宴が大好きでな~歯止めが効かないんよな~」
謝りながらもルグルは酒を飲む手を止めない。自分も存分にこの催しを楽しんでいた。シズナは苦笑いで返すが、テオは目の前の料理をじっと見ていた。
「何だ何だ、どうしたテオ?食っていいんだぞ、たっくさん食えよ!」
「いえ、その、これ生魚ですよね?」
さばいたばかりの生魚、それを薄く切った刺身が綺麗に並べられ、豪華に盛り付けられた皿がどんと置かれていた。テオにとって馴染みのある魚と言えば川魚で、それは生食などもってのほかだった。
未知の料理でも基本的に躊躇無く食べるテオだったが、今回ばかりは手が止まった。しかしルグルは何の躊躇もなく刺身を一つをつまみ上げると、そのまま口の中に放って食べた。
「うん、美味い美味い。やっぱ旬の魚はこの食い方が一番美味い。ほらテオ、お前も食べてみろって」
半ば救いを求めるようにテオはシズナの方を見たが、彼女はすでに刺身を口にしていた。味の感想は、彼女が手話で伝えるまでもなく美味しそうに頬張る表情で分かった。
師匠が食べて、自分が食べずにいられるか。テオはままよと勢いよく刺身を口に入れた。そしてカッと目を見開いた。
「美味い…っ!」
「そうだろそうだろ?ハッハッハ!!」
「もちもちして歯ごたえがあって、魚のとろける脂の甘さと身の旨味が絶品だ。噛むほどに旨味が口に広がっていくのに、身はすっと溶けるように消える。これは魚の持つ美味しさもあるけど、包丁の入れ方も絶妙なんだ。すごい!すごいぞ!この料理は!」
「お、おう…そっか…。何か変なツボ押しちゃったな」
元々料理好きなテオにとって、未知で美味しい料理というのは非常に興味を引く対象である。生魚に尻込みしていた心理的な障壁が取り除かれると、途端に料理への情熱が燃え上がった。
そんなテオの一面を初めて見たルグルは、酒が入って酔いが回っていても、彼の豹変ぶりに驚きを隠せなかった。そしてシズナに話を振る。
「シズナ、これって何がテオの火をつけちゃったの?」
聞かれたシズナは嬉しそうにメモ帳を取り出すと、さらさらと文字を綴った。
『テオくんは料理上手なんです。料理が美味しかったから、自分でも作れるようになりたくて観察して勉強しているんですよ』
「へーそうなのか。だったらこの船の料理長と気が合いそうだな。テオ!あそこに居るのがうちの料理長だ!よかったら話を聞いてみろよ!」
「っ!お師さんっ!」
『いってらっしゃい』
師の許可をもらったテオは、一も二もなく飛び出していった。興味があるものに一直線の弟子の姿を見て、シズナはにこにこと微笑んでいる。
「なんか嬉しそうだねシズナ」
『自分の世界が一気に広がる嬉しさや楽しさは、今この時だけしか味わえないでしょう?』
「なるほどね。そういやシズナはずっと旅をしてるんだったよな。なら旅の醍醐味も分かるってことか」
シズナが旅をしているということは、賢者たち全員に共有された情報だった。だからこそ、彼女が賢者巡りの査察官に選ばれたのである。
賢者たちの中で自由に動き回れて、どこにも定住せず、どの組織にも属していない条件を満たす者は限られている。シズナ、アルベール、フゥリアの三人だった。
アルベールはこの件の提案者であり、独自の空間魔法も移動に最適だった。しかし、本人の性格が公平さに欠く。それは彼も自覚していた。我と偏見の強さが、致命的なまでに向いていなかった。そもそもの目的もシズナにこの旅を任せることであったので、辞退以外の選択肢はなかった。
フゥリアは生粋の流浪人である。気まぐれな性格もさることながら、行動に一貫性もない。どこにでも突然現れて、楽器を演奏するだけで立ち去ることもあれば、周辺地域の問題を颯爽と解決していくこともある。彼女の目的や行動理念はハッキリとせず、意図を明かそうともしなかった。
この二人に対して、シズナの旅の目的は一貫していた。魔法で困っている人を助けることである。それゆえ地方の魔法使いたちの事情にも精通している。質の低下と素行の悪化について一番理解があるのもシズナだった。
シズナは魔法使いの問題に対して、抜本的な解決に取り組んでいる訳ではなかった。彼女の行動は彼女の裁量によるもので、言ってしまえばその場限りの対処法であった。人助けの結果、上手くいったことも、いかなかったこともよく知っていた。
