形勢逆転
シズナと背中合わせのままのテオは、状況を把握するのに精一杯であった。何が起こっているのかまったく分からない。必至に周りを見回して警戒することだけが、今の自分に出来ることであった。
最初は自らの魔観でシズナの手助けが出来ないかと試みてもみた。しかし、いくら敵の使う魔法のマナを探ろうとしても、テオにはその一端も見ることが出来なかった。魔法を習いたてのテオにそれが分かるほど、鴉は甘くない。
シズナには来ると分かっていた連環の縛鎖も、テオの目から見ると、影になっている場所から突然マナの鎖が現れて、シズナが突然それを防いだ。たったそれだけのことしか分かっていなかった。
「お師さんには、一体何が見えているんだ…?」
魔法使いとしての実力の違いは考えるまでもない。テオにとって、これが戦闘になっているのかすら分からなかった。魔法使い同士の戦闘は、起こっていることが高度過ぎた。目を回すだけで自分には何も出来ないのだ。
そして現状、シズナと背中合わせになっているので、意思疎通を図ることもできない。考えや状況を聞くこともできない。テオはただ一人、この戦いで取り残されていた。
一方でシズナは、戦いの流れが変化したのを感じ取っていた。しかし現状はまだ、自分たちに接近していた二人の刺客を無効化しただけだった。先の連環の縛鎖の完成度と、すぐに撤退へ対応を変えたことを鑑みて、敵が戦闘のプロであることは考えるまでもないことだった。
相手がこのまま逃げるならよしとする。シズナの意識はすでにテオを連れた状態で、どう追手を巻くかどうかに変わっていた。そしてこの状況で敵が引くならばと、シズナには敵の次の手が読めていた。
それは足止めだ。敵は負傷した仲間を救うための時間を稼ぎにくる。かすかなマナの流れから自分に向かってくるレイヴァンの位置を特定したシズナは、指先を差し向けて魔弾を放った。それはまだ距離があったにも関わらず、レイヴァンを正確に捉えた。更にとても初歩の魔法の威力ではなかった。シズナの魔弾は着弾と同時に轟音を響かせ爆ぜた。
しかし、対するレイヴァンもさる者であった。シズナの魔弾を最小限のダメージで防ぎ切ると、すぐに反撃へ転じた。
「八属が虚闇。収束、加速し、敵を撃て。穿孔の一矢」
レイヴァンの杖の先から放たれた魔法の矢は、漆黒の残光を空に描きながらシズナの腕に向かった。シズナを無力化させるには手印を結ばせなければいい。だからこその腕狙いだ。レイヴァンの穿孔の一矢はシズナの魔弾に負けず劣らず、威力も精度も非常に高いものであった。
だがシズナは、相手が強者であるほど自分の体のどこを狙ってくるのかを熟知していた。防御魔法、幾何の方盾を発動させる手印を素早く結ぶと、腕を守る正六角形の魔法の盾が出現する。レイヴァンの穿孔の一矢は盾に弾かれ軌道を逸らし、シズナの斜め後方に着弾した。
「これも防ぐか。狙いまで読まれている。本当に手強いな」
『思っていたより威力が高い。逸らすだけで精一杯だ。守っていたら駄目だ、攻めないと』
シズナとレイヴァンの両名は、そう思案する。間合いの離れた一瞬の攻防であったが、それだけで互いの力量を見極めている。そしてこの読み合いをさせるだけで、レイヴァンの目的は達成されたと言ってよかった。
仲間の救出と離脱のみを考えるだけでいいコルヴォ、ジェイ、セリカの三人は、重傷を負ったピカリアとカタクの元にすでに到着していた。命令通りに動くのならば、このまま回収して離脱する。そのはずだった。
「ジェイさん。カタクさんの救出と離脱はあなたに任せます」
「はァ!?」
カタクの救出を任されたコルヴォは、同じく任に当たっているジェイに突然そう告げた。普段はコルヴォがやることや言うことに、ギリギリまで理解を示すジェイであったが、これには流石に怒りの声を上げた。
「馬鹿言うんじゃねェよ!お前リーダーの命令を無視すんのか!」
「落ち着いてください。子どものおつかいじゃあるまいし、カタクさんの救出はジェイさん一人で十分でしょう。それにここで一度引く判断自体は、私も賛同しています。しかし、それでは言無しの魔女に逃げる時間を与えるだけです」
鴉たちにとって、八賢者が一人、言無しの魔女シズナの実力は未知数だった。しかし実戦を主にする鴉と違い、八賢者を選出する条件は戦闘力によらない。シズナがここまで戦い慣れた魔女であることは、コルヴォにも想定外のことだった。
八賢者は飛び抜けて優れた才覚を持つものである。ゆえに攻撃魔法の習熟度合いが高いのは当たり前のことだった。だが知識があることだけが戦闘力の高さには繋がらない。シズナの異色さは《《無詠唱の魔女》》という強烈な個性よりも、何か別のものがあるとコルヴォは考えた。
