師匠の意外な一面
魔守りの里にたどり着いたシズナとテオの前に、突然一人の女性が姿を現した。何もなかった場所から急に姿を見せたので、テオは大層驚いた。逆にシズナはまったく動じていなかった。
それは整った目鼻立ちの美しい女性で、キリッと整えられた眉がいかにも気の強そうな印象を与えた。濃いはちみつのような琥珀色の艷やかで絹の如き長髪は、陽の光を反射させ美しく輝いている。その女性の容姿も、魔守りの里に負けず劣らず神秘的であった。
「あれ?里で妙な気配がしたから慌てて来たけど、誰かと思ったらシズナじゃん!久しぶりね、元気にしてた?」
『久しぶり、メグ。お陰様で何とかね』
「そっかそっか!いやー元気なのが一番だね!アハハッ!!」
シズナからメグと呼ばれた女性は、親しげにシズナの肩をパシパシと叩いてから組んだ。それはとても仲睦まじい様子ではあったのだが、テオは一度もメグと自分の目が合っていないことが気になっていた。メグはテオに一瞥もくれなかった。まるで居ないものとして扱うかのようであった。
「いやいや、こうしてまたシズナに会えたことは本当に嬉しいよ。だけどさ、ここがどんな場所かは分かってるよね?シズナ」
それは一瞬の出来事であった。いつの間にかメグの手には槍が握られており、その穂先がテオの喉元で寸止めされた。テオには構える所も、槍を突き出す瞬間も見えなかった。
朗らかな雰囲気から一転して、メグは背筋が凍りつくような鋭い殺気を放ってみせた。メグの行動に、テオはなすすべなく両手を上げるしかなかった。
「例えシズナの同行者でも、あたしはそう簡単に通してやることは出来ないんだよ。それが分からないあんたじゃないはずだ。この小僧をどうしてここに連れてきたんだ?シズナ」
テオは声を発することが出来なかった。喋れば即座に槍が喉に貫く、そんな未来しかイメージすることが出来なかった。それだけの殺気と威圧感をメグは放っていた。
『メグ、彼はテオくん。魔法使いになることを夢見る、私の弟子だよ』
しかしそんな剣呑な雰囲気とは裏腹に、シズナは冷静にそう伝えて柔和な笑顔を見せた。それを見て、メグは驚きつつも槍を引っ込めた。
「弟子ぃ!?あんたが弟子を取ったっての!?全然信じられないんだけど…」
『でも本当だよ。テオくん、メグに自己紹介をして』
ようやく死の恐怖から解放されたテオは、背中にびっしょりと冷や汗をかきながら、何とか呼吸を整えて話し始めた。
「は、はじめまして、俺はテオです。ドラン村の出身で、お師さ…シズナさんの元で魔法の勉強をさせてもらっています」
「…驚いた。あんた手話が分かるのか。シズナが嘘つく訳ないし、マジな話だったんだ」
槍を収め、すっかり敵意と警戒心を解いたメグ。その次の瞬間、バチィンと大きな平手打ちの音が響いた。シズナがメグの頬を叩いたのだ。
「痛ァッ!!何すんだよシズナ!!」
『テオくん、本当にごめんね。怪我はない?』
「え、ええ。俺は大丈夫ですけど…」
抗議の声を上げるメグを完全に無視して、シズナはテオに駆け寄った。急展開に頭がついてこないテオは、たどたどしく返事をすることしか出来なかった。
「おいシズナ!!テメエふざけんなよ!!」
『ふざけてるのはそっちでしょ!?客人かどうかの見分けもつかないなら、守り人を辞めたら!?』
「んなこと言われずとも見分けはついてたよ!そっちこそ、あたしがマジでやってるって思ってたのか馬鹿!守り人の形式ってモンがあんだよ!」
『本気じゃなくても、やっていいことと悪いことがある!私が考えなしでここへ誰かを連れて来るはずないでしょ!そんなことも分かんない!?』
今度はシズナとメグの二人が、テオのことはそっちのけで喧嘩を始めてしまった。手話と口パクだけでも、シズナの剣幕は凄まじいものであった。また、シズナが誰かと喧嘩をする姿をテオは初めて見た。
呆気にとられていたテオだったが、不意に背後から何者かの気配がした。そのまま急に現れてテオの横を通り過ぎた老年の男性は、いつの間にか取っ組み合いの喧嘩に発展していたシズナとメグの元に向かうと、二人にげんこつを食らわせた。
「やめんかみっともない。メグ。お前最近守り人の仕事がまったくないから、わざと大げさに仕掛けてからかいおったな?魂胆が透けて見えるのじゃ、未熟者め」
「ゔっ…」
「シズナ、久しぶりに顔を見せたと思ったらこの体たらく。言無しの魔女の名が聞いて呆れるわ。弟子を取ったのなら、少しは師匠らしくしてみせんか」
