動き出せ
王城にて。学園が休日のテオは、こそこそうろうろと城内の廊下を歩いていた。シズナとは喧嘩の後からずっと気まずいままで、なるべく顔を合わせたくなかった。城の生活は不自由がなさすぎて、手伝えることが何もない。テオは暇を持て余していて、このままどこか散歩にでも行こうかと考えた。
「おやテオ殿、出かけるのかね?」
「うひっ!」
突然声をかけられ、テオは素っ頓狂な悲鳴を上げて固まった。コツコツと鳴り響く靴の音が近づいてきて、ローレンスに肩を叩かれてようやく体が動き出す。
「何をそんなに緊張しているのかね。別にやましいことをしている訳でもあるまいに」
「そうなんですけどね…」
「まだシズナ殿との仲違いは続いているのか。そろそろ互いに喧嘩の熱も冷めた頃かと思っていたのだが」
ローレンスの言っていることは正しかった。時間は彼らに冷静さを与え、もはや喧嘩のきっかけさえもどうでもよくなっている。
しかし気まずさだけは違う。時間が経てば経つほど、二人の間の気まずい空気だけは重くなっていった。
「いや、そうか。テオ殿は学校に行き、シズナ殿には私の仕事を手伝わせてしまっているからな、ゆっくり話す時間も取れないか」
「…いいえ、それだけが理由じゃありません。時間は作ろうと思えば、いくらでも作れたんです。俺もお師さんも、そうしなかったのが問題なんです」
「このような喧嘩は初めてかね?」
「喧嘩自体は何度か。でも、あそこまで酷いことを言ってしまったことは初めてです」
落ち込むテオを見てローレンスはふむと顎に手をおいて考え込んだ。二人の関係改善のために何が出来るかと思案したが、安易に手を出せばこじれるのは分かりきっていた。
何をどう言ったところで、ローレンスにはどうすることも出来ない。彼が二人と過ごした時間はとても短く、まだまだ関係性を理解したとはとても言えないからだ。そこでローレンスは、テオに別のことを聞いて喧嘩から話題をそらすことにした。
「時にテオ殿、学園生活の方はいかがかな?」
「あー…えっと」
「その様子だと、私の思った通り期待外れだったか」
「思った通り?」
思いがけない言葉が出て、テオはそのまま聞き返した。
「ああ、思った通りさ。テオ殿、君は学園で魔法を学んでいる時、その時間が実に悠長に感じたことだろう。私に遠慮しても意味がない、正直に答えなさい」
「はい」
一瞬戸惑ったテオだったが、ローレンスに言われた通り正直に答えた。その答えを聞き、ローレンスはそうだろうと言わんばかりに深く頷いた。
「君は魔法使いを志し、シズナ殿という師と巡り合った。偶然か必然か、君は彼女の用いる手話を十全に理解することができ、本来ならば魔法の指導には不向きな彼女の性質をものともしなかった。君の師匠が優秀なことは疑いようもない事実だが、君も呪文を介さない魔法を習って実行してみせた。これは本来なら、起こり得ない奇跡と言える」
「いやでも、お師さんから呪文は教わりましたけど」
「呪文の正しい発音と節の切り方、それらを用いた術式の構築方法。彼女は君にそれを音で教えることは出来ない。充分注意はしていただろうが、危険な指導方法だ」
ローレンスの指摘通り、シズナは詠唱する呪文を教えることは出来ても、それを言葉で説明することは出来ない。それは魔法学校で必ず習う基礎のことであった。
本来であれば、魔法は呪文を詠唱する手順を踏まなければ発動しない。幾何の方盾のような極めて特殊な例外を除き、魔法の発動には言葉が必要不可欠だった。
「シズナ殿は代替策で呪文を用いたことはあっても、本来の呪文を自らの言葉で用いたことはない。酷な話だが、彼女にとってそれは不可能なことだ。自らが一度も用いたことがないことを教えることがどれだけ難しいことかは、説明しなくても分かるだろう」
「しかしそれは、お師さんの指導力が高かったからで片付く話なのでは?」
「無論、それもある。しかし、それだけで君が魔法を使えるようになった事実はずぬけて不可解だ。そしてそれは同時に、君の持つ素質の優秀さを示してもいる。君はとても閉鎖的な環境で限定的な要素だけを教わり、魔法使いとなった。君は学園で学ぶ生徒たちとはスタートラインも異なれば、現在走っている場所も違う。例えるなら今の君は、舗装された道を走る子の列に、突如険しい山道のコースを外れて割り込み、無理やり並走しているようなものだ。それで拍子抜けしてしまうのは、当たり前のことなのだよ」
