執念深き手負いの鴉
カント・レギウム国王オーディス12世ことジュリウスは、邸宅の窓から見える世界樹を眺めていた。もうすぐ世界樹の花が散り、青々とした葉が茂る繁茂の節がやってくる。
ジュリウスは移りゆく季節に合わせて姿を変えていく世界樹の姿を美しく感じもするが、同時に忌まわしく思うこともあった。あんなものがなければと何度そう思ったか知れない。
従者のエヴァンがお茶を淹れた。座りませんかと声をかけられ、椅子に深く腰を下ろす。ゆっくりとお茶を口に含んで飲み込むと、その上品な香りを目一杯楽しんだ。
「まったく、私の心を癒やすのはこの時間だけだよエヴァン。どいつもこいつも、私の頭を悩ますばかりでちっとも役に立ちはしない」
「それは仕方のないことです。陛下がお背負いになられているのは、我が国の未来だけではなく、もっと大きなものなのですから。私を含めて、他者が矮小にお見えになるのは避けられぬことなのです」
「そいつは心外だな。私はお前を高く評価しているというのに」
「ですが事実です。陛下の目線は高く、そして広く遠くをお見通しにならねばいけません。足元の石ころに目を向けられる時間はないでしょう」
ジュリウスはそれに答えることなく、もう一口お茶を飲んだ。それはエヴァンの言っていることが真実であると、言外に白状しているようなものだった。
「私が気にかかるのは鴉のことです。あの怪我を負ったコルヴォという青年に対しての処置、本当にあれでよろしかったのですか?」
「ん?ああ、あの小僧のことか。まあいいだろう。小僧は大層な事実を握った気でいるだろうが、あれはさして重要なことではない。むしろ使い捨ての走狗にするのが私には都合がいい。それに…」
「それに?」
「いや、これはどうでもいいことだ。気にするな」
「承知いたしました」
エヴァンは言われた通り、それ以上の追及はしなかった。ジュリウスがそれにと続けようとした言葉は、あれも走狗にされることを望んでいる節がある、というものだった。
ジュリウスとコルヴォの邂逅について、話は少し前に遡る。
言無しの魔女シズナの怒りを買い、一生癒えぬ大怪我を負わされたコルヴォ。本来なら復帰も危ぶまれるほどのものだったが、不屈の精神でコルヴォは再び鴉の座に舞い戻った。
コルヴォが復帰することに対して他の幹部たちは、執念深いコルヴォのことだからきっとすぐにでも敗戦の屈辱を雪ぐために動くだろうと考えた。事実、コルヴォはシズナへの復讐心に燃えていた。しかし予想とは裏腹に、コルヴォは突飛で大胆な行動を起こした。
それはカント・レギウムの国王ジュリウスに謁見を願い出たことであった。正当な理由さえあれば、鴉の幹部にはそれに見合う格はあった。しかし立場上は、願い出るとしても鴉の長であるレイヴァンが部下の意向の代弁をする方が望ましかった。
だがコルヴォは、自らが直接お目にかかりたいとの主張を頑として譲らなかった。先の敗戦では、シズナに終始圧倒された鴉であったが、唯一コルヴォだけ、一度はシズナの捕縛にまで至らすことが出来た。
これにはレイヴァンの奮闘が大きく寄与していたが、その隙を突き、的確にシズナの弱点である弟子のテオを人質に取ったのは、間違いなくコルヴォの大手柄である。その功を労うためと、先の負傷で痛々しいまでに落胆していたことを踏まえたレイヴァンの尽力で、謁見は叶うことになった。
コルヴォは謁見に際して前もって書簡をしたためていた。今回の謁見が叶ったのも、ジュリウスがこの書簡に目を通して、コルヴォに興味を持ったことが大きな理由であった。
謁見は国王の執務室で行われた。ジュリウスはお付きの近衛たちをすべて下がらせ、室内にはジュリウス、エヴァン、コルヴォの三人だけという異例の状況となっていた。
「陛下。本日は私のわがままをお聞き入れくださり、心から感謝申し上げます。このようなお見苦しい姿を晒すことをご容赦くださいませ」
復帰は出来たが、コルヴォの頭にはまだ包帯が巻かれていた。傷が癒えないことも理由の一つだが、最たる理由は包帯を取った姿が見苦しいからである。
「よい。申し出は貴殿からだが、呼びつけたのは私だ。そして無駄な世辞を聞く時間もない。貴殿の申したいことを申すがよい」
「では率直に申し上げます。言無しの魔女は陛下の御息女であらせられますね?」
コルヴォの断定的な問いに対して、ジュリウスは無感情なままであった。隣に立つエヴァンも同様だったが、こちらはほんの少しだけ肩が揺れた。常人であれば見逃して然るべき、些細すぎる反応だった。
ただしコルヴォはそれを見逃すことはなかった。よって自らの意見がより確信に近づいた。ジュリウスの方は特に動きもなく、ただ口を開いた。
「どうしてそう考えたのかね?」
「お認めにはなられないのですか?」