だからこそ、賢者たちがこの問題にどう取り組むのかを、一番客観視出来る立場であった。何をして、どう変わるのか。適した方法は賢者それぞれの判断と個性に委ねられている。すでに実績のあるシズナは、それを査察して評価する役目に適していた。
本人の性格も基本的には穏やかで、現在は弟子のテオというストッパーもいた。更に彼は、シズナの言葉の代弁者にもなれる。アルベールが賢人会議を開催した時点で、この結果は決まりきった道だった。
「確か、人助けの旅だっけ?」
『そんなに高尚なものじゃありませんよ』
「でも困ってる人を助けてるんだろ?」
『どうなんでしょう。結果的にそうしているけれど、果たして本当にそれが人のためになっているのかどうか…』
そこまで書いて、シズナの手は止まった。不思議そうに首を傾げるルグルに、もう一度ペンを走らせた。
『助けるべき人を助けたいと思っていることは本当です』
「…そっか。うん、いいんじゃないかな。オレだって、ここで生き続けている理由は似たようなモンだ。オレの力を役立てて、助けたい人たちを助けてる。他の賢者の皆から見たら、狭い世界なのかもしれないけどな」
ルグルは残った酒を一気に呷ると席を立った。そしてお祭り騒ぎの中に飛び込んで行く。一人残されたシズナは、テオやルグルの姿を静かに見守った。
宴が終わり、船の至る所で酔いつぶれた船員たちが大の字になって眠りこけている。その中にはルグルも混ざっていた。彼は酒瓶を枕のように抱えていた。
シズナとテオの二人は、あてがわれた客室で休んでいた。しかしテオは、陸とは違う寝心地に違和感を覚えて目が覚めてしまい、部屋を出た。
真夜中の甲板に出ると、ゴゴゴという地響きのようないびきが響き合い、夜空で大合唱を繰り広げていた。静かな夜とはいかなかったが、それでも船の上から見上げる夜空はとても広く美しく見えた。
しかしそれ以上にテオが気になったのは、遠く見える世界樹の姿だ。夜でも淡く薄く輝いて見えるのは、魔観を用いずともマナが可視化されているからである。世界樹ばかりは魔法使いであろうとなかろうと、マナを感じることが出来るのだ。
テオは世界樹を見て、何かもっと激情のようなものが湧くと思っていた。それが良いものであれ悪いものであれ、強く感情が揺れ動くと思っていた。シズナと一緒に世界樹を見た時には黙っていたが、本当に一番強く感じたのは「拍子抜け」であった。
「おかしいなあ、やっぱりただ綺麗なだけだ」
そう呟いた声は夜闇に消えた。世界樹からはマナが生まれ、それが世界に広がっていく。マナのエネルギーは命を芽吹かせ実りを与え、人を富ませて暮らしを豊かにする。
だがその恩恵を自由に享受出来るのは限られた国や人たちのみで、その他大勢は厳重に管理されたものを細々と利用させてもらえるだけであった。
そのことに不満を抱いたとしても、人々はもうマナのない生活には戻れない。魔法使いが少しマナ操作を行うだけで、作物は不足なく十分以上に実り、水や資源の奪い合いも起こらない、寒村でも生きるに足りた生活を送ることが出来るからだ。ある程度の自衛は必須だが、凶暴な魔物から住んでいる場所を守る魔法の結界は強固で、暮らしや命を脅かされる危険は早々ない。ただし、大国に課される重税を納めていればの話である。
それはとても不公平で、不条理だと考えていた。大国は重税を課して懐を肥やし、魔法使いは優位な立場を悪用し、逆らえない村人たちが数々の蛮行に目を瞑って受け入れる他ない状況は間違っていると思った。
テオは心のどこかでずっと、世界樹とマナなんてものがあるから、こんなことになってしまうのではないかと思っていた。これは魔法使いになりたいという、自分の夢と相反する意見と感情で、そのことを自覚しているからシズナ本当の気持ちを打ち明けられなかったのかもしれないと改めて思った。
しかしその目で実物を見て、世界樹もそこから生み出されるマナも、この世界の一部としてただただ存在しているだけだと感じた。世界樹がマナをどのように活用せよなどと要求する訳ではなく、この世界のすべてのものが、そこにあるものを勝手に使っているだけなのだと思った。
世界樹もマナも極めて異質なものである。しかし、自然の中に存在する歯車の一部なのだ。人間を含めこの世に存在するすべてと同じ、ただそこにあるだけのものなのだと、テオはそんな風に考えていた。
世界樹を取り囲む内海、そこで生きるルグルたちマールリア国民、海と世界樹の関係性をまだ知らないテオはこの船旅で何を知れるのだろうと思いを馳せた。




