第109話 同じ束
王都は、何も変わっていなかった。
甘い酒の匂い。香水。品定めの視線。石畳の照り返し。すべてが、記憶のままだった。
変わったのは、私のほうだ。もう、この空気に胸の奥を鳴らされない。
かつては、この街の視線の一つ一つが刃だった。品定めされ、値踏みされ、噂される。そのたびに、背筋を伸ばした。
今は、ただの風景だ。すれ違う人々は、誰も私がかつての悪役令嬢だとは気づかない。追放された者は、王都にとってもう、いないのと同じだから。
いないことにされた者だけが見えるものが、ある。
セドリック・ヴェインが、人目を避けた一室で私を待っていた。
「よく来られました。……歓迎はできませんが」
「充分です。記録を、見せてください」
彼は、古い決裁の綴りをいくつも運んできた。中央集権政策の時代のもの。港を弱め、辺境を締めていった、あの一連の。
私は、一枚ずつ遡った。
黒く塗られた署名を迂回する道を探す。日付。決裁の順序。回された部署。名を消しても、順序までは消せない。
そうして、決裁の連なりを辿っていったとき。
私は、手を止めた。
港の管理権を締めた、あの重い決裁。そのすぐ隣の綴り。同じ棚、同じ時期に綴じられた、もう一つの束。
そこにあったのは。
私の、追放の記録だった。
指が、止まった。
心臓が、一つ大きく鳴った。それきり、しばらく息を忘れた。
悪役令嬢。婚約破棄。寄付金の横領疑い。私を潰すのに充分な言葉が並んだ、あの紙。
それが、港を弱めた決裁と同じ束に、同じ手つきで綴じられていた。
偶然、では、なかった。
同じ時期。同じ棚。同じ、誰の名も残さないやり方。
港を弱めることと、私を追い出すこと。
二つは――同じ一つの、流れの中にあった。
私は、その二枚を並べて見つめた。
辺境の自立の手足を一本ずつ外していく決裁。
そして、辺境が自立を保っていた理由――その、名の出ない要を消す決裁。
私はずっと、自分の追放は、王太子の心変わりと聖女の涙の話だと思っていた。個人の、恋の話だと。
違ったのかもしれない。
あれは、もっと大きな、冷たい何かの一部だったのかもしれない。
黒く塗られた署名の先に、何があるのか。
私は、ようやくそれを見にいく入り口に立っていた。
恋の話だと思っていたものが、
もっと大きな、冷たい何かの一部だった。
――第一幕、了。
第二幕は、その「発生源」へ遡ります。




