つかの間の安らぎ
ようやくわだかまりが解けたシズナとテオ。出発を少し遅らせて、久しぶりに魔法の授業が行われていた。二人は焚き火を挟んで対座する。詠唱と呪文について隠していたことを、ようやくテオに打ち明けることが出来た。だからシズナは、それを授業の題材とした。
『さてテオくん。魔法は特徴ごとの八属性に分けられていることは教えたよね?それぞれの属性を覚えてるかな?』
「はい。火、水、地、風、光、闇、無、空間の八属性です。そして俺は火に適性があります」
『よくできました。魔法を使う時、魔法の種類と目的に合わせて、核となる属性の呪文を選ぶ必要があるんだ。例えば、火の核となる呪文は焦熱だよ』
シズナから教わる内容を書き取りながら聞き進めるテオ。そこでかねてからの疑問を思い出してシズナに質問した。
「お師さん。魔観を習得してから分かるようになったのですが、いつもお師さんが魔法を使う時、手印を結ぶ前にマナの力が高まるのを感じていたんです。お師さんにとって呪文の詠唱の代わりが手話なら、どうしてそれを行う前からマナの反応があるんですか?」
テオの質問に、シズナは『鋭い』と称賛の拍手を送った。褒められたテオは頬を赤らめてぺこぺこと頭を下げた。
『すごくいい質問だよ。じゃあそれを説明するために、魔法を発動させるまでの流れを整理してみよう。ではテオくん、最初に必要なことは何だったかな?』
「確か、魔法に使用するマナを魔観で感じ取ること…ですよね?」
『そう、マナがなければ魔法は使えない。魔観でマナを感じ取り、次にイメージをする。どんなことがしたいか、何が出来るのか、マナを通して世界に何をさせたいのかを命ずる。そのためにあるのが呪文と詠唱。テオくんが指摘したのは、詠唱の際に起こるマナの励起と呼ばれる現象のことだね』
「それは…ええとすみません、先に謝っておきます。それはお師さんの方法でも起こることなんですね」
テオはシズナを気遣いながらも、はっきりとそう聞くことが出来た。教わる者としても、旅に同行する者としても、ここで言葉を濁すよりはっきりと伝えた方がいい、ぎこちない関係になってしまったことでテオが思ったことだった。
シズナもそのことを嬉しく思っていた。離れかけていた距離がもう一度縮まったと感じられたからだ。シズナとしても、聞かれないよりも聞いてくれた方が説明しやすかった。
『気にしないでどんどん聞いてね。私がどうしても受け入れられないことや言いたくないことは、そうはっきりと伝えるようにするから』
「分かりました。ありがとうございます」
『質問の答えだけど、私の場合でも起こる。これは経験上の推測だけど、恐らくマナの励起現象には、呪文に類するような言葉がそもそも必要がないんだと思う』
「必要がない?どういうことですか?」
テオがそう聞くとシズナはこくりと頷いて続けた。
『マナの励起現象は、魔法を使う者の意思や意図を汲み取ったマナが、その力を発揮するための準備を行っているものと私は考えてる。ほら、感情にもマナが宿るって話をしたでしょ?』
「…なるほど。マナの励起現象は呪文の詠唱によって引き起こされるものではなくて、これから魔法を使うぞ!みたいな、魔法使い側の意思を起因にして起こるものなんですね」
『魔法学校側の解明はまだだけど、私の魔法が成立していることが裏付けになると思うよ。人の感情や思考に影響を受けたマナが、魔法実行のための準備をする。それがテオくんが感じた。マナの力の高まりの答えだよ』
シズナは満足げに何度も頷いた。やはりテオの観察力と理解力には目を見張るものがあると感心していた。魔法に対して無知であるがゆえに、シズナの教えを歪曲せずに受け入れられることも、テオの強みであった。
『じゃあ話を戻すついでに、このまま魔法発動の流れを教えようか。始めに、魔法使いでそれぞれ違う魔観でマナを感じ取る。次にマナの励起現象が起こる。これは準備が出来ているという、マナからの合図のようなものだね。そして使用したい魔法に合わせて、呪文を詠唱する。呪文はマナに指示をするために作られたもので、詠唱はそれをつなぎ合わせて強化するもの。これが成立すると魔法が発動できる。これが一連の流れだね』
魔法使いはマナを用いて世の理を捻じ曲げ、現象を引き起こす力を行使する。それこそが魔法であり、今の説明が必要な工程だった。
