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言無しの魔女  作者: ま行


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伝えなければならないこと

 サンメド村から逃げ出して出立したシズナとテオの二人は、できるだけ街道を避け、山道を通るようにしていた。他の旅人の目に映ることも、自分たちの足取りを追われる材料になりかねないからだ。


 旅の道中、二人のコミュニケーションは必要最低限だった。サンメド村の一件はシズナとテオの心に深い傷を残した。しかし、その最悪な空気が二人の間で続いているのには別の理由があった。


「何となく気まずい」


 それが二人の共通の理由だった。お互いが深刻な空気を作ってしまったため、どちらからも緊張した空気感を解こうと言い出せずにいた。


 傷はすぐには癒えない。それでも旅は続く。ならば少しでも明るく楽しいものにしたい。それも二人の共通の思考だった。


 それなのにこの空気を打破することができないのは、きっかけがなかったからである。シズナはそもそも、積極的にコミュニケーションを取る性格ではない。テオはそれと真逆の性格だが、サンメド村での失態から師匠に対する負い目を感じていて切り出せなかった。


 その結果、二人は共に緊張感を牽制し合うような状況になってしまった。勿論これはお互い望むべき状況ではないのだが、何かしらのきっかけがないと改善は見込めなかった。




 大きな街道を逸れて森の獣道を進む二人は、急に開けた場所にたどり着いた。そこには木漏れ日の光を受けて美しく輝く、澄んだ水をたたえた泉があった。その美しさに思わず感嘆の声を漏らしたテオは、次にシズナに向き直ると笑顔で言った。


「すごく綺麗ですねお師さん!」


 それは思わず出た言葉だった。しかし、互いに待ち望んでいた言葉だった。驚いた表情を見合わせた後、シズナは微笑んだ。


『そうだね。綺麗だねテオくん』

「…っ!はい!お師さん!」


 そうしてようやく柔和な雰囲気を取り戻せた二人は、泉の近くでキャンプをすることにした。まだまだ先に進もうと思えば進めたが、今が休息を取るのに絶好のタイミングだった。


 各地での補給が満足に出来なかったため、食事は簡素な麦粥が続いていた。だがいつもの調子を取り戻したテオは、周辺から食用できる野草や木の実を拾い集め、兎を仕留めてきた。手がかかった肉入りの料理は、久しぶりに二人のお腹も心も満たした。


『ごちそうさまでした。ありがとうテオくん』

「いえ、俺も何だか楽しかったです」

『…そうだね、私も楽しかった』

「そう思う余裕もなかったんですね、俺たち」


 立ち止まる時間が必要であったことを、二人は内心では分かっていた。それが遅れてしまった。話し合う時間が取れたことは心の余裕にも繋がった。だからシズナは、テオに大切な話を切り出そうと思った。


『テオくん。実は私、あなたに魔法に関する一番重要なことを教えていないの。師匠としてあるまじきことだって、ランスさんにも叱られた。私もそう思ってる』

「ランスさんに?」


 一緒にいる間、ランスはシズナに対して過剰なまでに友好的な態度を取っていた。そのランスがシズナを叱ったと教えられ、テオはすぐには信じられなかった。


「でもお師さん。魔法に関する一番重要なことって、マナのことじゃないんですか?」

『その認識は間違ってないよ。魔法の大前提は、マナを活用する方法だからね。ただ…』

「ただ?」

『…一部の例外を除いて、魔法を発動させるために必須の条件が二つあるの。一つは発声、つまり呪文。もう一つが詠唱、呪文をつなぎ合わせて唱える必要がある。その工程を経ずには、魔法を発動することは不可能なの』

「え?だって、それは…」


 そこまで言いかけて、テオは自分の口を手で塞いだ。それを指摘することがシズナにとってどれだけ残酷なことか、想像がつかないテオではなかった。


 しかし、そんなテオの思いとは裏腹に、シズナは頭を振った。気を使う必要はないと、微笑みを崩さなかった。


『いいんだ、テオくん。はっきりさせると、本来なら、生まれつき声を発することが出来ない私が《《魔法を発動させることは不可能なんだ》》。だけどそれでも私は、魔法を諦めきれなかった。だから私は魔法発動における呪文と詠唱の工程を、手印と手話に置き換える方法を編み出した。魔法という分野が拓かれてから長い歴史の中で、これは私だけが使える私だけの魔法。そして私が、言無しの魔女と呼ばれる所以』


