引けぬ戦い
やはり来た。しかし早すぎる。シズナはコルヴォの突然の襲来に対して、とてつもない焦りを覚えていた。魔法がまた使えるようになれば、相手が何かしらの行動を起こしてくるのは分かりきっていたことだった。だとしても、流石にここまで早いのは予想外であった。
『時間稼ぎをしてくるとブライト様はおっしゃっていた。流石にロゴス羅針宮の中で強引な手段を取ってくるとは思えないけど、時間稼ぎでは問題の解決にはならない。だけど…』
シズナが再び魔法が使えるようになったとはいえ、自由に使えるとは限らない。むしろこの状況下では、魔法を使用することは出来ない。使えば即座に自分が居ることを相手に知らせることになるからだ。
そもそも魔法が使えるようになった時でさえ、シズナは相当に気をつけてマナ操作を行った。回数も極力減らして偽装も念入りにした。それでもコルヴォは嗅ぎつけてきた。恐ろしき執念である。
ロゴス羅針宮から出ることが最優先だが、出入り口はコルヴォの隊に固められていて迂闊に近づけない。それをかいくぐろうにも、空間転移の魔法は厳しく管理制限されていて、カント・レギウム領内で使用するのは困難を極める。シズナは実質的にロゴス羅針宮に閉じ込められている状態であった。
だがこのまま手をこまねいている訳にもいかなかった。コルヴォが手段を選ばず強硬策に出る可能性も十分にある。万事休す。シズナは冷や汗が伝うのを拭うことすら忘れていた。
コルヴォの行動を一時的に押し留めたブライトであったが、それが上手くいっていないことはすぐに分かった。相手方の態度には、明らかな余裕があったからだ。
「出入り禁止大いに結構、どうせ私は言無しの魔女を連れずにここを出るつもりはありません。しかし、あなたの陛下への謁見を待つつもりもない。私たちは確かに言無しの魔女の反応を検知した。しかもここ、ロゴス羅針宮で、です。これがどれだけ重大なことかお分かりですか?」
「ですから、私はそんなことはないと言っているでしょう。それを判断するのはあなたではなく、陛下なのでは?」
「いいえ私ですよ。私は陛下に委任されて隊を率いています。この隊は王の私兵、つまり王の手足も同然。苦しいですねえブライト様、そのことが分からない人でもないでしょうに」
この論争で分が悪いのは明らかにブライトの方だった。そしてコルヴォはまだそれを出してこないが、確実にジュリウスの関与を裏付ける証拠を持っているとブライトは睨んでいた。使うタイミングを見極められていると、ブライトは感じ取っていた。
そしてブライトの予想通り、コルヴォは王命の記された書状を持っていた。これをブライトが王に背くような決定的な発言をした際に突きつけて糾弾すれば、彼はそれ以上口出しすることが出来ない。
「しかし動きそうにないですね。これは私の策が見破られていると見た方がいいでしょう。ならば次の一手です」
思考を巡らせたコルヴォは、自らの正当性を訴える作戦をあっさりと捨てた。直接ブライトが出てきた時点で、彼の行動が時間稼ぎであることはすでに見抜いていた。相手に時間を与えてはならない。先んじて行動することで得られた優勢を維持するためにも、一つの策に固執することは愚の骨頂であるとコルヴォは知っていた。
「…まあいいでしょう。確かにあなたには陛下にこのことを説明する義務がある。そちらの沙汰を下すのは私ではありません。しかし疑いがあればこれを調査するのが私の使命、そのように陛下から仰せつかっておりますので」
コルヴォは王命の使い所を、ブライトを牽制することから、強制調査の口実に変更した。これでブライトを黙らせて排除することは叶わなくなったが、ひとまずロゴス羅針宮の調査を拒否出来なくさせた。
王命に従い、捜索している人物の反応があった場所を確認させてほしいというコルヴォの要求は真っ当なものであった。これを拒めば、疑いを強めるどころか肯定していると取られても仕方がない。
ロゴス羅針宮は特殊な場所である。国の機密に関わる研究も多く行われていて、そこに調査の手が入るということは一大事であった。国王でさえ手を出すには相当な理由が必要であり、ブライトはそのことを計算に入れた上でシズナを受け入れていた。
しかしコルヴォはそんなことを気にしないどころか、元より狙いを定めていた節さえあった。シズナを絶対に追い詰めるという狂気の覚悟の前に、ブライトは屈するしかなかった。
「徹底的に捜索しなさい。確実に言無しの魔女はここに居ます」