「今ここで私たち鴉が、ただの一度も言無しの魔女に接触できなければ、必ず後々尾を引くでしょう。だから私に考えがあります。今なら言無しの魔女を揺さぶることが出来る。逆を言えばこれは今しか出来ないことです」
これはコルヴォの直感のようなものであった。しかし、その直感にコルヴォは言い知れぬ自信があった。レイヴァンとジェイを除く鴉の幹部は、コルヴォの性格を嫌ってあまり交流を図りたがらない。
だがジェイは違う。確かにコルヴォにしか思いつきそうにない手がありそうだと分かった。ただし、同時にそれが悪辣なものであろうことも、コルヴォの性格をよく知るジェイには分かっていた。
「―ああ、クソッ!いいか?上手くいかねェって少しでも思ったら即退却だぞ?リーダーの言う通り、ここで鴉の翼をもがれるなんて真似の方がよほど尾を引くんだ。テメェの勝手を見逃す俺にも累が及ぶんだからな!分かったか!」
「流石はジェイさん。あなたなら賢い判断が出来ると信じてましたよ」
「心にもねェこと言うな!行くなら早くしろ」
「ではそうさせてもらいます」
ニタリと笑みを浮かべ、コルヴォはレイヴァンと戦闘中のシズナの元へ飛んでいった。それを見送ってから、ジェイは舌打ちをした。
「ったく。…せめて死ぬなよ、コルヴォ」
十分に聞こえなくなる距離まで離れてから、ジェイはコルヴォを気遣う言葉をかけた。
シズナとレイヴァンが魔法の撃ち合いをしている最中、テオに出来ることはただ終わりを待つのみだった。下手に動けば死ぬ。戦っている様子は見えなくてもそれは分かった。
「せめて様子が、少しでも様子が分かれば…」
叶わぬ願いに焦燥感と無力感だけが募った。それが油断を生むことになるとは、シズナほど戦い慣れていないテオには思いもしなかった。
最初に感じたのは風の流れだった。木の葉の揺れに、舞う砂埃。何かに襲われると分かったのは、それが突如として眼前に迫ってきてからだった。
「おしさ…ッ!!」
お師さんと、いつものようにシズナのことを呼ぶ前に、テオは上空から現れたコルヴォに捕まって連れ去られた。がっちりと関節を固められ、ぴくりとも動くことが出来ない。落ちれば死は免れないであろう高さまで飛び上がると、コルヴォはそこで止まった。
落ちれば死という状況。更にテオの喉元にはナイフの刃が当てられていた。コルヴォはテオの耳元で囁く。
「余計なことをしたら喉を裂いて殺します。以後、私の言うことには絶対服従なさい。いいですね?」
「…」
答えずにいるテオを締め上げる力をコルヴォは強めた。骨が折れる寸前まで止めて、苦痛を与える。うめき声を漏らすテオに、コルヴォは更に続けた。
「彼女を御覧なさい」
コルヴォが指す彼女とはシズナのことだ。レイヴァンとの戦闘の隙を突かれ、コルヴォの接近を許してしまった。テオが拐かされたことに驚き、痛恨の不手際に悔しさと悲しさが混じり合った表情で空を見上げていた。
「悔しいでしょうねえ、あなたを守れなくて。しかしこれは、あなたのような足手まといを連れていた彼女の責任です。私は彼女の脇の甘さを見逃さなかっただけのこと。これはあなたが招いた結果なのですよ」
コルヴォのその言葉は、首に当てられたナイフよりも、鋭くテオの心を抉った。足手まといであること、自分がシズナの弱点にだったこと、共に事実であった。自分に責任があると言われても、否定できる要素がテオには見つからなかった。
「言無しの魔女!私の言うことを聞かなければ小僧を殺します。今あなたが私を落としたとしても、この小僧は落下して死にますよ。いいですね。立場は分かりましたか?」
その要求に、シズナはただ頷く他なかった。それを見てコルヴォが言った。
「リーダー、言無しの魔女を拘束してください。魔法では駄目です。魔法使いとしての力量は、彼女の方が遥かに上だ。同じことの繰り返しになりますよ」
コルヴォは命令違反をして独断で動いた。しかし結果としてシズナの抵抗をやめさせることに成功した。リーダーの立場としてレイヴァンの心中は穏やかではなかったが、魔法の撃ち合いで敵うことはないのは確かだと、シズナを直接押さえた。
「さあて、これでゆっくりと話ができますねえ。形勢逆転だ。小僧一人捕まえるだけでこの結果。無様なものですねえ」
ニタニタと笑うコルヴォはゆっくりと地に下りた。テオの命を握られているシズナは、どうすることもできずにただ睨みつける他なかった。