ローレンスには最初からこうなることが分かっていた。テオが学園の授業に不満を抱くことは分かりきった上で短期留学をさせていた。
「テオ殿。私が思うに君は恐らく、そのことを後ろめたく感じているのではないかな?」
「…はい」
「ならば敢えて言わせてもらおう。そんなことを君が気にする必要はない。君は遠慮することなく、今持てる力を存分に振るうといい。私は君に学園でお行儀よく授業を受けてほしいのではない、生徒たちの前で君の実力を発揮してほしいのだ。さすれば自ずと、君が学園で学ぶべきことも見えてこよう。縮こまってはいけない。姿勢を正して胸を張り、常に堂々としていなさい。いいね?」
「…分かりました。やってみます」
「よろしい。励みたまえ」
この頃は暗く沈みがちであったテオだが、ローレンスの言葉で、目に光が戻ってきた。フィリップとルナリアという新たな友人も得て、学園でどうするべきかも定まった。漠然としていた楽しくなりそうな予感が現実的になってきたことが、彼の思考をいい方向へと向かわせた。
ようやくやる気を取り戻したテオは、久しぶりに薪割りの仕事がしたくなった。ちょっとくらいなら城でも自分が手伝えることがあるはずだと仕事を探しに行こうとした時、ローレンスが「おっと」と声をあげてテオを引き止めた。
「すまない忘れるところだった。テオ殿、例の件、今しがた先方から返答があったそうだ。君の部屋に届けさせてあるから、使用人に聞いてみなさい」
「っ!ありがとうございます!」
報告を聞き、居ても立ってもいられなくなったテオは急いで駆け出した。悩める少年の奮闘する背を見送ると、ローレンスはふっと口元を緩めて踵を返した。
テオが使用人から受け取ったのは、指でつまめるほどの小さな玉だった。透き通った透明な玉の中心には、様々な色をした線が絡み合いながら渦を巻いていた。
「あの、この玉ってどう使えばいいんですか?」
「こちらの通信盤の中心にはめてください」
差し出された手のひらサイズの円盤を受け取ると、円盤の真ん中に空いた穴に玉をはめた。するとはめ込まれた玉が発光し、立体的で現実と見紛うばかりの像を空中に投影した。映し出された男性は、あいも変わらず鋭い刃のような目つきをしていた。
「久しぶりだなテオ」
「クウガイ様!お久しぶりです!」
玉から映し出された立体像は、まるで本人が目の前にいるかのように喋り始めた。これは遠く離れた場所の人と会話が出来る魔道具で、杖についての連絡をハワード経由で聞いたクウガイが、テオ宛てに送ってきたものだった。
「その様子を見りゃ元気にやっとることは聞くまでもないようだな」
「クウガイ様、こちらの姿まで見えるんですか?」
「ああ、便利な代物だろう。ロックスに手に入れさせた」
「そちらも相変わらずのようで何よりです」
テオにはクウガイに無茶を言われて、ロックスが悔し涙を流す姿がありありと浮かんで見えた。二人の間柄は相変わらず債権者と債務者であった。
「まあそんなことはどうでもいい。テオ、杖のことを詳しく話せ。いいか?詳しく、すべてだ。お前の口から聞かにゃ俺にも判断がつかん」
「分かりました。お手を煩わせてしまい申し訳ありません。実は―」
それからテオは、夢の中で杖が語りかけてきたあの日の出来事を、思い出せるだけ詳細に説明をした。相槌を打ちながら話を聞き終えたクウガイは、ふむと大きく唸った。
「意味が分からん」
「クウガイ様でもですか?」
「ああ、そんな話は聞いたことも、経験もない。杖に何かが起こっとるのかもしれんな。本当は直接行って見てやりたいところだが、悪いが俺はここを離れる気はない。お前、こっちに来られるか?」
「多分無理です。でも俺にちょっと考えがあるんです。聞いてくれませんか?」
「よし、話せ。聞けることなら聞いてやる」
テオはクウガイに自分の考えを話した。それを聞いてクウガイは最初こそ渋ったものの、自分の作った杖に責任を持つという職人のプライドから、テオの提案を受け入れることに決めた。
休みが明けて、テオは元気よく学園に登校した。その荷物の中には、クウガイから送られてきた通信盤が入っていた。




