シルドの役目
外環諸国で唯一の大国、影の皇帝ランスリード・フォン・アイゼンハルトが治める国、アイゼンハルト皇国。内環諸国をお忍びで外遊して引き抜いた魔法使いガレムによって発見されたマナスポット。ランスはそれを自ら指揮を執り、その数カ所をすでに独自のエネルギーとして変換し活用する技術を確立していた。
マナスポットの運用は最大限の慎重を要した。万が一でも内環諸国にその存在を漏洩させる訳にはいかない。内環の興味が一切外環に向いていないとはいえ、外環がマナを運用していることを見逃すほど間抜けではない。ランスが外遊をやめて直接指揮を執った理由もこのことに尽きた。
その甲斐もあって、マナスポットのエネルギーは秘密裏に運用可能な水準まで引き上げられることが出来た。だがこれは、外環に革命を起こすほどのものではなかった。やはり内環と外環でマナ濃度の違いは大きく、外環で主要なエネルギーを代替するものにはならない。
しかしマナスポットの真価はそこにはない。外環諸国自らの手で魔法技術を作成活用出来るという事実が最も重要であった。今まで外環諸国になかった技術を使用することが出来るようになることは、エネルギーよりも価値のあることだった。
そしてランスは現在、実弟で代理の皇帝を務めるシルドリオ・フォン・アイゼンハルトと内密の会談を行っていた。
「だからさ、それはもう何度も謝っただろ?な?ごめんってシルド」
「その手は食わないよ兄さん。もう何度僕がそれに騙されてきたことか、いい加減にしてよ本当に」
ランスは弟に対してひたすら平謝りを続けていた。そこに皇帝の威厳はなく、ただの兄弟喧嘩の様相を呈している。
「大体この話だって、さっさと兄さんが皇帝の座に就けばいいだけの話だろ。どうして僕がまだ代理をしなきゃならないんだよ」
「いやそれは俺にも色々と考えがあって…」
「だからその考えを皇帝として実行すればいいって話をしてるんだよ。小回りがきかないだの何だのと言い訳は散々聞いてきたけど、兄さんがやってることって、他の誰かに任せてもいいことだろ。少なくとも、皇帝自らがやることじゃないよ」
「それはもう…おっしゃる通りでして…はい…」
シルドが指摘した通り、皇帝が身分を隠して自ら内環諸国を外遊するなど危険極まりない行為であった。外環諸国の未来を真剣に憂い、確固たる意志で城を飛び出していった兄の助けになりたいとシルドも努力してきたが、元より表舞台に立つことに向かない性格であることは事実で、シルドもそれを自覚していた。
「実際さ、僕はもう大体の目処は立ったと思うよ?ガレム博士の研究は順調なんだろ?」
「ライドゴーレムか。それはまあ、確かにそうなんだけどな…」
ガレムの開発した人が搭乗して操縦することが出来るゴーレムは、ライドゴーレムと名付けられ着々と改良が進められていた。すでに多くの課題を克服して量産されているが、ランスにはある懸念があった。
「ライドゴーレムは機能性、耐久性、搭乗者の安全性、どれも申し分ない性能になった。特に重視した耐魔性も、難儀はしたがガレムたち研究者の努力でこれも解決した。正直期待以上だったよ、この結果はな」
「量産化も進んでいるし、僕も実機の試運転をこの目で見た。あれは外環諸国にとってこれ以上ない切り札だ。《《間違いなく世界をひっくり返せる》》。素人目に見てもそう思うんだから、兄さんはなおさらそう思ってるんだろ?」
兄の性格と能力をよく知るシルドは、ランスの心中をピタリと当ててみせた。だがランスが懸念している事柄の詳細までは察せなかった。
「…搭乗兵の操縦訓練も順調と言っていい。正直言えば今すぐにライドゴーレムで内環に喧嘩を吹っかけても、大負けはないと思う。だがなシルド、それをやるのが俺たちだけじゃあ意味がないんだ」
「というと?」
「ライドゴーレムは確かに対内環諸国の切り札として作らせた。しかし俺がまずその矛先を向けるとしたら、それは内環ではなく外環の方だ。ライドゴーレムの最初の仮想敵は内環諸国じゃない。外環の方なんだ」
「それって…つまり兄さんは外環諸国で内戦を始めようって言うの?」
