人と魔を分かつのは その2
『師匠、本当にテオくんを任せていいんですよね?』
シズナはまだまだ眠そうにして大あくびをするアルベールに、何度も何度もそう確認をした。アルベールはその度に面倒くさそうにシズナを手で追い払う仕草をした。
「大丈夫って言ってんだろうが。俺様はお前の師匠だぞ、お前よりよほど上手に教えてやれるっての。いいからシズナは、さっさと魔法を使えるようになって戻って来い。ハワード爺さんなら何かしら方法を見つけるさ」
もう一度大あくびをする師匠の姿を見て、シズナをいい知れぬ不安に駆られた。しかし問題にするべきはアルベールの指導力ではなく、今のシズナの状態であった。むしろそちらの方がよほど深刻と言えた。
「お前も弟子を信じるってことを覚えた方がいい。俺様だってそうしてるぞ」
『…』
「何だその目は、疑うのか?師匠を。ん?」
こくりと頷いたシズナを見て、アルベールはため息をついた。しかし一つ咳払いをすると、ピリッと周囲の空気が変わったことをシズナは肌で感じた。
「まあ、心配なのは分かる。だが安心しろ、悪いようにはしない。これは俺様なりの本気の言葉だ。つべこべ言わず一度俺様にあいつを預けろ。分かったか?」
『…はい。テオくんをよろしくお願いします』
「ん、任された。ほれ、行って来い」
もう一度追い払うように手を振った後、バタンと扉が閉められた。シズナは拭えぬ不安を抱えながら、テオをアルベールに託すしかなかった。
ハワードの元を訪れたシズナは、一通りの事情を説明した。
「何ぃ?彼奴が自分から教えると言い出したじゃと?」
『はい』
「ううむ…し、心配じゃ…。アルベールの奴、無茶をさせねばよいが…。大体儂は彼奴がシズナを連れてきた時も保護に賛成したのであって、魔女にするなどと言い出した時は本当に…ッ!」
そこまで言ってハワードは止まった。話が脱線しかけたのを、自ら軌道修正した。
「ゴホンッ!…アルベールは無茶苦茶な奴ではあるが、決して浅慮な奴ではない。ここは一つ、任せてみるものよかろう。儂らは続きの知識を借りに行くとしよう」
『ご負担おかけしますが、よろしくお願いします』
「うむ。では参るか」
ハワードはシズナを連れ立って、もう一度識の揺籃へと向かった。
世界樹から近い。ただそれだけの理由で過酷な生活を強いられる内環諸国の人々は、日々出現する強力な魔物に対してなすすべがなく、大規模な生活拠点を築けずにいた。
魔物に対する抵抗手段もまだ乏しかった時代、強力な魔物が出現した場合戦うのではなく、逃げるのが一番賢い選択だった。しかしそれでも逃げ切れるとは限らない。時には他者の犠牲を強いてでも逃げるしかなかった。
拠点を作っては壊されの繰り返しを耐え忍び、それでも内環諸国の人々は懸命に生き残っていた。そしてある時、場所は別々であったが同じ日に生まれた四人の赤子に、待望の素質が宿った。
生まれついての魔観の持ち主であった赤子は、それぞれ味覚、視覚、聴覚、嗅覚で見えざるマナの存在を感じ取ることが出来た。内環諸国の人々は、この時初めて人がマナを知覚出来る可能性があることを知った。
子どもを実験動物のように扱うべきではないという考えは、内環諸国内で一貫したものだった。しかし次代に生まれてくる子らを思うと、この千載一遇の機会をみすみす見逃すことも出来なかった。大人たちは心を鬼にして倫理を無視することに決めた。
かと言ってその特別な四人が虐待まがいの実験を受けた訳ではなかった。むしろ扱いは非常に慎重であった。それもそのはずで、内環諸国にとってこの子らこそ希望であり、絶対に死なせてはいけないと分かっていた。
そしてまた四人の子らも、まるで自分たちの使命を知るかのように協力的であった。積極的に実験に取り組み、魔観の究明に尽力した。それは解明する側としては非常に好都合ではあったが、子らにも特有の事情があった。
自らは至って普通に感じ取れるものを、他の人は感じられない。四人の子らは特別な力を持つあまり、孤独であった。共感が得られないことが何より苦痛であったのだ。
周りの人々にも、自分たちと同じ世界を見てもらいたい。しかしどんな言葉を尽くしたところで、その子たち以外の人々はマナを実感することが出来ない。理解されない孤独感は筆舌に尽くしがたい。
内環諸国内で何とか情報共有がなされ、ついに四人の子が一堂に会した時にはみな青年となっていた。魔観の研究はまだまだ発展途中であったが、ようやく真に理解し合える同士と出会ったことがきっかけとなり、魔観の研究は急速に進み、そのまま完成するに至った。この功績を称えられ、青年たちは尊敬の念を込められ運命の子と呼ばれるようになった。
ハワードは一度言葉を切って一息ついた。
「魔観の完成は魔法を大きく進歩させた。それまでただ《《ある》》ということだけしか分からなかったものが、運命の子らだけが感じられなかったものが、他者にも与えられたのだ。それは内環諸国の人々に起こった奇跡じゃった。しかし運命の子らがもたらした奇跡が、どんな結末を迎えるのかを当時の人々はまだ誰も知らなかったのじゃ」
