師匠として
ガタガタと揺れる馬車の中で、テオはまた落ち込んでいた。最近はこうして落ち込むことが多い。そんなことを考えると、テオはなおさら落ち込んだ。
『テオくん大丈夫?馬車は初めて?体調悪い?』
「大丈夫ですお師さん。そういう類のものじゃないんです。これは」
テオが落ち込んでいる理由は、ランスのショーに夢中になってしまったあまりに、シズナの声の代わりになると言った自分の言葉を守れなかったからだった。
しかし、シズナの指摘もあながち間違いとは言い切れなかった。揺れる上に狭い馬車の中で、テオが段々と気持ちが悪くなっているのも事実だった。
「おいテオ、嘘はつくなよ。気持ち悪くなってるんだろ?声色で分かるよ」
「…そんなの」
「分かるわけないってか?そうかもしれんがな、こっちとしては万が一でもお前に吐かれて、仕事道具を汚されたらかなわないんだ。大人しく休んどけ」
馬を御しながらランスがそう言った。今、シズナとテオの二人は、ランスの馬車に同乗している。ランスがショーの際に聞きつけた、ある問題を抱える村に向かっている途中だった。
「うぅぅ…」
悔しそうに唸るテオ。そんなテオに、シズナが膝をぽんぽんと叩いて手招きをした。
『大丈夫大丈夫。おいでテオくん』
「お師さん。でも…」
『大丈夫だから。ほら』
これまた最近何度も経験したシズナの膝の上に、テオは頭を乗せられた。ずっとこんな調子で情けないという心情がテオにはありつつも、その感触には揺るぎない安心感もあった。
シズナはテオに気付かれないように、小さく素早い動作で手印を結んだ。そしてテオのまぶたを閉じさせるために、手で覆うようにしながらそっと触れた。
目を閉じると同時にすーっと深い眠りに落ちたテオ。休めそうな適当な場所を見つけて、ランスはそこで馬車を停めた。車から外して馬を休ませる。
「さっきのは眠らせる魔法?」
『それを大分穏やかにしたものですね。生理現象を無理やり操る魔法は、体に多大な負担をかけてしまいがちなので』
「無理やり眠らせるのは駄目ってことか?」
『そうですね。想定している状況にもよりますが、効き方によっては思わぬダメージを与える可能性が高いです』
体が自然に求める睡眠とは違い、人の体内のマナを操り、無理やり睡眠状態にさせることは、予期せぬ不調や害を体に与えかねなかった。そのため生理現象を操る魔法には、副次的な効果が出る可能性が高いものが多い。
しかしこれは、仮想敵を無力化させることを考えた場合、使う側としてはメリットにもなりうる。扱いの慎重さを要する魔法ではあるが、魔法使いは基本的にこういった魔法の使用をためらわない。
一般人などの非魔法使いに、魔法の影響でどんな害が及ぼうとも、魔法使いにとっては《《どうだっていいこと》》だからだ。そのような思想が、魔法界には定着しきっていた。
『ランスさん。馬車を停めていただき、ありがとうございます。あまり揺れが大きいと、テオくんが起きてしまうかもしれませんから』
「いいっていいって。どうせそろそろ休憩しようと思ってたんだ。むしろ丁度いいくらいだよ」
すやすやと眠るテオを膝に乗せ、その頭を優しく撫でるシズナ。そんな二人の穏やかな様子を見たランスはふっと表情を緩めた。
しかしそれも一瞬のことだった。次にランスはきっと表情を引き締めてから、ゆっくりと口を開いた。
「…その魔法の使い方を見て確信した。シズナちゃん。君があの有名な言無しの魔女だね」
言無しの魔女。その言葉を聞いた瞬間、シズナの肩がぴくりと震えた。
シズナが言無しの魔女であることを看破したランス。シズナは勿論《《何も語ることが出来ない》》が、手元が素早く動いた。それはいつものように何かを伝えるための手段ではなく、魔法を発動させるためのものだった。
「待った待った!別にだからどうしたいって話がしたいんじゃない!怒らせるつもりもないんだ!本当だよ!」
ランスは両手を上げて敵意がないことを示した。シズナが魔法を発動させようとしたことを察してのことだった。事実、シズナはこの場で今すぐにランスを始末することも選択肢の中に入れていたのだ。
そこに言葉はない。しかし殺気はある。ランスが感じ取ったのは、シズナの殺気だった。降伏していようとも、シズナは意識を常に攻撃に向けていた。それでも手印は解いて、手話による対話に切り替える。
『…それが本当だったとして、私の素性を指摘した理由と目的は何ですか?』
「俺はな、実はシズナちゃんについてどうこう言いたいって気は無いんだ。これは本当だ。でまかせや、軽い気持ちじゃない、誓っていい。俺が心配してるのはな、テオの方だ」
