宿敵
開戦の一手目はシズナからであった。以前よりも素早く、かつ高威力になった攻撃魔法が放たれる。瞬時に六発、使用した魔法は穿孔の一矢、それを多重展開したものである。
自らをめがけて襲い来る魔法を、コルヴォは防ぐことも避けることもしなかった。そのまま無抵抗で直撃したかのように見えたが、シズナの穿孔の一矢が貫いたのは、コルヴォがまとっていたマントだけであった。穴だらけでボロボロになった布切れが地面にひらりと落ちた。
シズナともう一度戦うと決めていたコルヴォは、何度も何度もその瞬間のことをシミュレーションしていた。手印によって発動する、他の魔法使いとは比べ物にならないほど素早い魔法の行使。言葉を持たないがゆえ、詠唱の代替方法である独自で編み出した手印で、どんな魔法を使うのか発動まで判別させないという利点。戦闘行為を主とする鴉の幹部たちを圧倒する場慣れした戦闘能力を鑑みると、自分が相手を出し抜くためには綿密な準備が必要であることは明らかであった。
マントはそのために用意してきたものである。発動した魔法を誘引する効果を持つ魔法道具で、コルヴォが直前まで動かなかったのは、その仕掛けをシズナに悟らせないためのものであった。一度でも囮を使用すれば、シズナは即座に対応策を取ってくると分かっていた。だから多大なリスクを負ってでも動かないことを選択した。
『囮、なら本体は』
稼げた時間はほんの一瞬であった。しかしコルヴォはその一瞬が欲しかった。自らの適性である風属性の魔法を使い、自分の体を突風で吹き飛ばしてシズナに接近した。無茶な手段にミシミシと体が悲鳴を上げて全身が激痛に襲われるが、コルヴォはまったく意に介さない。
コルヴォの狙いが自分に接近してくることだと、シズナには分かっていた。魔法の撃ち合いになれば分があるのはシズナの方で、コルヴォではない。勝負するならば接近戦が一番有効である。
シズナは即座に手印を結び、幾何の方盾で全身を覆った。想定通り、突撃してきたコルヴォの右手に、ナイフが握られているのがちらりと見えたからだった。相手がナイフを扱えることは前回の戦いで知っていた。そこで選んだのが防御だった。幾何の方盾はナイフ程度の物理攻撃では抜けない、その後反撃に転じれば、シズナは至近距離で攻撃魔法を撃ち込める。
だがそれもコルヴォの狙い通りだった。隠すことも出来たのに敢えてナイフを見せたのは、前回の戦いをシズナに思い出させたかったからである。それに魔法使いが至近距離の攻撃を警戒しない訳がない。そこもシズナの判断を誤らせるポイントだった。
コルヴォの本命は、左手に忍ばせておいた投げナイフの投擲。それはシズナの展開した幾何の方盾を貫いてきた。これは魔導監察庁執行部の実働部隊に支給される破魔の効果を持つもので、対魔法使いを想定されて徹底的に情報が隠匿されているものであった。
情報を知りえないシズナに、投げナイフが魔法を打ち破ることなど想定出来るはずがない。コルヴォが投げたナイフは狙い通りシズナの喉をめがけて一直線に飛んだ。
「殺った!!」
コルヴォはそう確信した。しかし、直後にまさかの光景を目にすることになった。シズナの喉に深く突き刺さるはずだったナイフは、彼女が咄嗟の判断で庇った左の手のひらに突き刺さって止められた。
これには優れた反射神経に犠牲を厭わない覚悟と精神力が必要だった。だが何よりコルヴォを驚かせたのは、シズナが自らの手を犠牲にしてきたことだった。《《言無しの魔女にとって手は呪文の代わりである》》。それを知っているだけに、この行動が彼女から魔法という選択肢を潰すことになると考えられた。
シズナの取った想定外の行動は、ここまですべて想定通りにことを運んでいたコルヴォの思考力を奪うのに十分な働きをした。シズナは右手の拳を握り込むと、親指、人差し指、中指を開いてコルヴォに向けた。
『魔弾』
魔法使いにとって初歩の中の初歩、攻撃魔法の原点、通常であれば大した威力を持たないとても単純な魔法。集めたマナを撃ち出してぶつけるだけのもの。ただそれだけの魔法が、コルヴォの左半身を一瞬で消し飛ばした。
