第104話 誰も負わずに済む
その夜、私は眠れなかった。
寝台に横たわっても、目が冴えていた。
外は、静かだ。まだ早い春の夜は、虫の声もなく、時折、遠くで梟が鳴くだけ。辺境の夜は深い。王都のように、明かりで薄められていない。だから、考えごとはいつも、夜に深くなる。
黒く塗り潰された署名欄が、瞼の裏に残っている。
私は思い出していた。
いつだったか、アレクシスがぽつりとこぼしたことがある。彼にしては珍しく、自分のことを。
かつて彼自身が理由を並べ立てられて、切り捨てられかけた側だったこと。能力がない。出自が悪い。前例がない。辺境を任せるには若すぎる。――並べられた理由は、どれも正しかった、と。
そして、彼はこう言った。
正しい理由は、人を殺すのに都合がいい。誰も責任を負わずに済むから、と。
あのときは、彼自身の過去の話だと思って聞いていた。
今は、違う。
あれは、この国のいちばん深いところの話だった。
港を弱めた決裁も。関税を締めた決裁も。私を追い出した、あの日の裁定も。
どれも、たぶん「正しい理由」で飾られていた。国のため。秩序のため。均衡のため。
正しい理由で包めば、誰も個人としては手を汚さずに済む。決めたのは制度であって、私ではない、と言える。
――だから、誰の名も残らない。
私は天井を見上げた。
国家は誰か一人のものではない、と私はいつかの夜、王都で言った。言った以上、私はその言葉に縛られている。
けれど今夜、私はその言葉の裏側を見た気がした。
「誰か一人のものではない」は、優しい。けれど、使いようによっては――「だから、誰の責任でもない」にすり替わる。
誰のものでもない国。誰も負わない国。
それは、私が支えたかった国の形だったろうか。
窓の外で、森が低く鳴っていた。
「誰か一人のものではない」の、裏側。
第二部の、いちばん静かな夜でした。




