あなたの隣にいるために
それはまるで、定められていたかのような出来事であった。学園から戻ってきたテオと、ローレンスの手伝いを終えたシズナが、偶然にも廊下でばったりと鉢合わせたのだ。最初は驚いて、次に気まずくなって、それからようやく同時に動き出した。
「あのっ!」
『テオくんっ!』
二人は動き出すタイミングが重なったことでびたっと体の動きが止まって、そしてどちらともなくふっと頬が緩んだ。気まずかった雰囲気が少しだけ和らぎ、それが会話のきっかけとして充分な働きをした。
「取り敢えず、俺は着替えてきますね」
『私も資料を片付けてくるよ』
それは二人が久しぶりに交わした会話らしい会話だった。しかしたったそれだけのことが嬉しくて、二人の足取りは実に軽やかだった。
「では二人とも、存分に話し合いをするといい。あまり凝ったものを用意出来なかったことは心苦しいが、それはまたの機会にとっておくとしよう」
ローレンスは運好く二人のやり取りを目撃していた。そこで彼女らのために、意気揚々と自慢のお茶と簡単な茶菓子を用意して、テーブルセッティングまでして待っていた。
「あの、ローレンスさんこれは一体…」
「なに、気にすることはない。歳を取ると、こうして若人の応援をしたくなるものなのだ。それに私は、間接的とはいえ二人の喧嘩のきっかけを作ってしまったからな、そのせめてもの償いだよ」
『いえ、今回のことは全然ローレンスさんのせいではないですよ』
「まあまあまあ、シズナ殿もそう言わず。ささっ、後は二人でゆっくりとするがいい。人払いも済ませておいた。では私はこれで」
本当にローレンスは場所だけをセッティングして、自分はさっさと立ち去ってしまった。取り残されたシズナとテオの二人はぽかんとしながらも、折角用意してもらったのだからと席についた。
「っ!これは美味しいですね!」
ローレンスの用意したお茶に口をつけたテオは、驚いて目を見開いた。上品で華やかな香りに、風味豊かで深い味わい、スッキリとしているようで軽すぎない口当たり、そのお茶は一口であらゆる「美味しい」という感情を呼び起こす情報量を流し込んできた。
『ローレンスさんの趣味なんだって、カップも綺麗だよね』
「はい。こんなに綺麗な食器は初めて見ました」
『お菓子も手作りしてるって聞いたよ』
「へえ、すごいですね!ローレンスさんって多芸なんだなあ」
テオは料理好きだが、本格的なお菓子作りにはあまり手を出してこなかった。出来ないこともないが、村ではあまり材料が手に入らなかった。作れるのは、甘みも味も薄い質素なものだけだ。ローレンスが用意した手作りお菓子とは比べ物にならなかった。
二人は暫く、お茶の席で雑談を楽しんだ。喧嘩の最中には出来なかった話が山ほどあって、それがせきを切ったように勢いよく流れ出た。他愛のない会話すら楽しめない関係性はやはり不健全極まりないなと、止めどころが見つからない雑談の中で二人は同じことを考えていた。
ひとまず互いが満足した思えるタイミングで雑談は止んだ。そして、師匠の言葉をテオが待っていると察したシズナが、始めに手を動かした。
『テオくん。学園での生活はどう?望んでいたような教育は受けられてる?テオくんのことだから、友だちがいなくて孤立しているとは思わないけど』
「そうですね、学園の皆との交流は本当に楽しいです。正直言ってこれは、想像以上のものでした。皆一人一人に夢や目標があって、それぞれ夢や目標を叶えるために自分で考えて、魔法を勉強しています。こう言うのは失礼だと思いますが、皆は意外にも、普通の人たちでした。魔法を学んでいる最中の、俺とそんなに変わらない普通の人たちでした」
中にはテオを卑しい身分だと蔑み差別する者もいた。しかし、実体はそういった者の方が少数であり、大多数の生徒はテオの身分など気にしていなかった。どちらかというと、テオのことに無関心でいる生徒の方がよほど多かった。