テオは書き取った内容を何度も見返した。流石に一度ですべてを理解するのは難しかった。そんなテオの必死な様子を見かねたシズナは、一度休憩を取ることを提案した。
休憩中。シズナとテオの二人は泉のほとりに並んで座って、足を水につけていた。冷たい水が足だけではなく全身と頭も冷ました。
足が動くと水面も揺れる。ちゃぷちゃぷと揺れ動く小さな波を、シズナはただじっと見つめていた。テオはそんな風にぼーっとしているシズナの方へ足を蹴り上げると、水しぶきと大きく揺れる波をぶつけた。
最初こそシズナも戸惑ったが、してやったといいたげな挑発的なテオの表情を見て、自分も足を蹴り上げてやり返した。そうしていつの間にか二人はバシャバシャと足で水を蹴飛ばして、互いに水をかけあう応酬が続いた。
ただそれだけのことがどうしてか面白くなって、テオは笑い声を上げながら泉に足をつけたまま仰向けに寝転がった。シズナもまったく同じタイミングで満面の笑みを浮かべながら、テオと同じように仰向けになった。
些細なふざけ合いに応じられるようになるまでに、二人の仲は深まっていた。まだまだ師と弟子の関係ではあるが、気安さを許容出来る関係性になりつつあった。
「お師さん、一つ聞いてもいいですか?」
『何?』
「お師さんは生まれつき声を発することが出来なかった。でも魔法を諦められなかった。俺はその理由が気になるんです。俺も夢を諦めきれずに村を飛び出したから」
その質問をされて、シズナは暫し何も行動を起こさなかった。もしかして答えられないことだったかとテオが謝ろうとした時、シズナは体を起こして足を泉から上げた。そしてテオに向き直ると『来て』と伝える。
テオも泉から足を上げて水を拭き取った。シズナはすでに焚き火の前に戻っていて、テオはもう一度対面に座った。
『幼い頃、私は母と二人で慎ましく生活していたの。あまり人と関わることがなかったから、その頃の私は、自分が声を出せていないとは思っていなかったんだ』
「しかしそれだと…」
『うん、意思疎通はできないはずだよね。でもね、母は私の唇の動きで何を言いたいのか把握していたの。言葉を発することは出来なくても、口の動きを真似ることは出来るでしょう?私は母の真似をして、言葉を話せているつもりだった。でも実際は、一言も声は出ていなかった』
「お師さんのお母さんは、どうしてそのことを教えなかったんですか?」
『本当のことは分からないの、教えてもらえなかったから。だけど多分、あまりにも残酷だと思ったんじゃないかな』
残酷だったのではないか、シズナの予想には説得力があった。自分は喋ることが出来ていると思い込む子どもに、本当のことを告げるのは確かに残酷だと、テオにもそう思えたからだ。
しかしテオは、何か引っかかるものを覚えた。残酷だったのではと語るシズナの表情は暗く重く、それ以上の何かがあると思わせた。
それに本当は意思疎通に難があると、後から聞かされる方が残酷ではないか、そう考えもした。シズナは訝しむテオの様子を察し、続けた。
『最初からはっきり伝えるべきだった。そんな風に思ってるのかな?』
「あ、ええと…」
『いいよ。私もその時は同じことを考えたから。でも母は落ち込む私に手話を教えてくれた。私よりも遥かに必死になって手話を覚えて、手本になってくれた。その姿を見ていたら、とても非難は出来なかった』
「…優しいお母さんですね」
『そう―』
唐突にシズナの手が止まった。表情は険しくなり、急に焚き火を消した。テオはシズナの突然の行動に戸惑った。何が起こっているのか、まったく把握できなかった。
「お師さん」
テオに向かって、シズナは人差し指を唇に当てた。静かにという意味だった。そして手早く『背中合わせになって』と手話で伝えた。あまりに早く手を動かすもので、テオでも目で追うのがギリギリだった。
状況が把握出来ないテオだったが、空気がビリビリと震えているような緊張感だけは感じていた。しかしシズナは、また別の危機感を抱いていた。
何者かに取り囲まれている。
そのことを察知したシズナは、焚き火を消して居場所を探られないようにした。だが、話に夢中になっていて一手遅れた。すでに位置は特定されていた。
シズナの頭の中には、何があってもテオだけは守る。その一心しかなかった。