コルヴォの号令でロゴス羅針宮の調査は始まった。あらゆる棚をひっくり返し、貴重な資料を足蹴にした。設備の破壊も厭わず、人を隠せそうな場所は次々に瓦礫の山を積み上げていった。
ブライトには厳重な監視がなされ、身動きも口出しも出来ないようにした。コルヴォはロゴス羅針宮のすべてを破壊してでも、シズナを見つけるつもりであった。
シズナはブライトから事前に、何かあった時にはここに隠れるようにと伝えられていた場所に身を隠していた。暗く狭い空間の中では、自分の心臓の鼓動がやけに大きな音に聞こえてきて、じりじりと焦らせてきた。募る不安に震える手をギュッと握り込むと、唐突に人の悲鳴が聞こえてきた。
「あが…っ!ぐぅぅ!」
「大げさですねえ、爪の一枚剥がされた程度で。しかしこれで分かったでしょう?隠し立てしているとこうなりますよ」
悲鳴を上げたのは研究員の一人であった。コルヴォは研究員たちを一所に集めると、手ずから尋問を行っていた。その手法は、自らの嗜好の一つ、拷問である。
「さ、もう一度聞きますよ。言無しの魔女はどこですか?」
「貴様…ッ!こんな非人道的なことが…」
二枚の爪が血と共に宙に飛んだ。痛みに悶絶する研究員は、脂汗を垂らしながらうずくまる。それを見ていた他の研究員が、パニックから過呼吸を起こしてしまった。
「おやどうかしましたか?まだあなたには何もしていないのに、変ですねえ。それとも何か思い当たることがあるのでしょうか」
過呼吸に苦しむ研究員は、それでも懸命に頭を振った。しかしその何も知らないという意思表示は、この状況に愉悦を覚えるコルヴォを悪い方向に煽るだけであった。
「がぽっ!!がっ!!」
コルヴォが呪文を唱えて杖を振ると、突然研究員の頭をすっぽりと水が覆った。元々呼吸が乱れていたところに、息をすることも出来ない水中に捕らわれたことで更にパニックに陥る。そしてコルヴォは、研究員が窒息で気絶しない絶妙なタイミングで魔法を解いた。
「苦しいですか?苦しいですよね?ええ、ええ、分かりますよ、その苦しみ。さあ思い切り息を吸いなさい。今しか吸える時はないかもしれませんよ」
追い打ちをかけるコルヴォの言葉に、研究員は小さく悲鳴を上げてから失神した。これ以上は心が耐えられなかった。爪を剥がされた研究員も、いまだにうずくまって苦痛のうめき声を上げている。それを目の当たりにした研究員たちの間に、恐怖が勢いよく伝播していくのは無理からぬことであった。
泣きじゃくるもの、失禁するもの、パニックを起こすもの、地獄の様相を呈してきたことにコルヴォは恍惚の笑みを浮かべていた。その狂った姿を見て、とうとう一人の研究員の心が折れた。すべてを白状するから、もう何もしないでくれ。そう懇願するつもりであった。
しかし、その必要はなくなった。愉悦するコルヴォの前に、ある人物が現れた。その顔を見て、笑みは邪悪さを増した。
「やはり居ましたね!言無しの魔女!!キヒッ!キヒヒッ!!ヒハハハハッッ!!!」
それはコルヴォの蛮行に激怒したシズナであった。素早く手印を結ぶと、尋問されていた研究員たちが全員その場から姿を消した。彼女が転移魔法で、安全な場所に移動させたのだ。
そしてシズナは、もう一度手印を結んだ。するとコルヴォの目の前に、うず高く積まれた死体の山が出現した。それらはすべて、コルヴォが率いていた隊員たちのものであった。
「いいですねぇっ!!素晴らしいです言無しの魔女っ!!殺してしまいましたか!!キヒッ!ヒヒヒッ!そうですかそうですか!!」
隊員たちの死体を前にしても、コルヴォの態度は微塵も変化しなかった。むしろ更にテンションが上がっていき、魔法で隊員の死体をバラバラに引き裂いた。飛び散った血肉が、互いの全身をどろりと汚した。
「キヒヒッ!言無しの魔女。お前は隠していたようだが私には分かっていた。お前の底にあるのは苛烈な闘争本能だ。世を憎む殺意だ。すべてを破壊したいという欲求だ。私がこうなるように仕向けてやったとはいえ、これは期待以上の反応で嬉しいですよ!!」
コルヴォは歓喜しながら杖をシズナに向けた。そして叫ぶ。
「元より私はお前を捕らえるつもりなんて無かった!!私が望んだのは、この手でお前を殺すことですよ!!もはや殺されても仕方のない名分をお前が作った!!準備した甲斐がありました!!」
ひとしきり叫び終わった後、コルヴォの表情はすっと冷静なものに変わった。その目はとても冷徹で、どす黒い覚悟をもっていた。
「来いよ欠陥品。舐めた真似した落とし前はきっちりつけてやる」
こうして二人の戦いは始まってしまった。




