逃避行
とある地方の山奥に、簡易的に建てられた小さな小屋があった。そこで薪を割って貯め置く男の姿がある。かいた汗を拭うのはテオ。そして小屋の中にはシズナの姿もあった。
凡そ人の集落などからは程遠い場所に一時的な拠点を構え、シズナとテオの二人はそこに身を潜めていた。追手から逃れるためである。
シズナは鴉と大立ち回りをしてしまった。逃げ出す際にも痕跡を十分に消すことは叶わず、一刻も早く、少しでも遠く、テオを連れて逃げる必要があった。
そうして逃げ場所に選んだ場所は、テオにとってはある意味慣れ親しんだ環境でもある山奥であった。生い茂った草木が邪魔をし、生活環境を整えるまでに時間と手間がかかったが、二人で隠れ住むには十分な環境を、テオの尽力もあって作ることが出来た。
旅の停滞はシズナの望むところではなかったが、やむを得ない措置であった。シズナは鴉の目的が自分の捕縛にあったということに、重大な懸念をしていた。
例え八賢者であろうとも、魔導監察庁の調査や、場合によっての逮捕を拒むことは出来ない。だがそれも、魔導監察庁側に正当な理由があって初めて成立することである。少なくとも、先の事例のように問答無用で襲いかかってくるなど前代未聞のことだった。
シズナはこれに間違いなく、実の父カント・レギウム国王ジュリウスの息がかかっていると考えた。自らを以前より執拗に追っているのはジュリウスであったからだ。実際は鴉の襲撃はジュリウスが直接命令を下したものではないのだが、遠く離れた地にいるシズナに、それを知る由もなかった。
父の追手であろう鴉の襲撃。これは旅の足を止めるのに十分な理由であった。しかしシズナは、それ以上に旅の足を止めざるを得ない深刻な状況に陥っていた。
現在、シズナは魔法を使えなくなっていた。
背負子に薪をいっぱい積み込んだテオは、立ち上がると笑顔でシズナに向き直った。
「ではお師さん。行ってきます!」
『うん、行ってらっしゃいテオくん。気をつけてね』
テオはドラン村でやっていたように、街や村に薪を売りに出ていた。売るのは薪だけではなく、テオが採集した薬草を使ってシズナが調合した薬なども売っていた。どちらも売上は良く、収入は割りと潤沢にあった。
そのついでにテオは、生活に必要な物資の買い出しや、追手が迫っていないかなどの情報収集も行っている。テオの顔も鴉に知られているが、シズナほど重要視はされていない。再び人質に取られる危険性もあったが、それでも生活していくには先立つものが必要であった。その理由はシズナの今の状態にあった。
シズナはお金を含めた旅に必要な物の殆どを、空間魔法で作り出した独自の保管庫に仕舞ってあった。魔法が使えない今、それを取り出すことは出来ない。
暫くはシズナの財力のお陰で節約できたテオの路銀でやりくり出来たが、それもすぐに底をつくことは目に見えていた。稼ぐ以外に道はない。そこでテオの出番であった。
テオは元々、一人で生計を立てていたばかりか、村の財力にまで貢献していた。勿論それはドラン村の魔蓄樹あってのことだったが、それでも市場での商売に関する一通りのノウハウは持ち合わせていた。
自由に木を切り倒す訳にはいかないが、薪を得るくらいの木々の手入れは申し訳なく思いつつも実行していた。明日の命がかかっているので背に腹は代えられない。
幸いなことに、薪と薬はどこでも一定の需要が見込めた。燃料も病気の治癒方法も、人が集まる場所であれば必要になる。質が良ければなおさらだった。その点ではテオに一日の長があった。シズナも、魔女として薬草学の知識は豊富にあったため、専用の道具が使えないことを差し引いても、中々に品質の高い薬を作ることが出来た。
品物さえあれば、テオは磨かれた社交性で大人顔負けの商売が出来る。お陰で二人だけならば隠れて生活することに大きな支障はなかった。山では魔物や野生動物に襲われる危険はあったものの、鴉のような手練の魔法使いたちを相手にするよりは、こちらの方が遥かに与し易い相手であった。