苦々しい表情で頷く兄の姿を見て、ようやくシルドもランスの苦悩と、中々決断出来ずにいる理由をようやく理解出来た。
外環諸国は内環諸国から徹底的に蔑まれている。命も尊厳も軽んじられ、国民は裏庭の雑草程度にしか思われていない。少ない資源も徹底的に搾取されていて、不平等な重税も課せられている。
何より問題であるのは、外環諸国の殆どの国が、その状況に慣れきってしまっていることだった。生まれた時からそれらは当然のように行われていて、外環はすっかり管理され、飼いならされてしまっている。元より鋭くもない牙を、生える前から徹底的に抜かれているのが外環の現状であった。
内環に対する反骨心を持つものが居ない訳ではない。しかし、外環が一貫してその態度を取れる訳でもない。ランスが望む内環と外環の不均衡の是正を達成するためには、外環の意思統一が最優先かつ不可欠である。
「俺は手始めに、同胞の血で道を固めて舗装する必要がある。外環統一を果たさなきゃ、次の段階なんて夢のまた夢だ。俺の考えに賛同する国はいい。だが賛同しないどころか、内応する国が出るのはまずい。外環には、管理された安寧を享受している人も大勢いる。俺の決断は、そういう人たちを死地に追いやることになるんだ」
ただでさえ弱小の外環諸国で内戦を始めれば、個々の国の力は更に弱まることになる。統一が成されるまでの道のりでどれだけの血が流れることか、ライドゴーレムがほぼ完成したことで戦力差が明確になり、ランスにはそれが容易に想像出来るようになってしまった。
「兄さん、分かりきっているけど一応聞いておく。他の外環の国で、僕たちに対抗できる国はある?」
「ない」
「即答か。まあそうだよね。じゃあ方針は決まっているようなものだ。兄さん、バトンタッチだ。僕にやってほしいことがあるんだろう?」
「…ああ、そうだな。やってくれるか?シルドリオ」
兄の前にひざまずいた弟は、強い意志の込められた言葉で答えた。
「お任せください皇帝陛下」
それは自分が皇帝の座から退くという意思表示と同時に、別の重要な役割を引き受けるという宣言だった。
ランスがシルドを仮の皇帝に置いていたのは、外環諸国に彼の顔と名を広めることが目的であった。彼は根本的に王の資質と覇気には欠けた人物で、兄のような鋭い洞察力も、長く広く見ることの出来る戦略眼も持ち合わせていなかった。
飛び抜けて優れたところはない。しかし、シルドは得難い稀有な才能を持っていた。温和で朗らかな性格は人を和ませ、親切で丁寧な話術は、固く閉じた相手の懐をこじ開けさせる力があった。
恫喝には不向きの性格だが、懐柔にはこれ以上なく適性があった。これまで兄の代わりに皇帝の座に着いていたお陰で、交流のある外環諸国の人々は、シルドの人となりをよく知っていた。誰もがシルドを「好ましい人物」であるという共通した認識を持っていた。
ランスがシルドに任せたかったのは、外交だった。しかも出来るだけ相手国に無条件降伏を迫るという、とんでもない難題を押し付けた。だがシルドは、それを次々にこなしていった。
ライドゴーレムの性能を見せれば、恫喝の手段にはまったく困らなかった。硬軟織り交ぜた交渉の中で、シルドが徹底的に行えばいいのは軟の部分である。シルドは顔が広いだけではなく、交渉する国の事情と人のことをよく知って覚えていた。ランスの代わりになって、外環の国々との親交に努めた賜物であった。
それに加えて、ランスが外環諸国を巡り巡って集めてきた情報が手元にある。それは国の内情を丸裸にするものではないが、国ごとの事情を把握していることは、交渉を円滑に進めることになった。
ランスの思惑が功を奏し。外環諸国に、シルドならば信頼していいのではないかという風潮を広く行き届かせることに成功した。ランスがシルドを用いた浸透作戦で、外環はゆっくりとだが、統一の道を歩みつつあった。
とはいえ、万事が上手く進む訳ではない。外環統一の夢はまだ半ばである。しかし、それがただの夢物語ではない現実のものとなる日は、着々と近づいていた。




