暗躍する不和
シズナが魔法の力を失ったことでマナの痕跡も追えず、かつ魔守りの里に入ってしまったことで、コルヴォの追跡の手は完全に止まってしまっていた。
隊長として隊を預かる身であるコルヴォだが、成果が上がっていないことに焦りを覚えてはいなかった。むしろ一度隊を離れ、執行部特別実働部隊の鴉に復職して、通常の職務に当たっていた。
勿論これはジュリウスから直々に許可をもらっての行動であった。幹部の一人を欠いていた鴉としては、コルヴォから引き継いだ仕事をもう一度自分に担当させることが出来るので、人手不足という観点から比較的好意的に受け入れられていた。
しかしコルヴォが自分の都合だけを優先して鴉を離脱したのは変えようのない事実なので、元々なかった人望が更に地に落ちていた。当の本人は涼しげで何事もなく仕事をしているが、それでも彼と少しは交友があったジェイは気まずさが増していた。
「おいコルヴォ。これ、頼まれてた資料」
「おやジェイさん。ありがとうございます」
ジェイから渡された資料をニタニタとした特徴的な笑みで受け取るコルヴォ。しかし彼の顔にはまだ傷跡を隠す大きめの眼帯が付けられていた。それは笑みに対する苛立ちよりも、痛々しさが勝ってしまう。
「お前それ、やっぱどうにもなんねェの?」
「それとは?」
「いや顔の傷のことだよ」
「ああこれのことですか。無理ですね、どうにもなりません。症状をより詳しく研究をすればなんとかなるかもしれないとは言われましたが、拒否しました」
はつらつとそう語る様子が不気味で、ジェイはますますコルヴォのことが分からなくなってきた。そして追い打ちをかけるように彼は言葉を続けた。
「というか治せると言われても治しませんよ。この傷は記念です。ほら、競技で勝った時に貰うトロフィーってあるでしょう?あれと一緒です。これを消すなんてとんでもない」
「おいおい、俺はお前のことをおかしな奴だとは思っていたが、おかしい奴だとは思わなかった。そりゃあ立派に戦って負傷した怪我なら勲章にもなるかもしれねェけど、そいつはお前にとって、どちらかというと不名誉な負傷だろ?それをトロフィー扱いはいよいよどうかしてるぜ」
呆れるジェイの言葉は的を得ていた。実際、コルヴォを知る者たちはその負傷の様子を見る度、ある者はひそひそと声を潜めて憐れみ、ある者は本人の預かり知らない場所で嘲笑した。
この時、誰一人としてコルヴォに情を寄せるような発言をしなかったことも特徴的である。それは彼がいかに組織において支持をされていないかを如実に表していた。能力が高く仕事は出来ても、苛烈で悪趣味極まる性格が著しく評価を落としていることが要因である。
コルヴォ自身はそのようなことを歯牙にもかけないが、共に働く者からするといい迷惑であった。特に彼に対してそこまで不寛容ではなく、組織内の人間関係の調整役を買って出ているジェイからすると、得体のしれない不気味さをわざわざ自分からアピールすることもないと考えるのは当然のことだった。
「ジェイさん、私のことをおかしな奴と評するのはあなたくらいですよ。私への評価で一致しているのは後者でしょう?私としても、それを否定出来る材料はありませんよ」
「だからといって進んでそうなる必要もないだろ。別にまともな思考が出来ないって訳じゃねェんだ。少しくらい自分の評判の天秤を、好意的な方へ傾けたって構わないんじゃないのか?」
「遠慮しておきます。あなたのおっしゃる天秤は壊れていて、一度として正しい釣り合いを取ることはありませんから」
では失礼します。そう一言置いてコルヴォは立ち去っていってしまった。その背を見送ったジェイは、やっぱりまともなことも言えるじゃないかと、呆れ顔でため息をついた。
コルヴォからの頼まれごとを済ませたジェイは、自らの職務に戻ろうとした。しかし小声で「おい」と何度も呼ばれていることに気が付き、首を振って声の出どころを探った。
「ジェイ!こっちだこっち!」
「何だセリカか」
「シーッ!静かにしろ馬鹿者!コルヴォの地獄耳に届いたらどうする!」
小声でいきり立つセリカがジェイを手招きで呼び寄せた。コルヴォが立ち去るのを待つなど小賢しい真似をすると思ったが、ジェイは彼女に合わせて声を潜めた。
「あのなァ、地獄耳は流石に言いがかりが過ぎると思うぞ。確かに耳が早い奴だけどさァ」
「お前は知らんからそう言えるんだ!この前コルヴォのいない所で悪口を言ったら、私は次の日に散々皮肉で詰められたんだぞ!」
鴉のリーダー、レイヴァンを崇拝しているセリカは、協調性がなく独断で行動することが多いコルヴォとは絶望的に反りが合わない。なので先の発言のようなことは、例えコルヴォの耳に入らなくとも起こり得ることだったが、それを説明したところで勝手な理屈をつけられるだろうとジェイは諦めた。