シズナはその言葉に少々面食らった。まさかテオのことが話題に上がるとは思わなかったからだ。
『テオくんが何か?』
「あいつ、魔法使いになりたくてシズナちゃんに弟子入りしてるんだよな?」
『そうです』
「二人が今までどれだけ一緒に旅をしていて、シズナちゃんがどれほど魔法についてテオに教えたのか、俺はそれを知らない。だけど魔法使いのことを知ってりゃ、おかしく思わないはずがないことがある。それをテオは敢えて指摘しないのか、シズナちゃんが伏せているのか、部外者が口出すのも筋違いだとは思うが、どうしても指摘せずにいられない」
ランスの言葉を聞くシズナの面持ちは、実に沈痛なものであった。その先に続く言葉が何なのか、大体察しがついていた。
「俺は本当に短い付き合いだが、テオのこと気に入ってるぜ。素直で元気があって、あれだけ擦れずに真っ直ぐ育ったってことは、周りの人たちを大切にして、あいつも大切にされてきたんだろうなって分かる。俺は職業柄、色んな場所で色んな人たちを見てきたからな」
その評価は正しいと、シズナも心の中で同意をした。テオの両親のこと。その後の村での暮らし。木こりの仕事。テオは両親が死亡してからも、誰か他の人に頼ることはなく一人で暮らし続けた。
道のりが平坦だったとは、シズナにはとても思えなかった。テオは自分の知らない辛い出来事を多く経験している。時折したたかな面も見せるが、その純真さは、不平等が当たり前の世界で唯一無二のものであった。
「シズナちゃん。色んな場所を回ってるってことは、俺は魔法使いや魔女のこともそれなりに見てきたってことだ。君と彼らには決定的な違いがある。それも本来なら、あり得るはずがない違いがな」
そのまま言葉を続けようとしたランスのことを、シズナは手を上げて制した。そして流れるように手話に移行する。
『もういいです。もう、十分です。私は確かに、テオくんに対して重大な事実の言及を避けています。本来であれば魔法は、特殊な事情があるものを除いて、《《言葉による呪文の詠唱という工程を経なければ発動しない》》。私はまだ、そのことをテオくんに伝えられずにいます』
師匠としてそれが不誠実極まりないことであると、ランスは指摘したかった。それはシズナも痛いほどよく分かっていた。
旅を続けて仲が深まるほど、自らが抱える喋ることが出来ないという問題と直結しているその事実を、テオに伝えることが恐ろしくなっていた。
師匠である自分が、魔法界にとって異端中の異端であることをテオが知った時、師と慕ってくれている今のテオの態度や、関係性が変化してしまうのではないかと、シズナは恐れていたのだ。
『…怖いんです。ただでさえ私は、他の人とは違っている。言葉の壁然り、魔女であること然り。だからずっと一人だった。一人で平気だった』
「でも、今は違うんじゃないか?」
ランスの問いかけに、シズナは頷いた。師と弟子の関係が壊れ、また一人になることが嫌だという強い感情が、シズナにはすでに芽生えていた。
この世の終わりかと思わせるほど、シズナの表情は暗く沈みきっていた。それを見たランスは、ぽりぽりと人差し指で頬を掻きながら言った。
「最初にも言ったけど、俺は本当にシズナちゃんの素性についちゃなんとも思ってないんだ。驚きはしたけど、それだけだ。俺は魔法使いとは縁遠い生活を送ってるからな。でも君が師匠で、弟子のテオに魔法を教えてるって言うなら、その事実を避け続けることは出来ない。おせっかいは百も承知だが、言わせてもらったよ。君がテオを大切に思うのなら、なおさらね」
『…そうですね。ランスさんの指摘は、間違ってません。私は、避けて通れないことを避けていた。咎められても仕方のないことです』
自分が間違っていたと認めたシズナは、更に顔を曇らせている。これ以上追い詰めることもないと、ランスはこの話題を切り上げようとした。しかし、その前に言葉を付け加えた。
「色々と偉そうに言ったけどさ、テオとシズナちゃんなら、そんなこと心配しなくても大丈夫だと思うぜ。無責任に慰めたいんじゃない。本当にそう思うんだ。だから後は、シズナちゃんの勇気次第だと思ってるよ」
ランスはシズナに背を向けたまま振り返ることはなかった。だからどんな顔色かシズナには判断出来ない。しかしその声色はとても穏やかで優しいものだった。シズナを勇気づけたいと、心から想っての言葉だった。
シズナは自分の膝の上で幸せそうに眠るテオの頭を撫でた。それがくすぐったかったのか、テオはもぞもぞと体を動かした。そんなテオの様子を見て、シズナは安心したように口元を緩めるのだった。




