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言無しの魔女  作者: ま行


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準備

 夜。目を覚ましたシズナが体を起こすと、傍らで寝息を立てている誰かに気がついた。テオだ。彼はずっと、傷つき疲れ果てて眠りについていたシズナを心配して見守っていた。


 コルヴォに負わされた傷も毒も、ジュリウスの魔法によって完全に回復していた。だから体の負傷は残っていない。しかし、心は違う。


 シズナはコルヴォの蛮行に怒り、我を忘れてロゴス羅針宮に乗り込んできた隊員たちを殲滅した。元よりジュリウスの息がかかった者たちであり、見逃すという選択肢の優先順位は低かったが、過剰な対応だったことは否めない。


 しかし、無抵抗の相手をいたぶるコルヴォのことを許すことは出来なかった。それに付き従う者たちも許せなかった。そして、そもそも彼らを最初から使い捨ての駒にするつもりであったジュリウスのことは殊更許せなかった。


 父ジュリウス。シズナが直接対面した回数は片手で数えるほどしかない。ロゴス羅針宮での邂逅は、そのうちの一つだ。それが最悪の邂逅となった。


 家出、与えられた自由、欠陥品、救いようがない愚かな娘、次々に発せられた心無い言葉。そしてジュリウスは端から娘とコミュニケーションを取るつもりがなく、シズナの手話を解そうとしない。


 ジュリウスにとって、自分はただの所有物。シズナにはそのことが強く伝わってきた。なおさら自分を欲する理由が分からなくなるどころか、不快感と不信感は強くなった。思い返しても怒りを抑えることが難しい。


「んんぅ…はっ!!お師さんっ!!」


 その時、寝ていたテオがバッと体を起こした。シズナが起きていることに気が付き、自分が寝ていたことに慌てたのだ。その様子を見て、彼女は穏やかに微笑んだ。


『おはようテオくん。いや、夜なのにこれは変か』

「お師さん、大丈夫なんですか?」

『大丈夫だよ。元気!』


 それが明らかに空元気であるとテオには分かった。自分に弱さを見せないようにする。そのことがテオには悲しかった。


「…お師さん。俺、生意気なことを言います。大丈夫な訳がないです。ジュリウス王に、お父様に会ったんですよね。それでお師さんが大丈夫な訳がないですよ」


 心の傷をさらけ出して欲しいと、テオは優しくシズナの両手を握りしめた。そうすると、シズナは言葉を伝えることが出来ない。だが敢えてテオはそうした。どんな形でもいいから言葉以上に何かを伝えてほしい。その気持ちが伝わってきたシズナは、里で再会した時よりは控えめだが、少しだけ涙をこぼした。




 テオはシズナが落ち着くと、彼女の身に起こった出来事ではなく、シズナが居ない間に自分が何をしていたのかを事細かに話し始めた。それもとても楽しそうに、自分の出来る限りの言葉を尽くした。


 シズナはそれを興味深く聞き入り、時には質問をして、驚いたり笑ったりと、感情豊かな反応を示した。二人でこうしたやり取りをすることが、とても久しぶりで新鮮だったからだ。


『じゃあテオくん、とうとう自分の杖を手に入れたんだね』

「ええ、これです」


 テオの杖を渡されたシズナは、しげしげとそれを観察した。彼女は使う魔法の性質上、杖という媒介を必要としない。だから杖に触れる機会がほぼない。なのでより一層それが興味深かった。


「木材は魔蓄樹で、芯材がセラドナの血琥珀。クウガイ様という杖職人が作ってくださったのですが、お師さんはご存知ですか?」

『名前だけは聞いたことあるよ。世界一の杖職人で有名だからね』

「へえ世界…へえっ!?世界一!?」

『びっくりした。そうだよ、知らなかったの?』

「ぜ、全然知りませんでした。い、一緒に居る時も、そんな素振りも話もなかったし…」


 そういうことを自ら語る人でもなかったと、短い付き合いだったが人となりを知っていたテオは思った。きっと本人に聞いたとしても「人が勝手に言ってること」と言って何も気にしない様子が目に浮かんだ。


『でもそうだね、私は話に聞いていただけだけど、この杖を手にとって、杖に命が宿るっていう意味が初めて分かったかもしれない。流石は噂に高いクウガイ様が作る杖。呪文を唱えられない私でも、この杖を持っただけで魔法が詠唱出来るようになる気がする』

「そういうものなんですか?」

『うん。杖が私のことを助けようとしてくれているのが分かる。テオくんは感じない?』

「どうでしょう。俺が感じ取れるのは、まだまだ得体のしれない何かの存在です。クウガイ様は、魔法を使って情報のやり取りをしているうちに、この杖は俺のものになっていくとおっしゃられていました」

