第113話 余白を削る者
将軍アルドリック・ハルヴァーンが私を訪ねてきた。
白髪の混じった、大きな人だ。かつて、私が「速さに枠を」と説いたとき、軍の側から援護してくれた人。
彼は椅子を鳴らして腰を下ろした。狭い部屋が、一回り小さくなったように見えた。
「聞いたぞ。再統合を調べているそうだな」
「はい」
「軍としても、看過できん」
彼は太い腕を組んだ。
「物流を王都経由の一本に戻す。効率はいい。平時ならな。だが――戦になれば、その一本が断たれた瞬間、国は干上がる。分散は弱く見えて、有事の保険だ。余白を削る者は、いざというとき、国を殺す」
将軍の目が遠くを見た。かつて、飢えた戦線を見た者の目だった。
「兵は、剣で死ぬより、飢えで死ぬほうが多い。……補給が断たれればな」
余白。
私が辺境で辿り着いた言葉と、同じだった。
削られた余白は、消えたわけではない。どこかの帳簿で、節約という名の手柄になっている。その手柄に、名は付いているのだろうか。国家は「倒れない」を前提にしてはならない。「倒れても戻れる」ように設計すべきだ。そのための、余白。保険。
「将軍。一つ、お願いが」
「言え」
「宰相府を経由した、古い決裁の記録を。軍の権限で閲覧できるものだけで構いません」
彼はしばらく私を見た。それから、低く笑った。
「お前さんは、剣も持たず、地位もなく、それで宰相府に踏み込もうというのか」
「はい」
「……いい度胸だ」
度胸では、なかった。
アレクシスは、行くのか、とだけ聞いて私を送り出した。理由を聞かず、止めもせず、ただ確かめただけの短い声で。
あれが、いまも背中にある。
彼は、頷いた。
「記録は、回してやる。ただし、気をつけろ。名を消して逃げる者は、名を暴こうとする者をいちばん嫌う」
その言葉は、後になって別の意味を帯びることになる。
――名を残す者は、狙われる者でもある、と。
だが、このときの私は、まだそこまでは考えていなかった。
「名を残す者は、狙われる者でもある」
――これは、もっと先の話の、種です。
次回、レティシアは、一つの名に、突き当たります。