老年の男性に説教をされ、シズナもメグもしゅんとして黙り込んだ。テオはあの混沌とした状況を一瞬で鎮めたことに感心していると、男性がテオに向き直った。
「テオと言ったな少年。儂はハワード、この里の長を務めておる。未熟者どもの不甲斐ないざまを見せてしまってすまなかった。里を見て、色々と驚いたこともあっただろう、ひとまず儂の家においでなさい」
ハワードはテオの肩に優しく手を置き微笑んだ。それはどうしてかどこか懐かしいものを感じた。心当たりを探ると、亡き両親や優しく見送ってくれたドラン村の人々のことを思い出した。それと同時に、テオの胸中には強烈な郷愁の念が押し寄せた。
シズナとテオの二人はハワードの家に通された。メグはお茶を淹れるようにとハワードから申し付けられ、ぶつぶつと文句を言いながら台所へと向かった。
「まったく、口答えばかり達者になって困る。まあ儂も常に守り人たれと願っている訳でもないが…。っと、これは客人には関係ない話だったな、すまん。さてシズナよ、お主何があった?どうして魔法が使えなくなったんだ」
テオはハワードの突然の発言に驚いた。シズナは魔守りの里を訪れてから、そのことについて一言も言及していない。それなのに何故分かるのかと、テオはシズナの顔を伺った。
しかしシズナの方はさも当然という様子であった。見抜かれることが分かっていたかのようで、そのまま手話で自らの状態を伝え始めた。
『はっきりとした理由はまだ分かりません。ただ気になる現象を体験しました。私が魔法を使えなくなったのはそれからです』
「気になる現象とな?それは何かね」
『手印を用いずに魔法が発動したんです。その時は激しい怒りに思考を奪われ、ほぼ無意識だったと思います。ハワード様、このことに何か心当たりはありませんか?』
シズナの説明を受けたハワードは、表情は崩さなかったがぴくりと眉を動かして反応した。そして部屋の空気が徐々に和やかな雰囲気から、ぴりっとした緊張感の張り詰めたものになり、ハワードの柔和な笑顔の奥には、何か深刻さが見え隠れしていた。
「…そうだな、ひとまず儂はテオのことも気になる。シズナ、できるだけ詳しく先程の説明を続けなさい。テオ、シズナと旅をすることになった経緯と、彼女の話を君なりに補佐しなさい、出来るね?」
「あっ、は、はいっ!分かりました」
それから二人は、それぞれのこれまでの旅路の経験を踏まえて、ハワードに説明をした。途中からメグも参加して共に話に聞き入り、二人が話し終える頃には、客人に淹れてきたはずのお茶をすべてメグが飲み干していた。
「ふーん、なるほどねえ。そんなことがあったんだなあ」
「たわけっ!」
「あだッ!!」
またしてもごつんとハワードからげんこつを食らったメグは、涙目になりながら抗議した。
「何だよ爺ちゃん!!」
「客のために用意させたお茶をお前が全部飲んでどうする!さっさと入れ直してこんか!」
「ぐぬぬ…いつもいつも、げんこつから説教を始めやがって、クソジジイ…!」
至極真っ当な叱りを受けても、メグは引かなかった。その反抗的な態度に火がついたハワードの説教が始まってしまったので、隙を見計らってテオはシズナの耳元に顔を寄せた。
「お師さん。メグさんがハワード様を爺ちゃんと呼ぶということは、ハワード様とメグさんって―」
『そう。祖父と孫の関係。ハワード様の家系は里長を務めるだけじゃなく、代々この里を外敵から守る戦闘力を持つ守り人になる定めなの。守り人の任を退いた人が里長になって、次代の守り人を選ぶという仕組みになっているんだよ』
「じゃあメグさんは次期里長ということですか?」
『うん。メグはああ見えて、白兵戦の才能がずば抜けてるからね。守り人としての能力は十分に備えてるんだよ。里長としてはどうかと思うけどね。短絡的で態度も悪いし』
シズナがここまで他者に明確な文句をつけるのは本当に珍しいことだった。しかしそれはまるで本気のものではなく、どちらかというと友人に向けた軽口のようなものに、テオは感じられた。
「おいシズナ!今あたしの悪口を言っただろ!?」
『言ってません。私、喋れないから』
「テメッ…!絶妙に文句が付けにくい屁理屈を…ッ!」
もう一度二人が喧嘩を始めてしまう前に、ハワードは目をカッと見開いてぎょろりと二人を交互に睨みつけてから口を開いた。
「ええい!もうよいわ!!シズナ、お主はここに残れ!メグ、お前は先にテオをアルベールの家へ案内しろ!解散!」
パンと叩かれた手の音にシズナとメグはばつが悪そうにそっぽを向いた。そしてメグの「行くぞ」の一言に、テオはその場を後にすることとなった。




