初めての魔法学校
イノセンシア城、テオはギルベルト王にあてがわれた客室で、使用人に手伝ってもらいながら着替えを行っていた。袖を通すのはセレスティア魔法学園の制服で、これまで意識したことのなかった箇所も、きっちりと身だしなみを整えてもらっていた。
「すみません。ただ着替えるだけなのに、こんなに沢山手伝ってもらってしまって」
「いいえ、お役に立ててなによりでございます。それにこれは、テオ様にとって初めてとなるご登校。テオ様が周りの御方に恥じることのないよう、いつも以上に凛々しいお姿でお見送りさせていただきたく存じます」
それはテオにとって、とても心強い言葉だった。ローレンスの口利きという特例で短期留学が許されたが、本来ならばテオは、学園の門を叩くことなど無縁の人間であった。
「では行ってきます」
服装も髪型も整えられ、鞄を肩に下げたテオは、世話を焼いてくれた使用人たちに向き直ってしっかりと挨拶をした。しかし、そのまま城を出ようとするテオのことを、使用人の一人が引き止めた。
「お待ちくださいテオ様。シズナ様をお呼びにならなくともよろしいのですか?」
折角の晴れ姿を師匠にも見せるべきではないか、そう気を回しての発言だった。無論、テオにもその気持ちがなかった訳ではないが、そうもいかない事情があった。
「多分、お師さんは呼んでも来てくれないと思います。喧嘩しちゃったから」
「…かしこまりました。しかし、テオ様がご登校なさったという報告だけはさせていただきます」
「お願いします。喧嘩してたって、黙って出て行く訳にはいきませんからね。じゃあ改めて、行ってきます!」
「行ってらっしゃいませ」
喧嘩をしたという事実に暗くなることなく、テオは元気よく挨拶をして城を出た。見送る使用人たちは、彼の姿が見えなくなるまでしっかりと頭を下げていた。
テオがセレスティア魔法学園に登校した報告をシズナが受けた場所は、ローレンスの執務室だった。シズナは憮然としたまま『ありがとう、下がって』と使用人に手話で伝えると、もう一度長椅子にだらりと体全体を預けきって寝転んだ。
「シズナ殿、そんな格好をすると身だしなみが乱れる。それにはしたないからおよしなさい」
『嫌です』
ローレンスの注意を、シズナはきっぱりと拒絶した。それはとても子どもじみた態度で、ローレンスは苦笑いをするしかなかった。
「言っておくが、私に張り付いていても嫌がらせにはならないぞ。誰がどこで何をしていようと、私はそれに惑わされることなく仕事を終わらせられる。恐らく先に退屈して我慢できなくなるのはシズナ殿だ」
その言葉に嘘はなかった。現に書き物をしている今も、シズナの手話を見つつ、自分の言葉も話し、手を止めることなくペンを走らせ続けていた。すべて同時進行していても、ローレンスの仕事の質が落ちることはなかった。
『どうして短期留学なんて勧めたんですか?』
「アルベールからの手紙にもあったが、テオ殿には確かに才能がある。それが開花したのは、シズナ殿の指導の賜物だろう。しかし彼に施された教育は、シズナ殿とアルベールが二人で行ったものに偏っている。もっと広い視野で学習することが出来る学園生活は、彼にとっていい刺激になるはずだ」
『だけど別に学校に行ったからって―』
「優秀な魔法使いになれる訳じゃない。君の言いたいことの続きはこれで合っているかな?」
シズナが頷いたのを見て、ローレンスは話を続けた。
「確かに、それはそうなのだろう。現八賢者の内、シズナ殿、ルグル殿、そしてフゥリアの三人は、学校で魔法教育を受けずに賢者となった。これは無視することが出来ない事実だ。それはそれとして、実は私がテオ殿に留学を勧めた本当の理由は、別のところにある」
『別とは?』
「テオ殿がシズナ殿に抱いている劣等感を払拭させるためだ」
その言葉に、シズナは何も反応を示すことはなかった。ただそっぽを向き、ローレンスから顔を背けてしまった。会話のなくなった執務室には、カリカリとローレンスがペンを走らせる音だけが響いていた。