自らの死の間際、コルヴォはどうしてか冷静に思考を巡らせていた。何かしら攻撃がくると判断して、咄嗟に幾何の方盾を張った。それは間に合っていた。だがシズナの放った魔弾は、その盾を真正面から打ち破って突破した。シズナは小細工などせず、純粋に完成度と威力の高い魔法で盾を破壊してきた。
賢者という遥か高みに手を届かせるには、自分の翼はあまりにも弱々しいものだった。最期にコルヴォはそれを理解して逝った。
コルヴォを退けたシズナであったが、体が膝から崩れ落ちた。左手がしびれて感覚がなくなっていることには気がついていたが、それがすでに全身へ回っていた。
『刃に毒…まったく…どこまでも…』
毒の種類が何であっても、命を脅かすもので間違いはないだろう。そうシズナは覚悟していた。コルヴォならばそうするという、謎の確信があった。相手はそれだけ本気で命を取りに来ていた。
『助けが来るまで…命がもつか…どうか…』
霞む視界に重くなるまぶた。何とか繋ぎ止めていた意識を無理やり引き剥がされそうになった時、シズナの体は急に軽くなって麻痺もすっかりと消えた。回復と解毒、それが一瞬にしてなされたことも驚いたが、それ以上に彼女を驚愕させる人物が目の前に現れた。
「泳がせておいてどうなるかと見ていたが、中々面白い見世物だったな。命を取るに足りるかどうかは疑問であったが、まあ健闘した方だな。走狗としては十分な働きだ。くだらぬ命を余のために役立てられて光栄だろう」
コツコツと靴の音が鳴る。シズナの元に単身で現れたのは、カント・レギウム国王オーディス12世ジュリウス・ルノ・ヴェールであった。彼女の実父で、一度は完全に見捨てた娘を今更になって執拗に追っている。
「さて我が娘よ、つかの間の家出は楽しめたかね?ずいぶんと自由にさせたが、お前も責務を果たす時が来た。城に戻ってもらうぞ」
『何を勝手に』
「その手を止めろ。余を苛立たせるな」
シズナは失意にガクリと手を下ろした。手話を心底嫌悪する眼差し。元より期待などしていなかったが、この男は父親であっても、娘の言葉を欠片も理解しようとはしないと気がついたからだった。
失意の後に湧き出た感情は怒りであった。今ここで、例え刺し違えたとしてもこの男を殺す。シズナの目には、確かな殺意が宿っていた。
それを見たジュリウスは、シズナとは正反対に無表情のまま吐き捨てるように言った。
「愚かな娘だ、救いようがない。欠陥品とはいえ使い道があると価値を見出してやったのに、親に歯向かおうとするとはな」
唐突にシズナは、今まで感じたことのないプレッシャーに全身を押しつぶされそうになった。それはジュリウスが放つ威圧感であった。とても人のものとは思えない、化け物じみたものであった。
変化はそれだけではない。室内の温度が、ジュリウスを中心にしてどんどん上昇していた。溢れ出る汗は冷や汗ではなく、急激な温度変化に対する体からの救難信号だった。シズナはジュリウスの全身から揺らぐ陽炎を見た。
それでもシズナは怯まなかった。どうあれこいつをここで殺す。自分を治癒したのが運の尽きだと、即座に魔法が発動出来るように構えた。
一触即発。とても親子の間のものとは思えない空気に冷水を浴びせかけたのは、突如どこからともなく二人の間に割って入ったアルベールだった。
「ほい、失礼」
アルベールは義足をガチャガチャと鳴らしながら、強烈な回し蹴りを見舞ってジュリウスを数歩下がらせた。下がった先の空間にはすでに裂け目が開いていて、ジュリウスが入り込むとそれは素早くスッと閉じた。
「お前も行くぞ」
その後アルベールはシズナの体を担ぎ上げた。そして予め開いておいた裂け目の中にそのまま飛び込み、シズナはそこで下ろされた。
「さあて役者は揃ったな。早速始めるとするか、現八賢者が選出されてから初の賢人会議をな」
顔を上げたシズナの前には、父親のジュリウスと、師のアルベールを除き、残り五人の賢者たちがいた。すでに円卓の席につき、会議の開始を待っている。何が起こったのか分からぬまま、シズナはアルベールに促され、空いている自分の席に腰を下ろした。