「四大魔法学校の一つに通えているくらいだから、やっぱり名家の子や、金銭的に裕福な子、飛び抜けて優秀な子などが集まっています。そういった人たちと俺を比べたら、当然圧倒的に俺の身分は底辺です。だから特別扱いに不満を抱く子もやっぱりいます。だけど殆どの人は生まれなどを気にもせず、ただ魔法というものに真剣に向き合っています」
『自分で考えていたよりも、身分の差は存在しなかった?』
「はい。目指しているものになりたいと願う気持ちに、生まれなんて関係なかったんです。少なくとも、俺が想像していたような格差はありませんでした。むしろ魔法の前では、残酷なほど全員が平等です」
同じことを学んだからと言って、同じように出来るとは限らない。どれだけ魔法の知識があっても実技はからきし駄目な生徒もいて、その逆も然りだった。
すべてが平均的な人もいれば、まったく見どころのない人もいる。全体的に優秀な人もいれば、飛び抜けた天才もいた。
魔法という絶対的な力を前にして生じるのは、身分の差よりも能力の差である。たかが生まれだけでは魔法使いの優劣は決まらない。テオはそのことを学園で学んだ。
「今なら胸を張って言えます。俺はお師さんの弟子です。教えていただいた魔法の知識は正しく、鍛えていただいた技術は本物です。それに本当は、自分がお師さんに見合うかどうかなんて、考える意味がなかった。俺はただ弟子として、お師さんが誇れる魔法使いになるために努力をするだけです。お師さんの生まれや特殊な事情なんて関係ない。俺は一人の人間として、ずっとお師さんの隣にいられる自分でいたいんです」
アウレリア王国に来て、ローレンスと出会い、ギルベルト王と謁見した。テオはそのすべてがまるで別世界の出来事のように思えて、そこにいるシズナは自然と溶け込んで見えた。しかしそこにいる自分は場違いなどころか異物であると、まざまざと実感してしまった。
だからテオは自信を失いかけた。しかし、留学を経験したことで、自分も学園の生徒たちと同じく、魔法使いを志して学び続けている最中の身であると自覚することが出来た。他人が決めた物差しでシズナと釣り合うかどうかを決めるのではなく、自分がどうしたいかで決める。それでいいという自信を取り戻せた。
『そう言ってもらえて、私は本当に嬉しい。私にとってテオくんは、本当に大切な存在なの。そしてテオくんが私に引け目を感じていたように、私もテオくんに対して負い目を感じていた。君を弟子に取ると決めた時から、私の事情に君を巻き込んでしまうことは分かりきっていた。だからしっかりとしなくちゃいけないのに、私は今でも自分の過去と向き合うことが怖い、父のことが憎い、私の胸の奥でくすぶる感情をどうするのか決められない。そんな駄目な師匠だけど、それでもテオくんは一緒に居てくれる?』
「はい!この覚悟はもう揺らぎません。俺は他の魔法使い見習いと同じ、夢に向かって努力する大勢の内の一人ですから」
結局のところ、今回の短期留学はすべてローレンスの狙い通りの結果となった。テオと学園の生徒たちと交流させることで、彼らと自分に大した差がないことを自覚させた。
そして出自がどうであれ、これから先の夢や目標という、自分がどうなりたいかという願いで自分の居場所を決めるべきだと、ローレンスからの言外のアドバイスを、テオはちゃんと受け取ったのだ。
やはり自分はまだまだ未熟だとシズナは自嘲した。だがこれは、酸いも甘いも噛み分けてきた上に、陰謀と策略渦巻く政治の世界に身を置き続けてきた経験値あってこそ培われた洞察力で、八賢者の中でも最年長であるローレンスの面目躍如であった。
『じゃあ私から、そんな将来有望な弟子のテオくんに提案があります』
「はいっ!何でも言ってください!」
トンと胸を叩いて、意気揚々とテオはそう言った。しかし、シズナがした提案はあまりにも意外なもので、そもそも不可能ではないかとテオを困惑させた。
『これから始まる魔法決闘大会に、テオくんも出場してもらいます』
ニッと楽しそうな笑みを浮かべるシズナに対して、テオは不安の方が勝っていた。だが師匠が言うことならばと、テオは恐る恐る頷いた。