「で?悪ィんだけど、陰口の懺悔に付き合う暇はないぞ」
「馬鹿者!懺悔などするものか。私の悪口は正当性のある悪口だ。謝りも悔いもするものか!」
「だったらもういいか?俺もお前も仕事中だってことは忘れないようにしないとな」
「そ、それはそうだけど…」
もごもごと口ごもるセリカの様子を見たジェイは、コルヴォに対する不満以上に何か言いたげであることを察した。我ながらお人好しが過ぎるなと自嘲しながら、彼はもう一度席についた。
「相談したいことがあるなら素直にそう言ってくれ。陰口に付き合うつもりはねェけど、そういうことじゃァないんだろ?」
「あ、ああ、まあな。なあジェイ、私は確かにコルヴォのことが心底好かないが、最近は殊更に腹の底が読めない奴になった。元々不気味な奴だったが、今はもっと不気味だ。ずーっと言無しの魔女に固執していたかと思っていたら、今度はまるでそんなこと無かったかのように振る舞っている。鴉は正式に言無しの魔女から手を引いたというのに、奴はどうしてかまたここに戻ってきた。おかしいとは思わないのか?」
その疑念はそっくりそのままジェイも持ち合わせているものであった。とはいえ彼は、一度としてコルヴォの真意を理解出来たことがない。だからこの問いは答えが出ないものでもあった。
「おかしいのはおかしいと、俺も思うけどよォ…」
「どうしてレイヴァン様はコルヴォを野放しにされるのだろう。復職の話だって、虫がいい話ではないか」
実はその意見は二人の間だけにとどまらず、執行部全体に蔓延しているものであった。幹部の勝手を許し続けるレイヴァンの態度は、決してリーダーとして褒められたものではない。
つまるところセリカが本当に言いたいところはコルヴォに対する文句ではなく、組織内に生じたレイヴァンの資質を疑う空気を憂慮していることであった。そして彼を崇拝しているセリカには、直接伺いを立てることは不可能であった。
「…俺ァこれからリーダーのとこに書類を提出しにいくとこだったんだ。遅れると怒られるからな《《もういいか》》?」
「っ!ああ!よろしく頼む!」
発言の意図を汲み取ったセリカはパッと表情を明るくさせた。自分が代理で真意を問うてくると、ジェイは言外に彼女へそう伝えたのだった。
「失礼します」
入室を許可されたジェイがレイヴァンと対峙した。執行部部長の彼には特別に一室が与えられている。
「…どうしてだろうな」
「は?」
「本当にただの直感だが、どうしてかそろそろお前が来る頃だと思っていた。不思議なものだな」
レイヴァンの発言を聞いて、ジェイは彼が執行部の不和を把握していて、それを問題視していることに感づいた。なので余計な前置きは飛ばすことにした。
「部下を咎めるのは上司の役目だと思いますが、そうも出来ない理由があるんですね?」
「その察しの良さには本当に感服する。情けない話だがそういうことだ。圧力はカント・レギウム国王から直々にかけられている」
本来例え国王であっても、魔導監察庁の任務に口出しをする権限はない。むしろ内環諸国の諸王たちはみな魔法使いや魔女であり、例外なく執行部の監査の対象でもあった。
越権行為でありながら、そのことを黙らせるだけの権力が国王ジュリウスに存在する。ジェイは不快感を露わにしたが、もっと忸怩たる思いでいるのはレイヴァンである。自分が敢えて言うまでもないと、ジェイは言葉を飲み込んだ。
「コルヴォは自由にさせる。それが私の決定だ。そして私の決定は執行部の決定である。不満があるならば私を解任するがいい。今なら蔓延する不平不満をかき集めれば、それも無理な話でもないだろう」
「…敢えてハズレのくじを引かされることほど腹立たしいこともないでしょう。それでも引くと決めたのなら、我々にはリーダーが引くハズレくじを当たりに変えるような努力が必要でしょう。矢面に立たず、文句だけ言っていればいいことのなんて幸せなことか。俺ァ極力自分が楽を出来ればいい。皆にもそう伝えときます」
「そうか。くれぐれも風紀を乱すことだけはないようにな」
「はい。では失礼しました」
ジェイは退出すると、レイヴァンの気苦労を忍ぶと同時に、鴉が置かれている立場の危うさにも憂慮した。そしてコルヴォが、もしかすると私欲のために鴉を内部から食い破ろうとしているのではないかと思い至った。
「考えすぎだな」
その呟きは自らに言い聞かせるものだった。何の保障もない、無意味なものであった。しかしそう願って出たのかもしれない。そんな迷いも頭を振ってかき消した。