短期留学をすると告げられた日の夜、シズナは自分の部屋にテオを呼び出していた。彼女にしては珍しく、怒りの感情がはっきりと見て取れた。
『どうして私が怒ってるのか分かるよね?』
普段よりも荒々しい手の動きだったが、テオは動じずに答えた。
「俺がお師さんに何の相談もしないで短期留学を決めたからです」
『そうだけど、それだけじゃない。師匠の私の指導に不満があるのなら、誰よりも先に言ってほしかった』
「お師さんの指導に不満を抱いたことは一度だってありません」
『じゃあどうしてわざわざセレスティア魔法学園に短期留学するの?魔法は私から学べばいいでしょう?それとも私に、改善するチャンスもくれないの?』
「それはそうですけど…それだけじゃないんです!」
テオの方も、シズナの怒りにつられて語気が荒くなっていた。こうなるともう、二人のうちどちらかが折れなければ、引っ込みがつかなくなってしまう。しかし、二人きりで話をしていると熱が入るばかりで水入りとはいかず、喧嘩は激しさを増していった。
『それだけじゃないなら理由は何?』
「…言いたくありません」
『どうして?私に言えないことって何?不都合なことでもあるの?』
「ッ!違いますよ!俺がお師さんに隠せるようなことなんて一つもないです!」
『短期留学のことは隠してたでしょ!』
「お師さんだって、自分が王族だってことを隠してたじゃないですか!!」
テオが指摘した内容は、確かにシズナの落ち度であった。事情があったとはいえ、打ち明ける時期を逸していたのは間違いなかった。場合によって、カント・レギウムを相手取る可能性もあることを鑑みれば、テオはもっと早く真実を聞かされていてもよかった。
しかし、この事実はシズナにとって、出来ることなら自ら触れることも他人に触れられることも嫌なものであった。何をどう思い出したとしても、シズナがこの事実から脳裏に浮かぶのは最低最悪な思い出ばかりで、辛く苦しい現実に対しての怒りに、気持ちがすっかり支配されてしまう。
『私が王族だからって何!?それが今回のことにどんな関係があるの!!』
シズナはこの喧嘩が始まってから、一番の感情の昂りを見せた。勢い余って机を強く叩いてしまい、置かれていたグラスがその衝撃で落ちた。それが割れた音でハッと我に返ったシズナが顔を上げると、テオはシズナが今まで見たことがない冷徹な表情と光を失った目をしていた。
「もういいです。これは、俺が決めたことだから」
それだけ言うと、テオは乱暴に扉を閉めてシズナの部屋を出た。それからの二人は、食事の時などで顔を合わせても一切会話をしなかった。
大勢の生徒たちが集まる場に、教師がテオを連れてやってきた。生徒たちのざわつきを制するために教師が声を張り上げた。
「皆さんお静かに!突然のことで驚くかもしれませんが、彼はローレンス様の紹介でこの学園に短期留学をすることになりました。では、お名前を」
「俺は名前はテオ。出身はドラン村で、魔法学校に通ったことはありません。ですが魔法はおしさ…、じゃなかった師匠から習いました。現在一般的に使われている魔法に呪文、マナの操作技術は一通り学んでいて、ローレンス様から基礎知識は十二分にあるとお墨付きをいただきました。なので皆さんの学習の足を引っ張るようなことはないと思いますし、そのように努めます。よろしくお願いします」
テオの自己紹介の後、まとまった拍手が暫し鳴ってから、教師がもう一度声を張り上げた。
「では彼のことは…フィリップ・サージュリング!学園の案内と補佐をお願いします」
名前を呼ばれた生徒が返事をしてスッと立ち上がった。ウェーブがかった癖のついた黒髪の美男子で、立ち上がるだけで女子生徒たちが一瞬色めきだった。テオはフィリップの元まで歩み寄ると、彼が差し出した手を取って握った。
「よろしくテオ。そしてようこそ、セレスティア魔法学園へ」
「ありがとう。こちらこそよろしく」
学園の生徒とがっちり握手を交わしたことで、テオの期待感は更に高まった。短い期間ではあるが、テオは初めて本格的に学校で教育を受けることとなる。ワクワクせずにはいられなかった。