「聞いているのは陛下です。答えるのはあなたの方だ、慎みなさい」
エヴァンの指摘にコルヴォは謝罪をして頭を下げた。そして言葉を続ける。
「私は魔導監察庁の執行部、特別実働部隊の鴉に所属しております。主に魔法使いの不正行為などを取り締まっていますが、その主な調査地域は都市部よりも地方が大きな割合を占めております。地方に派遣される魔法使いの殆どが雑草の出。これは致し方なきことかと存じます」
「ふむ。で?」
「私はとある案件の調査に当たった時に、非常に高位な魔法使いの仕業と思われる痕跡を見つけました。取るに足らない違和感ではありましたが、どうにも無視出来ないものでもありました。そこで私は、その痕跡を徹底的に洗うことに決めました」
コルヴォはブロウイムの一件以来、抱き続けてきた疑問の答えを探し求めた。あらゆる地域のどんな些細な情報も見逃さなかった。しかしシズナは巧妙に痕跡を消しており、関与を確信出来るような証拠を掴むことは、実際に相対するまで掴めなかった。
しかしその中で不可解なものを見つけた。自らと同じように、シズナの痕跡を辿る資料が散見されたことだった。報告されている内容は取るに足らないものでも、シズナが自らの関与を隠滅させた地域との被りが見られた。そこが疑念の再出発点であった。
「自分以外にも言無しの魔女の所在を追うものがいると考えた私は、その実行者の背景や裏を探ることにしました。そこからは大した情報を得られませんでしたが、どれも指示の出どころが、カント・レギウムの関係者に繋がることが判明しました」
エヴァンは密かに唾を飲み込んだ。ジュリウスがシズナを探している証拠は、常にジュリウス自らの手で破棄されていた。しかし国王という立場にあるジュリウスに対して、報告は直接届くものばかりではない。どうしても誰か他のものを経由する過程があった。
そのことを踏まえてエヴァンも証拠を消していたが、そのすべてを把握出来る訳ではなかった。しかしそれでも直接ジュリウスに繋がるような証拠は念入りに消し去っていた。コルヴォはそこからこぼれ落ちた些細な情報を執念深くつなぎ合わせ、ジュリウスへの繋がりを見つけ出していた。
常軌を逸した執念深さと狂気じみた洞察力がなければたどり着くはずがない答え。包帯姿も相まって、エヴァンはコルヴォのことを心底気味悪く感じた。
「そこで更に調べを進めると、沢山おられる陛下の御子息御息女の中に、一人だけ所在不明の御方がいらっしゃることに行き着きました。その御方の存在も入念に抹消されておりましたが、人の口に戸を立てることほど難しいことはございません。恐らく夫人の内の誰かから情報が漏れたのでしょう。その子は非常に稀な無声の子という先天的な特殊体質を持った女の子であったと―」
「もうよい」
ジュリウスの言葉が重く響いた。その威圧感はまるで、頭を無理やり押さえつけられているかのような錯覚を覚えるものだった。淡々と話を進めていたコルヴォも、これには流石に冷や汗をかいて初めて表情を崩した。
「そこまで分かっているのなら隠す必要もない。確かに言無しの魔女の二つ名を受けたあの者は、私の実の娘、シズナ・ルノ・ヴェールである。私があれを探させているのも事実だ」
「ッ!陛下!」
慌てた様子を見せたエヴァンのことを、ジュリウスは軽く手で制した。
「しかし敢えて言わせてもらうが、だからどうした。それを私に指摘して、貴殿はどうしたいというのだ」
「…私の言で、陛下のご気分を害されたのなら謝罪いたします。この命をもってしか償えぬのなら、すぐにでも自決いたします。しかしどうかチャンスをお与えくださるのならば、この私に言無しの魔女、シズナ様の追跡の任をお与えいただきたく存じます」
つまるところコルヴォが要求したいことはこれに尽きた。シズナ追跡に自分を使えと要求していた。国王から直接命令が下れば、コルヴォはシズナに専念することが出来るからだ。
だからこそ国王の怒りを買うリスクを犯してまで、自らの調査能力の有能さを示す必要があった。そしてエヴァンとは違い、ジュリウスの方は僅かな記録からここまでのことを暴き出したコルヴォの手腕に感心していた。
「分かった。貴殿の腕を買おう。追って正式に任務を通達をさせる。今日はもう下がれ」
「陛下の寛大なるご判断、痛み入ります。必ずやご期待に沿ってみせます」
コルヴォはこれでシズナを追い続ける大義名分を得た。そしてその真意は、決して国王の元にシズナを届けるというものではなく、味わわされた屈辱を何倍にして返すという目的であり、シズナを生かしておこうなどとは考えてもいなかった。
その結果、自分が死ぬことになっても構いはしない。それがコルヴォの心境だった。いかなる手段を用いても、シズナに自分以上の屈辱と地獄を与えてやる。そのことしかコルヴォの頭にはなかった。