『そっか、じゃあきっと、この杖もテオくんと同じように、まだまだ成長途中なんだね。優しくて気遣い上手な性格はすでに似てるみたいだけど』


 シズナは微笑みながら杖を返した。受け取ったテオは自分の杖を少し見つめてから仕舞う。成長途中という言葉が、ズシッと心に響いた。


 師匠の危機に、自分は蚊帳の外。その事実がテオの心を苛んだ。しかし自分が仮に現場にいて、何が出来たかと自問しても、何も出来なかったという答えに陥る堂々巡りであった。


「お師さん、大師匠様がおっしゃってました。ひとまずお師さんがお父様から狙われる心配はなくなったと。ただ、安心安全の太鼓判が押せる訳でもないともおっしゃってました」

『そうだね。師匠のお陰で私の行動の自由はある程度保障された。だけど、黙ってそれを見過ごすような人でもないと私も思う。あまり表立って行動はしないだろうけど、裏の妨害は覚悟した方がいい』

「同感です。これから始まる八賢者巡りの旅も、正直俺は、今のままでは足手まといになると分かりきっています」


 シズナはテオの言葉に対して、否定も肯定も出来なかった。そんなことはないと、信頼を置く彼を無条件に受け入れたいと思っている。だがまだ魔法は学び始めで、ようやく杖を手にした未熟な魔法使いを連れて歩くことの危険性を、現実的な目で見てしまう自分もいた。


「…でも」


 テオはそのことを前置いた上で話を続けた。


「そうだったとしても、俺はお師さんについて行きます。大師匠様にそう言われたからとか、俺が必要になるだとか、そういう思惑は一切関係ありません。俺がそうしたいと思ったから、俺はお師さんについて行きたいんです。あなたの側に居たいんです」


 シズナという存在は、テオには認知することが出来ない、様々な思惑や陰謀という名の糸に絡め取られている。今のところテオがそれに抗う術はない。しかしそんなものは関係なく、シズナと一緒に居たいと願う心が真実だった。


 例え自分がそれに巻き込まれて《《命を落とすことになったとしても》》、テオの決意は揺らがない。むしろ子どものように泣きじゃくる師の姿を見て、余計に決意は固く強くなった。


「そこで俺から提案があるんです。大師匠様に直接言おうかとも思ったのですが、やっぱりまずはお師さんに聞いてもらうのが筋だと思いまして」

『提案?』

「はい。実は話を聞いていた時から考えていたんです。あのですね―」


 テオは八賢者巡りの旅が決まった経緯と目的を聞かされた時から、とある大胆な発想をずっと抱えていた。その内容を聞かされたシズナは驚いて顔を上げた。そして提案に同意するという意思表示のために、深く頷いた。




「来年の萌芽の節まで旅は延期だあ!?マジで言ってんのかお前ら?」


 頷くシズナを見てアルベールは更に呆れた。しかし、そこにテオが割って入った。


「大師匠様。八賢者巡りの旅って、明確にいつから始めるというのは賢人会議で決めたんですか?」

「いや、それは…」

「だったら時間の猶予はあると思います。そもそもこの旅の目的は、各地の勢力の査察ですよね?八賢者の方たちに、魔法使いの質の低下と素行の悪化という問題意識を持ってもらって、その改善に取り組んでもらう。その成果ってすぐに現れるものでもないでしょう?ある程度時間が必要だと思うんです」

「テオ、お前の言いたいことは分かる。だけどな―」

「俺も分かってます。お師さんのお父様に時間を与えたくない。大師匠様はそれを懸念なさっているのでしょう?」


 ずばりと言い当てられてアルベールは口をつぐんだ。しかしジュリウスという不確定要素に時を与える愚行を冒してでも、テオはこれが必要だと考えた。


「これから繁茂の節も終わり、琥珀の節、落葉の節が来ます。その間、大師匠様とお師さんは、俺に目一杯の修行をつけてください。俺は正直、まだ魔法使いとは呼べない半端者です。だけど二人の賢者から魔法を教えてもらえたら、多少は様になるはずです。お二人に無茶なお願いをしていることは百も承知です。でもお願いします。この短期間で、俺を他の魔法使いと見劣りしない水準まで引き上げてください」


 旅の開始時期について、賢人会議では明確に定めなかった。アルベールはあの時、どちらかというとシズナをジュリウスから逃がす方に意識が向いていたからだ。


 しかしテオの指摘通り、賢者たちに多少は時を与えなければ、議題の本来の目的から逸れてしまうのは事実だった。意図していなかったが、アルベールの焦りが時間の猶予を作る口実を生んだ。


 ジュリウスの動向という不安な要素は拭えないものの、ここでシズナの旅の同行者であるテオを鍛えられるのは好都合なことだった。手話の通訳という役割があるテオは、八賢者巡りに欠かせない存在である。


 テオは自らをシズナの護衛役にしろとアルベールに要求していた。その意図を汲んだアルベールは暫し考え込んだ後、分かったと頷いたのだった。テオの修行はより一層厳しいものになる。それも覚悟の上であった。

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