テオとルナリア
テオから貸し与えられたお守りをひとしきり愛でたルナリアは、最後にもう一度深く香木の匂いを吸い込んだ後、テオにそれを返してから言った。
「なるほどなるほど、ルナが嗅いだことがない匂いな訳だ。これって魔蓄樹なのね」
「えっ!?そうだったの!?」
「どうしてテオが驚いてるんだよ」
「いや、これがどんな種類の木なのかは聞かなかったから。でもそうか、ヒルダ婆は村の木から作られたって言っていた。あれって魔蓄樹のことだったのか。香木にもなるなんて知らなかった」
「こーんなにいい匂いをさせるすごーい木なのに、ずーっと隠してたなんてほーんと罪深いったらないよね~。しかも今じゃカント・レギウムに殆ど独占されてるんだよ~。ルナだって杖作りに使いたいのに~」
ドラン村の出身のテオとしては、ルナリアの言葉は耳が痛かった。しかしカント・レギウム領内にあって村が国の意向に逆らうことは出来ない。シズナのお陰で魔蓄樹が出回るようになっただけでも相当に幸運なことだった。
「ドラン村にはドラン村の事情もあるんだ。ルナには悪いなと思うけど、俺はその事情も汲んでほしいな」
テオがそう言うと、ルナリアは一瞬きょとんとした表情をした。しかし一瞬で何か思いついたように手を叩き、ずいっとテオに体を寄せて頬を突っついた。
「だいじょ~ぶだ~いじょぶ。ルナは村の事情を分かってるつもりだよ。多分だけど、村で仲介や調整をしている人もすっごく苦労してるんじゃないかな。木材は簡単に寄越せって言って渡せるものでもないのに、言う側はそんな事情気にしないもの。そういうものなんだよ~大国との板挟みって」
それはいつも通りふわふわとした言い方だったが、ルナリアにしてはどこか鋭い真剣味が感じられた。何か事情がありそうだと感じたテオは、そのことを彼女に聞こうとしたが、フィリップが先に口を開いた。
「テオ、杖のことで聞きたいことって具体的にどういうこと?」
本来そのことが本題だったはずが、すっかりルナリアの独特なペースに乗せられて道を外れてしまっていた。丁度よく助け舟を出してもらえたことで、テオはようやく自分の杖を取り出して話し始めることが出来た。
「ルナ、この杖を見てほしいんだけど…」
テオの杖を見た瞬間、ルナリアの目の色が一瞬にして変わった。そしてまたしてもテオに飛びついて彼を押し倒すと、杖を持っている手を両手でギュッと握りしめた。
「うっひょあーっ!!すごいすごいすごいすごーい!!これクウガイ様が作った杖でしょ!?きゃー!!実物を見るのは初めてだよー!!」
「えっ!?クウガイ様が作った杖!?本当なのか!?テオ」
「う、うん、そうだけど…。どうしてルナは見ただけで分かったんだ?」
興奮してはしゃぐルナリアからは話が聞けそうになかった。テオとフィリップは、取り敢えず彼女が落ち着くまでそのままにしておくことにした。
「まさかクウガイ様が作った杖だったなんてね、それなら僕でも見ただけでいい杖だって分かるわけだ。それにしてもテオ、とんでもない有名人と知り合いなんだね」
「いや、クウガイ様は俺の直接の知り合いじゃなくて、お世話になった方の知己の人だったんだ。その縁で紹介されたってだけで、俺の方から杖作りをお願いしたって感じでもないんだよね」
クウガイは多くを語らない人だった。テオが杖作りをお願いしに行った時も、頭を下げてお願いした時には何の反応も示さなかった。彼が杖作りを引き受けると宣言した時のことも、自分の何がきっかけとなってそれを引き受けてくれたのか、テオはいまだによく分かっていなかった。
テオは杖作りに至る経緯をそのままフィリップに説明すると、彼もまた困惑したように首を傾げて言った。
「不思議な方なんだなクウガイ様って。魔法使いの間では有名人だけど、クウガイ様の人となりについてはまったく聞いたことがなかったから、ちょっと意外だ」
「あっ、でも一つだけ間違いない情報を知ってるよ」
「それって?」
「クウガイ様は、塩辛い食べ物が好き」
そんな会話をしていると、ようやくルナリアが顔を上げてテオの上から退いた。テオはフィリップから差し出された手を取って立ち上がると、もう一度ルナリアに向き直った。
