↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された悪役令嬢は、役割を与えられない場所で静かに生きる 〜尽くしても報われなかった私を、理由も聞かずに受け入れてくれる領がありました〜  作者: 水無月カレン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
122/130

第122話 名を賭ける

 答えは、静かな朝に来た。


 いつものように、名の出ない書類を整えているときだった。決裁の順序を確かめ、日付を照合し、道筋を整える。私がいちばん得意な、地味な仕事。


 その束の上に、見覚えのない一枚が載っていた。


 北方港の荷役の男が出した嘆願だった。荷降ろしの手筈が二度、直前で組み替えられた。そのたびに、雇いを外された。日雇いの二日は、その家の二日ぶんの糧だ。


 どなたのご判断でしょうか、と男は書いていた。


 私は組み替えの決裁を辿った。順序は残っていた。日付も、経由した部署も。


 名だけが、どこにも無かった。


 誰も規則を破っていない。ただ、二日ぶんの糧を失った男に、詫びるべき相手がいない。


 扉のほうで、物音がした。


 アレクシスが、戸口にいた。置いたのは、彼だ。


「これを、私に」


「回すべきだと思った」


 彼はそれだけ言った。なぜ私に、とは言わない。


「お前が、いちばん長く見ている」


 理由を聞かない男は、理由を言うのも短い。


 扉が閉まったあと、私はもう一度その一枚を見た。


 この書類には、私の名は出ない。


 でも、もしこの決裁がいつか誰かを傷つけたら――私は、逃げるだろうか。「制度に従っただけ」と言うだろうか。


 言わない、と思った。


 なぜなら、この一枚を自分が整えたと知っているから。


 名が出なくても、私は負う。


 ――そこだ。


 私は、羽根ペンを止めた。


 朝の光が、机の上を白く照らしていた。辺境の、いつもの朝。


 こんな静かな場所で、国のかたちの足りない一片が見つかるとは思わなかった。急かされない場所だから、見えたのだ。


 制度で負う。それは、正しい。個人の善意に国家を委ねてはならない。それも、正しい。


 でも、制度はそれ自体では誰も痛まない。制度は、顔を持たない。だから、人はその後ろに隠れられる。


 足りなかったのは、これだ。


 制度で負う。その制度に――名を賭ける、一人の個人を必ず置くこと。


 どの決裁にも、「私が、これに責任を負う」と名を書く者を、一人。匿名の決裁を禁じる。正しい理由で、名を隠すことを許さない。


 カイウスの「責任は、私が負う」は、個人に負わせすぎた。国家を、一人の覚悟に預けてしまう。


 レオンハルトの「制度で負う」は、個人を消しすぎた。誰も、痛まなくなる。


 その、間だ。


 制度が大枠を負う。その制度の一つ一つの決裁に、名を賭ける個人が必ずいる。


 制度は、逃げ場にならない。個人は、潰されない。


 ――倒れない、を前提にするのではなく。倒れても、誰が積んだ石か分かるように。


 私は、新しい紙を一枚引き寄せた。


 そこに、初めて私自身の名で書きはじめた。


 書き終えて、宛名の欄で手が止まった。


 この一枚を最初に誰へ差し出すかで、この先の順番が決まる。


 私はまだ、その名を書けずにいた。

制度で負う。その制度に、名を賭ける個人を、必ず一人。

足りなかった一つが、言葉になりました。

あとは、この一枚を誰に差し出すか、です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。