小屋に一人残ったシズナは、自分が出られない分の家事雑事を担っていた。その後に余った時間をすべて使って、魔法を使えなくなった原因と対処法について思案をしていた。
思いつく限りの手法を試したシズナが至った結論は、マナ操作だけならば問題はないが、魔法の発動は出来なくなった。というものだった。つまり、呪文代わりの手話によるマナ操作というシズナ独自の方法が失われた訳ではなかった。
魔法発動の過程は大まかに三つに分けられる。一つは、マナという未知の万能エネルギーを知覚し、それを自らに取り入れるというもの。もう一つは、マナを思い通りの現象や物質に変換するための呪文。そして最後に、変換したマナを世界に出力することで魔法は発動する。
シズナに今欠けているのは、この内の最後の段階、出力である。どれが欠けても特別な例を除いて魔法は発動出来ないのだが、その中でも出力が出来ないことは致命的なことであった。
このことに対して、シズナは思い当たる節があった。それはテオを助ける時に使った魔法である。コルヴォに重傷を負わせたものだ。
あの時のシズナは怒りに我を失っていて無我夢中であった。手を拘束されていたので手印を結ぶことは出来ない。要するに発動に必要な過程を二つを飛ばして魔法を使ったことになる。
そんなことは出来るはずがないし、出来たこともなかった。そもそもその考えにも至らなかったことだ。しかし、あの場では何故か《《出来てしまった》》。それが現状の問題の原因になったと、シズナには自分でも不思議な確信があった。
『原因については恐らく間違いない。だけどあの現象の詳しい理由が分からない。だから解決策も思い浮かばない。…この先どうすればいいの』
シズナの悩みは悲痛なものだった。頭を抱えてうずくまる。暫くはこんなことの繰り返しだった。
魔女が魔法を使えないのは確かに致命的なことではあった。しかし、魔法が使えないことでシズナたちは知らずに命拾いをしていた。それは追手の追跡を完全に絶てたことだ。
ジュリウスから正式にシズナ追跡の任を受けたコルヴォは、一時的に魔導監察庁の執行部から離れ、カント・レギウム国王私兵隊コーダの要人追跡部隊を率いていた。コーダは非公開の組織であり、その存在は秘匿されていた。コーダには鴉に引けを取らない精鋭の魔法使いが数多く集められており、実行している任務は多岐にわたっていた。
コルヴォは早速隊を率いてシズナの追跡を開始したが、シズナのマナの痕跡が途中でぷつりと完全に途切れていたことで、初動から躓いてしまった。しかしよもやその理由が、シズナが魔法使用不可の状態に陥っているなど気づけもしないことで、これは仕方のないことだった。
鴉の方もシズナを追うことには追っていたのだが、こちらは早々に断念していた。そもそもシズナ捕縛の任務は正式にコルヴォ一人が引き継いだため、介入の権限はあっても使う理由が薄く、鴉は通常の任務に戻らなければならなかった。
こうして知らずの内に、二つの強大な組織の追手を躱して完全に身を隠すことにシズナたちは成功していたのだが、その第一波が一応の収束を見せた今もまだシズナが魔法を使えないという状況は、まったく好ましくないものだった。
間違いなくシズナに対しての追手はまた差し向けられる。その時に魔法が使えない状態が続いていれば、今度は手も足も出ずに捕縛されるだろう。それどころか、シズナにはその場で殺されるかもしれないという懸念もあった。テオも無事では済まないことは分かりきったことだった。
有利に働いたこともあれば不利に働くこともある。このまま山にこもりきりという訳にもいかず、シズナは早急に魔法を使用可能な状態に戻る必要があった。二人きりの生活は明るく楽しくて未練が残るものだったが、そろそろ行動に移らなければとシズナはそう考えていた。