「満足した?」
「うん、大満足。じっくり見させてもらったお陰で、素材に使われている魔蓄樹の性質を最大限に発揮するための技法も、芯材にセラドナの血琥珀を選んだ理由も分かった。やっぱりクウガイ様の杖はすごい。この杖一つですべて調和が取れているようでいて、持ち主の影響を杖がきちんと受け取れる余白もある。杖はただの魔法の触媒じゃない。魔法使いにとってのもう一つの世界なんだって実感させてくれる。初心を思い出させてくれる。杖はかくあるべしという見本を見せてくれる。ルナもクウガイ様のような杖職人になりたい」
テオはぽかんと口を開けた。ルナリアは単に落ち着きを取り戻したというだけではなく、人が変わったように冷静になっていた。口調も普段の間延びしたようなものではなく、実にてきぱきとしたものだった。
ルナリアは数回深呼吸をしてカッと目を見開くと、そんな調子のままテオとフィリップに言った。
「ごめん、プップ君、テオテーオちゃん。ルナこれから作業に戻るね。お話はまたの機会にしてもらっていいかな」
「ああ、頑張れよルナ。悪いなテオ、もう行こう」
「え?あ、うん。またねルナ!」
フィリップは少々強引にテオの手を引いてその場を後にした。テオは立て続けに起こる目まぐるしい変化に逆らわず、身を委ねて流されることにした。
ジェットクラスの教室棟を出ると、フィリップはテオに謝罪した。
「本当にごめんテオ。あの状態になると、ルナはもう話を聞いてくれなくなるんだ」
自分のことではないのに、フィリップはとても申し訳なさそうに頭を下げていた。そんな彼のことをテオはなだめて、頭を上げてもらった。
「全然聞きたいことは聞けなかったよな」
「それはまだ時間があるからいいよ。それより、あの状態のルナって大丈夫なの?」
「うん。別に変になったとかじゃなくて、ああいや、ルナは四六時中大体は変なんだけどさ。あれはなんて言うんだろう、ルナがすごく怒った時や極限まで集中力が高まった時とか、あんな感じになることがあるんだ。普段より話は通じるんだけど、逆に融通は利かなくなるというか…。ごめん、説明が難しい」
フィリップはルナリアの幼馴染なので彼女の状態について大体のことが分かるが、それは感覚や経験則によるものなので、言葉で表現しにくかった。まして今日が初対面のテオに説明するとなると、難しいという話ではなく不可能だった。
「紹介出来るって言ったのは僕なのに、こんな結果じゃテオもがっかりしたよな。でも一度言ったことには責任を持つよ。何とか他の人を紹介出来るようにあたってみるから任せて」
「うん?別にまたルナに話を聞きに行くから大丈夫だよ」
「えっ?」
「えっ?」
驚きの声を交互に上げた二人。フィリップは困惑した顔で言った。
「いやだって、テオにも分かっただろ?ルナの変人っぷりは」
「確かに独特だったけど、俺は全然気にしてないよ。それにフィリップが言ってたように、ルナの杖に関する知識量はすごいよ。俺の杖を作った人がクウガイ様だって、言われてもないのに見抜いたし、杖に使われている木材の種類と芯材のことだって完璧に言い当ててた。正直ゾクッときたよ。ルナは他の人と明確に何かが違うって、あの時に分かった。ルナから何が聞けるのか、俺は今それがすごく楽しみなんだ。ありがとうフィリップ。俺にルナを紹介してくれて、本当にありがとう」
テオの表情や態度に大きな変化はなかった。しかし、フィリップは彼が今まで見ていた彼とは別人のように思えた。
そのことにフィリップはゾクリと背筋が凍った気がした。テオの中に、ルナリアと似た言い知れぬ貪欲さが見えた。
フィリップとテオの付き合いは実に浅い。しかしだからこそ、テオの貪欲さに秘められた狂気じみたものを客観視することが出来た。
テオの中にある非凡な才能は、セレスティア魔法学園に通う優秀な生徒の枠を遥かに凌駕していた。ルナリアという天才を幼いころから近くで見てきたフィリップは、本物の才能が時折見せる狂気に、自分もどこか惹かれつつあるのを感じていた。