 言葉を発することが出来ない。それ自体が日常生活で大きなハンディキャップになることをテオは身にしみて知っている。それはろう者の両親と一緒に育ったからだった。


 しかしそのハンディキャップが、魔法において致命的なものであるとは、テオは知らなかった。そのことを背負って魔女になったシズナの苦悩は、壮絶なものであっただろうと想像に難くなかった。


 テオは背中を丸めるようにした下を向いて俯いた。その体は少し震えている。シズナは二人の間に、折角いい空気感が戻ってきたのに、自分が駄目にしてしまったと胸を痛めた。だがそれは、シズナの早とちりであった。


「すごいですお師さん!やっぱりお師さんはすごい人です!」


 バッと飛び跳ねて両手を掲げたテオは、シズナを称賛する言葉を満面の笑みで伝えた。テオが体を震わせていたのは、喜びであって悲しみではなかった。自分がどれだけすごい人に師事することが出来たのかを噛み締めてのものだった。


『どういうこと?』

「つまりお師さんは、無理とか不可能って言葉を跳ね除けて、可能に変えたってことでしょう?誰も出来なかったことを出来ることに変えた。それって何よりもすごいことだと俺は思います!」

『でも私は、言葉を話せない魔女なんだよ?私はテオくんに、正しい呪文の詠唱方法を教えてあげられるか分からない。魔法使いとして必要不可欠なことを、君に教えてあげられないかもしれない可能性を黙っていたんだよ。私は君を他の魔法使いと同じようにしてあげられないかもしれないのに、それなのに…』


 シズナがこのことをテオにずっと言い出せずにいた理由は、自分は言葉を持たぬがゆえに魔法を手に入れることが出来たが、言葉を持たぬがゆえに呪文の発声という、他の魔法使いには普通のことが未知のものであるからだった。


 知識は確かに頭の中にある。だが、実践することは出来ない。言葉を発することそのものが不可能なシズナには、ほんの少しもそれを経験することが出来ないのだ。


 魔法使いになりたいと夢を語るテオの姿に、シズナは過去の自分を重ねて見ていた。だから道を示してあげたくなった。しかし言葉の壁に劣等感を抱くシズナは、事実を打ち明けるのが怖くて仕方がなかった。


 だがテオは、シズナの手を握って言葉を止めさせた。そしてゆっくりと頭を振った。


「お師さん。俺がなりたい魔法使いは、あなたのように人を助けることが出来る魔法使いです。俺はまだまだ世間知らずで、甘いことを言っているのかもしれない。でも魔法使いの有無で生じる不公平や横暴を許容しなければならない世界は、間違っていると思います。その全部をどうにかしたいとまでは自惚れません。だけどお師さんと一緒に旅を続けて魔法を学べば、俺はお師さんと同じ志を持つもう一人の魔法使いになれるはずです。それはちっぽけなことかもしれない。だけど一人より二人、そうは思いませんか?」


 テオはそう言ってシズナに笑いかけた。今までの旅を通じて少しずつなりたい自分の輪郭が見えてきたテオは、まだ細く頼りないが、心に一本の芯が立ちはじめていた。


「お師さんの言う、呪文と詠唱が身につかなかった時は、俺にお師さんの魔法を教えてください。俺だって手話が使えるんです。きっと同じことが出来るようになりますよ」


 根拠はない。そしてシズナの魔法をテオが習得することは、普通の魔法を習得するよりも遥かに困難なことだった。それでもシズナから見たテオには、絶対にやってみせるという気概が見えた。凄みが見えた。覚悟が見えた。


 一人より二人。その言葉がシズナには何よりも嬉しいことだった。魔法界の中で、シズナはたった一人の異端で例外であった。だからテオの寄り添う姿勢がとても暖かく感じられた。それは今まで知らなかった温もりだった。


『…本当に出来るようになるかな?』

「なりますよ。俺は絶対に諦めません!そう決めたんです!」


 シズナとテオはまた穏やかに微笑みを交わした。その時、移動した雲の隙間から月の光が差し込んできた。それを受けた泉は、昼間とは趣の異なる幻想的な輝きを放っていた。その景色に見惚れる二人の間には、気まずさは欠片も残っていなかった。

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