『魔観がもたらしたものは良いものだけではなかったと?』
「シズナよ、この世は一概に良い悪いで分けられるものはない。どんな些細なことでも、いつの間にどちらかに影響を与え合うものじゃ。しかし敢えて言うのなら、確かにお主の言う通りじゃな。この出来事は奇跡でもあり悲劇の始まりでもあった」
魔法を成立させるためには欠かせない魔観の完成。ついに互いを真に理解し合える運命の子の邂逅。内環諸国に魔法をもたらすことに不可欠な要素は、そのまま不穏を呼ぶことにもなった。
マナの観測がなされたことで、魔法の研究は加速度的に進む。その最前線に立っていたのは、他でもない魔観を完成させた運命の子たちであった。
運命の子たちの間に築かれた絆は固く、四人の間では活発な研究と意見交換が行われていた。元よりマナを感じて育った四人は、次々に魔法の基礎となる理論を作り上げ、現在の魔法に近いものを確立させた。しかしこれにはある致命的な欠陥があった。
あまりにも運命の子たちの絆が強くなりすぎたのだ。常に孤独を感じて育った子どもたちが青年となって出会い、同じ目的をもって研究に取り組む。それは幼少期の思い出が、ほぼ実験の思い出しかない運命の子たちの友好を深めることに大変に寄与した。
その結果引き起こされたのは、研究結果と情報の隠匿であった。運命の子たちの研究は次第に四人だけで進められるようになり、元々の素質の高さも相まって、運命の子たちは高度な魔法の技術と知識を次々に作り上げたが、それはすべて運命の子らで占有された。
運命の子たちが何故そのようなことをしたのか、ついぞその考えが他者に明かされることはなかった。運命の子たちは身内内で魔法の研究を進めるほど、より他者との関わり合いを避け、最終的には完全に断絶してしまった。
魔法学の進歩には欠かせない人物たちであったため、内環諸国の人々にとって、運命の子との関わりを絶たれた時の損失は計り知れないものがあった。だが同時に、魔観さえあれば時間こそかかるものの、運命の子の協力なくしても魔法は後々実現可能でもあった。精神的な動揺は隠せなかったが、大局を見ると魔法学の発展に遅れが見られる程度のものであると、当時の認識はその程度のものであった。
運命の子を孤独にしてしまった間違いとその弊害が現れたのは、実際に大事件が起こってからのことになる。
ある日、それは唐突に始まった。魔法学の最先端研究施設が襲撃され、壊滅した。数多くの犠牲者を出し、うず高く積まれた屍の上に立っていたのは、襲撃犯である四人の青年だった。
それを行ったのは言うまでもなく運命の子たちであった。たったの四人で万単位に及ぶ犠牲者を出した運命の子らによる反乱は「魔人の乱」と呼ばれ、魔法学の歴史の汚点としてその詳細な記録を封じると定められた。
運命の子たちが用いる魔法には、その後に開発された魔法とは全く異なる個性を持ち合わせていた。皮肉にもその時の経験が、魔法学を大きく発展させることになるなど、人々は想像もしていなかった。
運命の子らに、呪文の詠唱による魔法の構築式は必要なかった。念ずるがままに火を降らせ、激流を生み、大地を割り、荒ぶ風を操った。それはまさに奇跡と呼ぶ他ない圧倒的な光景であったが、その奇跡が、多くの人々を死に至らしめることになった。
シズナはハワードの語りを無理やり止めた。トランス状態に陥っていたハワードを我に返させるためである。
『ハワード様、一度座りましょう』
ハワードの白目は血で真っ赤に染まっていた。耳と鼻から血が流れ、それをシズナが拭き取った。急激な疲労感に襲われたハワードは、急いで本を手放した。
「いかんいかん、記録に侵食されかけておったわ。助かったぞシズナ」
『大丈夫ですか?』
「うむ、暫し休めば大事ない。識の揺籃に溶け込む知識の中には、それを残した者たちの感情も含まれておってな。それがこうして目に見えるかたちで影響を与えることもある。しかし一時的なものじゃ。今回は記録が記録だけに、流石の儂も飲み込まれてしまったようじゃ」
『…ハワード様、私がその役目を代わります。元々これは私の問題です。ハワード様にこれ以上ご負担をかけるのは忍びないです』
自分のために傷つく姿を見たくないと、シズナはそう申し出た。しかしハワードは、それを明確に拒否した。
「駄目じゃ。シズナであろうとも、ここの知識を他の誰かに委ねることは出来ぬ。お主を信じていない訳ではない。それは決して破ってはならぬ識の揺籃の禁なのじゃ。時間がかかることはすまなく思うが、最後まで儂がやる。よいな?」
険しいハワードの表情と強い意志の込められた眼差しに、シズナはもうそれ以上の要求が出来なくなった。大人しく従うしかない。シズナはそれを受け入れて頷く他なかった。




